九十四 去る男 (人物不詳 村雨浩之)
夜明け。
凍らせたペットボトルは思ったより、感触がよかった。
男が殴った一回で、風間は頽れた。脳震盪のボクサーのようにゆっくりと崩れた。もともと背も小さく痩せていた。その横にリュックサックが落ちていた。その上を、潮の風が通った。ドブ臭い潮風だった。辺りには人間の気配がまるでなかった。
轟々と大型車の走る車道からはちょうど死角になっている。
男は、風間の横で看病でもするように腰を屈めた。あたりに人がいないのを確認して、氷のペットボトルで殴ったのである。
まず意識を失った顔面をしつこく確認した。だが、一度確認をするともう二度とその顔面を視野に入れようとはしなかった。大丈夫ですかと話しかけている体制を取りながら、落ちているリュックサックを開け、中を調べた。着替え、財布、電話、メモ帳。
「……。」
財布には、何も参考になるものはなかった。荷物は多かった。免許証には「風間正男」と記載があった。どの荷物も、とりあえず自宅から色々持って出た感じがする。男はメモ帳をとりだし眺めた。小さな紙面に文字が埋まっている。その文字列を見回している。まだ、夜明け前の濃紺の夜空の下で、電話ボックスに蛍光灯が付いてなかったら男は文字を見れなかったかも知れない。
濃紺の夜の底が少しずつオレンジ色に変わる方角が東だった。凍らせたペットボトルで殴った方の男はハンカチに染み込ませた薬品を再び、風間の口に当てた。こうすれば万が一眼を覚ますこともないだろう。そうして風間の全身を隈無く探した。この男を連れていくとすればGPSの問題があるーー。身体中を探したがなかなか見つからなかった。通行人がいない潮風の埋立地の物陰で、男の体をまさぐっていた。ジャケットの胸ポケットに手を入れたときに、ようやく探していたものを見つけた。
「なるほど。ここか。」
小さい銀色の錫のGPSシールを取り出すと、アスファルトで踏み潰した。そうして凍ったペットボトルと一緒に草むらへ投げ捨てられた。
男はすぐ近くにとめた車との距離を測った。辺りに人影がないことを確認し、作業を開始した。この男を車に乗せて一旦は移動する必要があった。