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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 81 章 七十八 いやいや期(レイナ)

七十八 いやいや期(レイナ)

「パソコンでなにをしてるの?」
 節子さんはレイナにそう訊いた。
「なにもしていない」
「ふうん。ならいいわ。」
 あ、と思った。節子さんは、わかっているのかもしれない。
「節子さんは、レイナのことをなにか、知ってるの?」
「個人情報は知らないのよ。」
 さらりとかわした節子さんに
「表向きでしょう。周りの噂を聞けばわかるわ」
「おばさんは、噂話とか好きじゃないのよ。」
「あっそう。」
「こうやって、レイナさんと二人で話していることが大切だと思わない?」
 今、聞きたいのは、そんなことじゃない。レイナの過去の秘密のことなのに、と思った。そういうふうに、会話の中で思い通りいかなくなるとレイナは、突然何かむしゃくしゃとしてくる。
「節子さんは子供はいるの?」
 レイナは節子さんに子供がいないことを知っていた。気分が昂じるとそうやって、節子さんが困る質問をいつも探した。
 今思えば、単純に甘えたい気持ちだったのだと思う。レイナは施設で一人でいて、そういうことを言う相手はこれまで誰もいなかった。だから壁に何かボールでも投げるように言葉を吐いた。
「節子さんは、どうして、子供を?」
 どんな質問にも基本的に節子さんは怒ったりはしなかった。
「どうしてだろうね。今日はカレーライスよ。」
「質問に答えて。」
「さあ、普通のカレー。平凡でどこにでもあるカレーだからね。」
 いつもの食堂の場所に座る。
「女の人はお腹に子供ができると、どんなのかな?」
 頑固なにレイナは、元の会話に固執する。微笑んだ節子さんは、その固執も含めて受け止めている。
「早く食べなさいね。」
 レイナはこの施設に来る前の記憶の中に、なぜか、子供を連れている女の人が一番幸せそうだ、と思ったものがある。その場面がどこで、何なのかもわからないけども、子供を抱いている女性の嬉しそうな顔に、幸せな気分を思った記憶があるのだ。実際の場面なのか、写真か何かなのかわからないのだが。
 節子さんには子供がいない、と聞いたとき、何故かその記憶がやってきて意地悪な会話が生まれた。最初は案の定、節子さんの表情はほんの一ミリだけ曇った。質問が節子さんを困らせているのがわかった。
「どうしていないの?」
 レイナはしつこかった。節子さんはゆっくりとカレーを配膳しながら
「子供は授かれなかったのよ。」
 と自分の言葉で言った。
「……。どうして?」
「そうね。大人は色々だからね。」
「そうなの。」
 相手を困らせることで、自分への愛情を確認しようとしていたのだと、今のレイナにはわかる。赤ん坊にはイヤイヤ期というのがあって、そうやって自分への愛情を確認する、らしい。イヤイヤ期は子育ての難所の一つで母親には大変な時期なのだが、子供はその時間を持たずに成長すると、愛情の確認が下手になる、らしい。全てパソコンで調べた内容だった。
「どうしてなの?授からないのは何故?」
 レイナはイヤイヤ期という言葉は知っていても、節子さんへのその質問がどう言う刃(やいば)になっているかは知らなかった。
「大人になってね、あなたにも恋人ができたらわかるかもね。でも、ほらカレーライス食べなさい。」
 普通の味だけど単純で何も考えなくていい、一番美味しいカレーだ。
「おいしい。」
「そうでしょう。普通のカレーだけどね。そう言ってくれると嬉しいわ」
 その頃はレイナにとっては最悪の時期だった。思い出せない過去を調べ続けていた。施設のパソコンのネットで、いわゆる少女Aの犯罪をたくさん集めて、それがもしかしたら自分ではないかと、繰り返し調べていた。少女Aと書かれた自分の写真を探していたのだ。自分は人殺しかもしれないという恐怖がレイナを常に襲っていた。
 少女Aに向けた周辺の言葉は酷かった。死ねとか、消えろは基本語句だった。少女Aはたくさんいた。どの少女Aも人を殺していた。どの少女Aにも同じだった。
 一度パソコンで掲示板を見てしまうと、レイナは胸が苦しくなった。自分の写真や名前はなくとも、気持ちが荒れた。世の中が自分を吐き気の中で見ている。話したこともない人が自分への嫌悪や殺意を持って恐ろしい言葉を繰り返している。もしかすると、この施設はそう言う人と会わなくするための壁なのかもしれない。本当は自分はどの少女Aなのかーーそれを調べ続けている。
 そんな最悪の時期に、節子さんとレイナは出会った。
 節子さんは、他の大人と違った。まるっきり違うのがレイナにはわかった。そんな節子さんという有難い存在に対して、レイナはイヤイヤ期の子供のように、彼女が嫌がることを探していた。
「なんで子供いないの?」
「……。」
「どうして?」
 節子さんは笑った。まだまだ心を開いていない時期に、ああいうふうに笑顔を作った節子さんの気持ちが今はわかる。いや、その愛情の深さを思うと、レイナは涙で身体が震えて止まらなくなる。
「なんで、笑ってるの?節子さん。」
「カレーライス。食べてくれてる。喜んで欲しくて、作ったからね。」
「変な質問してるのに?」
「そうね。食べてくれるのが嬉しいことには変わりないわ。」
 ふしぎだった。節子さんのご飯を食べていると、いつの間にかこころが落ち着いていく。
 そんな憎まれ口の会話を重ねていた時だったと思う。
 初めて、節子さんは「その言葉」をレイナに言ったのだ。
「あなたには、才能があるのかもしれないわね。」
 カレーライスの食堂で、さんざんレイナの妄言を受け止めた後、窓から外を長閑に眺めて、それからレイナの方を真っ直ぐ向き直して、なにか決意した様にしてからだった。ゆっくりと、もう一度、
「才能があるのかもしれないわね。」
 その言葉が真っ直ぐ自分の喉元に向かって、胸の辺りに降りて炭酸の泡がしゅわってなるように全身に広がっていくのがわかった。才能がある、という言葉がレイナには他の会話と全く違って聞こえた。
「パソコンは面白い?何をしているのか知らないけど、何だかいい表情をしてると思うの。おばさんは、それが少し嬉しいのよ。なんだか才能なんじゃないかなって。あんなパソコンみたいな箱にじっと向かって、他の人が見てるのも気にしないで没頭できるって、そういう才能があるってことなんだと思うの。少なくともこの節子おばさんにはできないわ。レイナさん。自分の才能を見つけることって難しいことなのよ。人生でいつまで経っても見つけられない人の方が多いんだから。わかりますか?それは幸せなことなのよ。」

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