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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 62 章 五十九 経団連重鎮(太刀川龍一)

五十九 経団連重鎮(太刀川龍一)

 その日の夕刻。
 経団連副会長、江戸島X重工会長は太刀川龍一ととある銀座の寿司店にいた。
「その後、書けましたか?」
 太刀川はそう言った。年長の男は少し照れて
「いきなりその話題ですか。」
「まあ我々は、そういう趣味人ですから。江戸島会長の方こそ、いかがですか。」
「まあ、なかなか。やはり仕事だなんだと、入ってしまうと、中々集中できないですね。」
「ですから、本当のことをやるためには、早く勇退されたほうが良い。いちおう、背任罪というのがありますよ。」
「背任か。ははは。利益相反はしていませんから。」
「それはどういう小説を書くかによりますよ。だって、青年時代に見た夢を物語にするとしたら、概念的には利益相反を起こしかねませんよ。だってね。この国、株式会社日本という国の筆頭株主は誰だかわかりますか。」
「またその話ですね。」
「はい。表向きは、江戸島さんらのような老人階層が筆頭株主なのです。表向きですよ。」
「はいはい。」
「若者は株主支配の構造も知らない。そう言う無知や知識差を株主支配層にうまく使われて、例えば戦時中には、鉄砲玉にされた。全体の効率を考えてね。」
「儒教の産物でしたっけ?徳川家康の功罪?以前も仰ってましたよね。」
「僕の会社『パラダイム』もそういう意味で、やられたようなものですから。この国の筆頭株主を知らずに何をやってるんだと。」
「チェンジオブコントロールが待ち遠しいと。若者が筆頭株主になるべきだというご意見ですよね、太刀川さん。」
「そこまではいいません。生意気な若者が排除されるのは時代の常だと思いますよ。でも、株主と経営者には適切に、国家の資産を使ってほしいものですね。この国には素晴らしい資産があります。土地も、海も、水も、自然も、人間も。どれも世界に誇れる。平成を停滞させた経済界の重鎮としてコメントをお願いします。」
 太刀川はビールを手に握った。
「文学的にですか。困ったな。」
「まあ困らせたいんでね。はは。そんな感じで、まずは乾杯しますかーー。」
 太刀川の文学趣味は、昔からのもので、理系でありながらそういう読書が好きなのである。江戸島と太刀川は不思議な縁で一連の騒動の前からの付き合いである。多くの人間関係が清算された中でこの二人の関係が残っているのはこういう歯に絹を着せぬ太刀川の会話を江戸島が孫でも眺めるように受け止めるからであるが、加えて二人の文学趣味も奏功しているかも知れない。
「まあ私のは、純文学を言い訳にしてますから。売れるのを目的にしません。」
 江戸島会長は乾杯のビールを口にしてからそう言った。
「西友の堤さんは、大学の先輩ですかね。江戸島会長は文学部ですよね。」
「そうですね。」
「あの人も、経営者でありながら別の名前を持っていた。ペンネームを持って、生きるというのは、ひとつの人生の味わいを増すのかもしれないです。江戸島さんのペンネームを教えてほしいのですが。」
「それはお許しください。」
「内容も秘密ですよね。」
「いやまあ、僕のはまあ…。どこかにそっと、純粋な気分を残すくらいのことです。そういう言い訳を楽しんでるのです。」
「ペンネームねえ。」
「太刀川さん」
「はい。」
「あなたはないのですか?」
「なにがですか?」
「ペンネームですよ。別の名前とも言いますが。」
「……。」
「あなたもある意味公人だ。人の目が一定の世論を持ちかねない。そうなると、世の中に内緒の変装のような名前を持つことも合理的な意味を持つでしょうね。」
「……。」
「世の中に企業の社長だとか、あの会社の役員だと、言われればものを書いても、色眼鏡になるものです。そう言う意味でペンネームはすこし、自由な気持ちを持てると言うかね。おや、そういう名前でもあるのですか?」
「……。そんなものはないですよ。」
「本当ですか?」
「ええ。存在しないものは存在しません。」
「でも、太刀川という名前は目立ちますからねえ。何をするにしても。名前を変えたくなる気がするとおもうけどな。」
「……。」
「まあ、そのことはいいとして。」
「江戸島会長は、どんなペンネーム、いやどんなものを書いてるんですか?」
「そうですね。話題を変えますか。私はと言うと、ペンネームはもちろん言いませんが、さんざん、物を売ってきましたからね。商売に人生を捧げてくると、逆に、誰も見向きもしないような売れない物を作りたくなるんです。」
「そうですか。」
「商売人には、そういう人間は多いと思いますよ。売れなくていい、って言われると何を作っていいかわからんのです。売れるものを作るのと全く構造が違うから。」
「なんとなくわかる気はします。」
「なんだろうなあ。人気を得ようとする気持ちって、どこかで自分に嘘もつきますよね。自己否定というか、付和雷同というかね。顧客主義は、それはそれで良いことだけど、本当の自分と違ってくるような。」
「……。」
「それだけ過ぎてしまう人生の対処療法として、私は多少の文筆を趣味にしていると言うことです。」
「はい。認識しています。」
「そうだな。あなたには何度か話したか。」
 二人は声を出して笑った。
「あの江戸島、経団連の重鎮が、書いた、純文学といえば、ある程度は売れますけどね。」
「それは嫌だ。それじゃ本末転倒なんだ。わかるでしょう?だから、ペンネームは教えたくない。」
「いいですよ。死ぬ前には教えて下さいね。」
「どうだろう。」
「困りますよ。死んだら会話できないんですから。」
 太刀川はちらと寿司屋の主人を見た。寿司屋の主人は、随分若いので太刀川のことを江戸島会長の息子かと思ったというような顔をしていた。だが当の寿司職人は太刀川をどこかで、テレビで見たことのある顔だと思ったばかりで、それからは視線を避けていただけだった。
「死んだら、何もできなくなりますからね。」
「若いあなたに言われると、ドキッとしますね。」
「いえ。」
「……。」
「江戸島さんはどうお考えかわかりませんがね。なんだか思うんですよ。犯罪で人が死んだりする時に、刑罰が軽すぎるなって。」
「はい。」
「死んだ人、被害者の方は、もう何もできない。殺し合いだったのならまだわかるけども、現在の死亡事故は、江戸時代の侍の決闘みたいなことはほとんどないですから。基本的に異常な人間が、正常な人間の命を奪ったと言う構造がほとんどです。」
「まあ程度の差こそあれそうかも知れませんね。」
「それなのに、江戸島さん、思いませんか?被害者が損をしすぎている。殺されて、さらには遺族はみんなその死を後悔しながら暮らし続ける。殺人犯は飯も食えて生き続け、まあまあな場合、刑務所も出て暮らせたりする。」
「……。」
「僕はあまりに不平等だと思います。だから本当の天罰がないのなら、復讐が必要にも思うんですよね。」
「復讐ですか。」
「はい。江戸時代はそういう仇討ちの設計があったと思います。」
 江戸島会長は急に力んで太刀川龍一が話し始めるのを珍しいものを眺めるようにしてから、
「そうですね…。」
 と小さく相槌した。太刀川もその間合いで目の前に寿司屋の主人が差し出した手巻き寿司を手にとって口にしたせいで言葉が続かなかった。
「景気はいかがですか?太刀川くん。...

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