八十八 父 (御園生探偵)
軽井澤さんと別れると僕は、田園都市線の池尻大橋のホームに降りた。新宿へ社用車キャロルを取りに行かねばならなかった。渋谷に出てから山手線で新宿に向かった。
昨夜布団で寝てないせいか、身体が落ち着かなかった。身体が落ち着かないせいか考えることも落ち着かなかった。なんだか、暗くなりがちだった。
昼下がりの新宿駅を抜けてアルタの左の路地に入ると歌舞伎町のアーケードが見えた。靖国通りを渡り雑居ビルの並びを歩く。昔の火事で未だに復活しないビルの前を通り、コマ劇場が新しくなった東宝ビルを抜けた。その先は居酒屋は少なく、ラブホテルが集う一角に変わっていく。そういう区画の真ん中あたりのバッティングセンターの駐車場に、昨日のまま何も変わらずマツダのキャロルはあった。
見上げると、昨日守谷がいた雑居ビルも見えた。
思えばまだ、彼と出会って二日目だった。
車(キャロル)の鍵を開けながらふと、突然、何故、軽井澤さんは前の会社、放送局を辞めたのか?と思った。なぜ、辞めて探偵事務所を始めたのか。
何も理由がなくて辞めたのではないはずだ。放送局の仕事がどんなものかは知らない。でも一般的には、就職の人気も高く給料も相当いいはずだ。安定もある。それを辞めて探偵事務所をやる、と言うほど、軽井澤さんに探偵の仕事に思い入れがあるように思えない。
軽井澤探偵通信社は、世の中に数多ある探偵事務所の中で零細な方だ。これまでWEB広告での集客もやっていない。港区で増えているペットと不倫調査を、比較的安価で受注しているに過ぎない。ホームページだけは軽井澤さんの知り合いのおかげで立派に出来ている。それで集客が最低限あるだけであるのだが。軽井澤さんには、さほど事業を拡大させたいと言う意思は感じない。余り興味がないのかも知れない。今時のベンチャー起業家たちのような、富裕層を目指すような空気は一切ないと思うし、そういう生活への憧れもなさそうだった。
マツダのキャロルは古めかしいエンジン音で生き返った。
明治通りに出て、青山方面を目指す。
道が混んでるので僕はカーラジオをかけた。
山下達郎の古い曲が流れていた。
軽井澤さんはたぶん、相当優秀な人なんだと思う。静かに淡々と、処理をしていく。僕はそれを手伝っているだけで、ある安定の中にいる。そうして月末に売上をまとめると黒字になっている。殆どの仕事を難しく感じさせない。どこで何をすればいいか、が端的に想像でき、対応ができるようになっている。軽井澤さんに配慮されてる、とも言えるかもしれない。どんな仕事でもそう簡単に、こうやってまとまっていくものではないと思う。
車が小さくて低いせいで、隣を走るバスが建物のようだった。
明治通りは原宿に近づいて、道ゆく服装が若者のそれになった。
カーラジオは、夏の終わりの歌を重ねていた。
もう三年も働いているけど、僕は軽井澤さんの前職のことを話題にしたことはない。もともと、僕自身が名前もごまかした経緯があって、父親のことの導入がおかしくなってしまったのもある。その周辺を気軽に言葉を出せないのもある。
まあ、父のことについては自分もどこかでコンプレックスがある。
親子の会話をほとんどせずに父は亡くなった。
高校時代だった。
自分なりにいろいろな後悔がある。
余命がないとわかった頃も父は仕事をやめなかった。もう長くはないと思った頃にも家族より仕事を優先していたのだ。そもそも家族にも病気のことは亡くなる二週間前まで言わなかった。
父は自分のこと、この息子のことをどう思っていたのだろう。あまり、興味がなかったのかもしれない、と思うことが多い。
僕はやはり軽井澤さんに父の話題を気軽に話せない。例えば、軽井澤さんに
「父は、息子のことをなんか言っていましたか?」
と聞いたとして、万が一僕のことなど一度も話にしたことがない、と言われればそれは寂しいし、そう言われてしまうのも怖い。家庭より仕事を優先したのは構わないけども、仕事仲間との会話の中に、一人息子の話題が何も語られていなかったことを想像するととても寂しい。さらに言えばその寂しさを軽井澤さんとの今後の会話の中で感じたりしたくない。
事実として、自分が御園生の子供だと言うことを明かしてからも、一度も軽井澤さんから父の話題になったことがないのだ。
ただあえて言えば、軽井澤さん自身にも何か、その話題に向かわない感じがあると思う。前職つまり放送局の時代の話を軽井澤さんがする事は一切ないのである。軽井澤さんは、自分の父親と付き合いがあった。だから、どこかでその事を息子である僕が知りたいと思うのは自然だろう。
たまに、父と軽井澤さんはどんな風に話してたのかと思うことがある。どんなことで笑ったりしたのか。仕事中に何を求めていたのか?
交差点の信号が、長かった。
久しぶりに、財布の奥にある一枚の写真を見た。
若き日の父の写真ーー。
父の、笑っている写真。
こんな笑顔は僕には見たことがない、としか感想の言いようない写真だ。
この一番好きな父の写真の隣にいるのが軽井澤さんだった。二人とも若くて、どこかの青空の下で笑っている。仕事の合間に見せた本当の笑顔という感じだ。こんな写真を財布に入れてることも、軽井澤さんとは話したことがないのだ。
「軽井澤さん。あなたとの写真。こういう父の顔を家で見たことがありませんでした。僕は、ほとんど父を知らないんですよ。息子の自分が言うのもなんですが、仕事してる父の笑顔がこんなに素敵だなんて。あなたとは、どういう仕事をしてたのか?聞いては駄目ですか。」
幾度か喉まできたことがあった。
けれどもその言葉が現実に、音声となって僕の口から出たことはただの一度もなかった。