七十二 寝落ち (御園生探偵)
朝だった。
軽井澤さんの鼾(いびき)で、僕は目が覚めた。
昨夜、議論は行き詰まった。
軽井澤さんと僕は、昨日の朝からの、歌舞伎町、首都高、池尻と回った疲れがひどくあった。強く精神的な疲労だった。結果、僕も軽井澤さんもこの狭い事務所のソファーと机に俯して寝落ちてしまった。暖房の効きの悪い真冬ならそうはならない。夏が終わった後の過ごしやすい季節だったからだろう。
我々が寝落ちをしたあと、米田さんは帰ったようだ。
疲れ果てて眠ってしまっていたが、肝心の風間からの電話は鳴っていないことを僕は確認した。軽井澤さんの電話は机の上に置かれていて、我々は寝落ちする瞬間までその電話を見つめていたのだ。
軽井澤さんはソファに斜めに体を預けて、強い鼾(いびき)をしたり、無呼吸になったりを繰り返しながら額に汗を浮かべている。この二日間で凄くやつれたように思えた。
僕は、ひとつの責任を感じていた。元々Googleの出来高広告をお得だと試したのは、この事務所の売り上げをどうにかして上げていきたいと言う話を自分がしたのが原因だった。でも、今現在まで、軽井澤探偵通信社は収入にそれほど困っているわけではない。事務所には相応の固定の収益があり、適度の給料もちゃんともらえている。軽井澤さんも、高給取りの放送局時代で貯めた金があるのか、それほどお金には困っていない気がする。もしくは、金銭への執着がないのかもしれない。僕の手取りは新卒の三年目としては十分なものだった。
それなのに、ある意味無責任な新規顧客開拓をしてこの状況を作ってしまったのだ。
僕は改めて軽井澤さんの寝顔を見つめた。人のせいにしない軽井澤さんの性格が滲み出ていた。全て自分の責任にして、脂汗の下で苦しんでいる、そんな表情の寝顔だった。
*
「御園生というのが本名でして。」
「御園生って、えっ。」
あの日、今から一年と半年前、初めて僕がそう言った時、軽井澤さんは、混乱した。
それはひどい混乱だったはずだ。
まず、一つ目が、当初の佐藤翔太という名前が嘘だったということへの驚き。二つ目はそもそも嘘だった名前の本名が、御園生という、一般的ではない名前だったことだ。珍しい名前でもあり、前の会社で知っていた名前だと思ったはずだ。
「父が前の会社でお世話になったと思います。」
僕がそう単刀直入に言ったとき、軽井澤さんは全てを理解したような、それでいて呆気にもとられた顔をした。
二人ともなんだか、変な気持ちになり、たまらず外を散歩したのを覚えている。事務所から青山墓地の方へと無言でしばらく歩いてから、
「ああ、そうだったのかあ。」
と軽井澤さんはつぶやくように言った。
「すいませんでした。」
「見た目は、似てないですね。ああ、そうだったのかあ」
「すいません。なんだか、言い出し辛くて、最初はほんの思いつきでした。そのまま言い出せなくなったんです。」
「そうだったのかあ。」
それは、怒りも驚きも越えた透明な響きだった。
声が素直に空に広がり小鳥(水鳥)のように回遊して戻ってくるような余韻があった。川端康成に「有難う」という掌編があるが、その響きのような、「そうだったのかあ」という言葉が、純粋に爽やかだった。あの日は桜の季節の終わり頃で、青山墓地の周辺には、薄桜色の雪のような花風が吹いていた。折からの陽光は枝に残る桜の花びらを輝かせるのだけに役立って、
「そうだったのかあ」
という軽井澤さんの声を、吸い込むようにしていた。他のすべての邪念が軽井澤さんの声に全て消されてしまっていく感覚があって、僕はなにか貴重なものに打たれた。
新卒でなぜ、探偵事務所にはいるのか。御園生という名前をなぜ言わなかったのか。探偵事務所の中でもなぜわざわざ選んだのか。会話になるべき質疑は幾つもあったけども、軽井澤さんはそのどのひとつも質問をしなかった。そして、一年半が過ぎた今も、その質問はされぬままだ。
僕と軽井澤さんは、じっと花びらの降りしきる墓地のあたりを歩き任せにしていた。青山墓地の桜の花弁は、この国のために命をかけた英霊たちの墓標を撫でて、そうして我々の足元のあたりで旋風(つむじかぜ)に舞っていた。
僕のがわでも、軽井澤さんからの質問があれば答えを用意していたのだけども、軽井澤さんは何も聞かなかった。話す言葉が出ずに、墓地半分くらいを、どこに向かうことなく無言で歩いたくらいしてから、ふと軽井澤さんは、
「これからもよろしく。」
とだけ言った。そういった軽井澤の顔の横あたりをくるくると、桜の花びらがいくつか舞っていた。
以来、軽井澤さんと僕は、その話をしたことは一度もない。