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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 74 章 七十一 暗室(人物不詳 村雨浩之)

七十一 暗室(人物不詳 村雨浩之)

 男は電話を終えると呼吸を整えた。
 暗い部屋で、タバコに火を灯すと、まるで焚き火のように赤々と先端が燃えた。
 時々、ヘリウムで隠した自分自身が出てしまう気がしてならなかった。
 この部屋は極秘作業を行う場所である。
 自分以外に誰一人としてその所在も存在も知らない。
 男はいつものように部屋に設置した旧式のパソコンを開いた。古い純国産のテキスト編集程度しか役に立たないーーその代わり一般のインターネットにも繋がっていないそのパソコンの中から、とあるドキュメント文書のファイルを開いた。
 記憶には限界がある。とは言っても紙に書いて持ち歩くのもよろしくない。
 だから変更があった後にはこの部屋に来て、自分の作戦計画が予測とずれていないかをドキュメントで確認し、自分なりに修正を行うのである。
 男は犯罪を犯している認識がある。
 自分の本当の名前も隠している。
 多少は世の中に知られた名前である。
 いや、まだどこにでも書き込みも溢れている、とも言える。
 くだらない、ネット社会。
 永遠に刺青のように名も名乗らぬ人間が他人を陥れ続ける。
 インターネットなどに触れてはダメだ。
 既存のインターネットに、自分の作戦などーーそんなものを記述するわけにはいかないのだ。
 男はドキュメントを見つめ直した。
 作戦ーー。
 その骨格は簡単だ。
「罪を犯した人間には罰を与えればいい。」
 それだけのことだ。そうすれば、世の中の誰も迷惑しないはずだ。
 世の中はいつだって復讐の長い物語が大好きなのだ。
 刑務所で懲役を終えた程度で人間の罪が改められるなど誰も思っていない。
 言うなればさらに追加の、道義的な罰を願っている。
 たとえば殺人犯が刑務所から出てくるなど本当は、誰も許せたりしていない。
 そんな人間は社会にいないでほしい。
 本来は死刑ーー極刑に値するような人間がこの東京の各所に平然と暮らしているのを、誰も知らない。
 隣近所と関わらないでいい、マンションやアパートによくある都会の自由な生活は、裏を返せば隣が犯罪者でもわからないということだ。犯罪者は各所に暮らしている。対して反省も、後悔もせずに今時の言葉で言えば、「前向きに」暮らしているーー。自分はそういう社会のゴミを処理しようとしているだけだ、と男は脳裏に繰り返した。
 社会に暮らす死刑に値する人間が、殺し合うーーたとえばそういうイベントが発生すれば、不満ばかりの世の中では清涼たる吐け口にさえなるだろう。誰もが、事件が欲しいのだ。今の世に誰も満足して生きていない。ほとんどが不満の吐口を探しているのだ。
 インターネットで検索でもすれば明らかなことだ。
 過去の事件や犯罪掲示板の言葉たちの悍ましいこと。罵詈雑言を言葉の限り浴びせあう、ニックネームの人間たち。
 誰も本名など名乗らない。
 そこでは犯罪者だけが実名なのだ。
「おまえは人殺しだ」
「おまえは悪魔だ。」
「おまえを絶対に殺されるべきだ。」
「おまえは懲役が短い。」
「おまえは死刑になるべきだ。
「刑務所を出たら殺す。」
 言葉がインターネットに、溢れきっているではないか。
 だから自分のやっていることはある意味人助けであり正義なのである、と男は思っている。だから葉書を出した人間が何らかの復讐を計画するのなら、その願いを叶える道筋を作ってもいいと思っている。あのアスファルトに記載された言葉の通りに。
 殺順
 逃亡者殺ス
 傍観者殺ス
 仲間ヲ私刑許ス
 仲間ヲ殺ス許ス
 男はこれまでも幾度となく葉書のことを考えながら文書(Document)に計画を書き込んできた。実際に埋立地のあの場所にも足を運んでいる。そしてその計画をもとにそれなりの予算をかけ、人を雇い、人間を動かしてきたのである。
 しかし、である。
 男は、脂汗を滲ませながらドキュメントを見つめ直した。
 少なくとも風間と名乗る男は動く様子がない。いや、先ほどの電話でもわかった通り、ただ怯え逃げることだけに向かっている。
 つまり「計画A」が、正しく進んでいない。
 当初の想定からの変化を見直さざるを得ない、と男は思いはじめている。つまり「計画B」の方を意識せざるを得ないのである。
 GPSの画面をもう一度見る。
 もうひとり。守谷と名乗る男は今夜ずいぶん移動した。渋谷に向かい、そこからりんかい線に乗り換えた。なるほどと思う。こいつはおそらく怯えているのだろう。あの体でーー歩くことがやっとの体で、わざわざ<事件>の現場まで戻るのだ。いや、あのような私刑を受けたからこそ恐怖から逃れられないことを奴は知ったのだ。新宿での地獄が、効果があった。やはり、限界に近い恐怖は人間を支配する最善の手段だ。風間が逃げる傾向にあるのは猫が良くなかった。猫の死体ではダメだった。
 再び、風間の位置を見つめた。
 猫ではないやり方を、奴にも設計しなければならない。ただそれだけでは不十分だろうーー。
 暗い部屋で男はゆっくりとタバコを吸った。真っ赤にタバコの先が燃え輝くのを見もせずに、数本を立て続けに吸い続けていた。
 ヘリウムの男は、少し冷たい眼差しをして綾瀬の周辺を地図で見つめた。
 そうしてしばらく考え事をしてから、ドキュメントの計画をーー「計画B」を細かく書き直し始めた。風間と守谷を中心として動かすだけの計画を見直し、三人目の人間を積極的に動かさなければならないと思ったのだがやはり「綾瀬」については男は正直自分で自ら関わりたくはないのである。

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