八十 目覚め (御園生探偵)
僕が、考え事が終わらずに天井を見た時だった。
ガタっと音がして、軽井澤さんは、譫(うわごと)言(囈言)を繰り返しながら、突然体を硬直させるようにして、目を覚ました。汗が尋常ではなく酷かった。見たことのない顔色だった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ここは…。」
「ここ、ですか?」
「ここは、その、どこで…。」
「事務所です。昨夜皆んなで夜まで考えて、軽井澤さんも僕も寝落ちしまてしまったんです。」
「寝落ち、か。ああ、そうか。」
目を擦りながら、軽井澤さんは脂汗の顔面をタオルを探して拭いた。タオルが重たくなるくらいの汗だった。僕は、嫌な夢でも観たのかと訊こうと思ったが止めた。此方が言葉を止めてしまうくらい軽井澤さんの表情は少し酷かった。
「か、風間からの電話はないですかね?」
まだ、自分が目覚めた現実がわからないと言うふうな表情のまま、軽井澤さんはそう尋ねた。残念ながら、まだ風間からの着信はないと僕は言った。
「机に置いたままだったので。電話は鳴ってないと思います。」
「なるほど。」
軽井澤さんはそう言って念のため、スマホの履歴を見つめた。やはり何もなかった様子だった。
「ありがとうございます。葉書のコピーは、取れてますか?」
「コピー?」
「はい。」
軽井澤さんは目覚めと同時に、焦燥感のある面持ちで、次の手を打たねばならないのだと言う空気だった。
「いかがですか」
「この後コンビニに行こうと思ってます。まずは、写真には収めました。」
「ありがとうございます。」
「……。」
「そうですね。やはり、守谷にまず会いにいきましょう。この葉書の件を話してもらわないと。」
軽井澤さんはやはり、目覚めたと同時に問題に対処したいと言う空気だった。焦燥と疲労困憊が表情に溢れていた。
「すぐに、池尻大橋に向けて出ますか?」
「ええ。あと」
見回したような表情をして、
「車は、歌舞伎町に置いたままですね。」
そうだった。昨日、池尻の駅から新宿に戻ってもよかったのだが、僕があの葉書を見せたから、すぐにでも守谷の葉書を、風間のものと照らし合わせねばならないと事務所にまっすぐ向かったのだ。そのことも忘れていた。コインパーキングが丸一日過ぎる金額を僕は計算した。
「電車で行きましょう。あと、あの人」
「あ、米田さんは昨晩のうちに、帰られました、と思います。」
僕がそう言うと、なるほどと軽井澤さんはおっしゃって、自分のパソコンを閉じた。
僕は出発の準備をした。あの池尻の不気味な病院に二日も連続で通うのは気が進まなかったが、軽井澤さんも同じ気持ちだったに違いない。
事務所を出て、コンビニで印刷などをし、西麻布から米軍住宅の横の道を通って乃木坂の駅に向かった。
それにしても、と僕は思った。
あそこまでの私刑(リンチ)するのは異常だ。守谷が何かミスをしたから?持ち逃げや使い込みでもしたのか?そういう風には見えない。やはり、あの西馬込の風間正男が逃げ回っていた葉書と同じように、何か許し難い理由を持つ誰かが、もっと壮大な理由で動いているとしか思えない。
襲撃班はどういう人間なのか?
とても一人とは思えないから、組織的な背景がない、というのは、考えにくい。でも、何故丁寧にいたぶり続けておいて、殺しはしなかったのか?が気になる。腕を切断するほうが、殺すよりよほど大変なのではないか。殺す、いや消すようなことのほうが楽なはずだ。なぜ、私刑という手順や時間を使ったのか。守谷が拷問を必要とする反社会構成員であるようには見えない。
軽井澤さんは僕がそんなことをずっと考えている間も無言だった。墓地の横の、アメリカ軍六本木駐屯地のヘリポートの裏から、いつもの真っ赤な米軍ヘリが飛び立つための轟音が響いていた。われわれはヘリの爆音に黙らさせられたかのように地面を無言で駅まで歩き、乃木坂から千代田線に乗った。