五十四 続秋葉原 (太刀川龍一)
学問の神様のいる湯島天神から、上野広小路を通って太刀川は秋葉原へと出た。すぐに電気街が見えてきた。
「…秋葉原の歴史は古い。
江戸時代から火事の多かったこの地区に、秋葉神社(あきは)という鎮火の神様を静岡から呼んだのが始まりだった、という説もある。江戸庶民は、この秋葉神社のあった野原を、あきばっぱら、と呼んだ。つまり、今の東京駅や、神田や銀座界隈の当時からの繁華街とは違って、この辺りは野原が多かったのだろう。この秋バッパラ、がその後、明治になり、国鉄が通って、駅ができて正式名称は、あきはばら、となった。アキバハラでなくアキハバラと濁音を後ろに置いた。しかし百年程の時間を経て、多くの若者がこの街をアキバと呼びなおした。お上が、アキハと呼ばせたものを、庶民が幾度もアキバと濁し直すのが不思議である。アキバとは今時の若者の言葉なのではなく、昔の呼び方に戻ったようでもある。
…戦前、ここにラジオブームが来た。想像できない人が多いけども、戦前はテレビがなかった。筆頭のメディアと言えば、ラジオと新聞だった。今、インターネットやテレビに人が集まる心理と全く同じように、ラジオや新聞という最先端メディアを人間は追い求めた。中には戦時中に連合国の短波放送を傍受して、日本の敗戦を個人的に予測したような人間もいた。そういうTechkyNerd はこの秋葉原で部品を集めたに違いない。部品から設計し、ゼロから作ってしまう。その心理こそ部品が溢れたアキバっぱらの真髄で、なぜか不思議と現代のスタートアップと酷似する。…新しい人間を集める香りのする秋葉原は、戦後の空前のラジオブームの担い手となり、GHQから睨まれることになる。マッカーサーが屋台禁止を決めて、大勢の露天商売が途方に暮れた時、とある人物が彼らの負債を一手に預かり、この秋葉原の国鉄ガード下を買い占め大量に移転させた。これが、秋葉原電気街の始まりと言われる…。」
しばしば読み思い出せる一節だった。「闇市逍遥」という、戦後派の随筆だが、下北沢や、新宿東口、渋谷百軒店の文章も面白いのだが、この秋葉原に関して特に太刀川は好きだった。大学時代から、部品とか屋台とかの軒先を愛したし、仕事に行き詰まると、ラジオシティや、電気街の裏道を歩いて、二階三階を階段で上がって部品を見ては息抜きをしたものだった。そこには「はんだごて」の香りが時代を超えて漂っていて、いつ来ても「ただいま」と言いたくなるような懐かしさがある。太刀川は今でも日本の可能性は少しこういう指先に近い場所にあると思っている。欧米人の太く大きいガサツな指では作り切れない繊細な世界があるとも、思っている。
竜岡門ビルディングの部屋にあった最初の頃のパソコンは、こういう部品を集めたものだ。独自の回線技術は通信を基礎から学ぶことや、サーバー構築の最先端をまさに手で学ぶことができた。単純な技術だが、触れておかなければその進化が何かもわからなくなる。たとえばムーアの法則で、処理の量が指数関数的に上がるということは有名なことだけども、ではそれがどういう部品によって実際増えていくのか、はこういう場所で組み立ててみないとわからない。ゼロからの組み立てが出来ない人間にものづくりは無理だ。スタートアップは人の作れない基盤をゼロから作った場合の利幅が最も大きい。
太刀川は、竜岡門を訪れた後に良くある心地よい感傷のなか、電気街のビルに入り旧式のエスカレーターを乗り物にでも乗るように味わいながら、脳裏に自分の読書してきた言葉たちが溢れることに任せていた。