六十八 間諜 (人物不詳 村雨浩之)
「だれだ、おまえは?」
「ようやく電源を入れたな。」
「なんだ、この変な声は?ガスでも吸っているのか??」
「まあ、関係者とだけ言っておこう。猫のにおいは取れたか?」
「まさか。おまえは?ちょっと待て。お前は一体誰だ」
「ははは。質問が先とは、いい身分だな。」
「なんだと?」
「いい身分だと言ってる。すばらしいよ、風間さん。」
「なにがだ。」
「とぼけるな。」
「とぼけてない」
「ずいぶん、余裕があったものだな。」
「知ったこっちゃない。余裕などないぜ」
「安くはないだろう。探偵を雇うのは。」
「なに?」
「探偵さんとは、どういうご関係だ」
「……。」
「探偵には、何を話した?金はどうした。」
「…しらん。」
「そんなことを、誤魔化せると思うのか?今夜の閨所はどうだ?探偵を雇うようには思えないぞ」
「……。俺のことを知ってるのか?この携帯を辿ってるということか?」
「寝屋だけじゃない。どこをどう動いているのかも知っている。そうだろうな。何度も確認したくなるくらい、怖いのだろう。考えたくないはずなのにな。昨日はわざわざ埋立地まで見に行った様子だからな。」
「……まさか。」
「まあ、逃げても何も解決はしない。そのことは知っているだろう。」
「……。一体、何が目的だ?」
「まずは、最初の質問に答えろ。探偵には何を話した。」
「な、何も話していない。大したことは話していない。」
「大したこと話していないなら、どんなことを話したのだ?」
「…葉書の主はあんたか?」
「質問に答えてから質問をしろ。」
「大したことは頼んでいない。」
「ふむ。まあいいだろう。質問を変えよう。逃げ続けるつもりなのか?」
「なに?」
「逃げることが危険だと、わかってるだろう。」
「……おまえは誰だ。」
「逃げ道などない。おまえが探偵を雇おうが、なにをしようがだ。むしろリスクだけが増えている」
「……。」
「胸に手を当てるがいい。」
「……。」
「何を迷う。簡単なことだろう。逃げずに先制攻撃をすればいい。あいつはまだ綾瀬にいる。」
「…誰のことだ?」
「とぼけるのが本当に好きなようだな。これ以上しらばっくれるならこちらも考えるぞ。」
「いや、違う。まさか、あんたは。」
「……。」
「お、尾嵜のことを言ってるのか?」
「そうだ。」
「あんたは誰だ?奴は…綾瀬に?」
「堂々たるものだよ。ずっと住所も変えていないのだ。同じ家に住んでいる。連絡先を調べる必要もないだろう。」
「そうか。あんたは随分詳しいな。」
「お前の手助けをしてるだけだ。あとは行動をすればいい。奴がどうなったって、誰も悲しむ人間などいないだろう。」
「しかし。」
「別に殺さなくてもいい。文言は読んだだろう。ただ危害を加えればいいじゃないか。」
「あんたは誰だ」
「質問に答えろ。誰かが死ぬか、瀕死にならねばならない。そうだよな?」
「……。」
「助かりたくないのか?」
「……。」
「あいつが、逃げようとして私刑にあったのは聞いたか?」
「……。あいつ?」
「とぼけなくていい。片腕を切断されたようだ。」
「腕を?」
「分かるだろう?逃げないほうが良いということが。逃げたやつにこそ、地獄がくる。そうだろう?前回、二十年前に何があったか思い出すが良い。」
「しかしそれは…。」
男の声は、反論をしようとしたが、遮るようにヘリウムの声は続けた。
「何、簡単なことさ。お前らのうちの誰かが、つまり。」
「誰かが、死ねばいいということか。」
「わかってるじゃないか。主犯格の尾嵜に死んでもらうのが、世の中の納得ともいうものだろう。それを誰が行うかだけの問題だ。」
ヘリウムの声がそう言ってから、電話は長い沈黙になった。しかし、風間と名乗る男は、その後もただ怯えた言葉だけを繰り返すばかりだった。ヘリウム声の男は苛立ちを隠せなくなって、あれこれと脅しの言葉を続けたが風間を名乗る男は、挙句には
「お、俺は、もうたくさんなんだ。もうこんなことに関わるのは。もう十分だろう。俺だけが悪いわけじゃない。」
という言葉になった。
「おまえのような人殺しが、今更何をいう。一人殺すのも二人殺すのも同じことだろうが。」
「……。」
「人を使ってもいいわけだ。探偵では逆だろうが。」
「…あんたは、だれだ」
「誰かは関係ない。とにかくだ。逃げるならば、後悔をすることになるとだけは言っておく。」
電話はそこで切れた。