五十 地下鉄へ (御園生探偵)
病院を出ても、しばらくは軽井澤さんと僕は話さなかった。
すぐにタバコ場を見つけて、無言でお互いの電話を見たりしながらしばらくした。
突然起きたいくつかのことにゾッとしていたことにくわえ、更に僕は軽井澤さんよりも先に、とある全く別の恐ろしいことを目の当たりにしていた。早くその事を軽井澤さんに話したいが、少し恐ろしくて、言い出せないままだった。深呼吸しながらタバコを肺の奥まで飲んだ。
少し前、守谷のベットの前で、僕の目を見た時の軽井澤さんは、そのまま視線を守谷の鞄に流し向けた。その視線には明確な意図があった。つまり、奴のカバンから、何かを盗めという指示である。カバン全てがなくなれば騒ぐだろうが、開けて中身をいくつか、であれば気が付かない。明日にでも返せば良い。そうも言ったように聞こえた。
僕は、のたうち回る守谷の胸ぐらを掴む軽井澤さんの背中側に、守谷の持ち物をずらすと、ちょうどその姿を隠すように合わせて、うまく彼のカバンの中で持って帰れそうなものを選ぼうとした。
その時に「あるもの」が、目に飛び込んできたのだ。
カバンにあったもの。
それは、見覚えのあるものだった。見覚えはあるが遠い過去でもなく、懐かしくもなかった。ただただ見た瞬間ゾッとする種類のものだ。いや、一昨日からずっと軽井澤さんと僕が、悩ましく見つめ続けたものだ。
病院のタバコ場を出てから軽井澤さんは、何かの考え事で青ざめた表情を続けていた。話しかけづらいことの少ない軽井澤さんだけに、余計に僕は逡巡し、言い出しを躊躇した。
池尻大橋の駅に着いて田園都市線の地下鉄に乗ると、車両に殆ど人がいなく、長い椅子で二人だった。僕は、ようやく覚悟を決めた。
「軽井澤さん。」
「はい」
「目で合図をくれた、守谷の荷物です。」
「ああ、そうでしたね。」
「ちょっと、信じられないことが起きました。」
僕は、呼吸を深くしてから、黙ってそれを見せた。それは、守谷の麻袋のようなボストンバックを開けた時に発見したものだった。
軽井澤さんは訝しげにそれを見た。わたしが持っている葉書、をじっと見つめている。そうだ。僕の右手には、束になって、アルファベットが記載された葉書が、おそらく数えていないのだが、十四枚あった。
「どうしたんですか?御園生くん。その、風間の葉書は、事務所に置いて来ましたよね。たしか、黒板に貼り付けていた。あれ。ええと。」
「最初はそんなふうに思いました。それだから、逆に驚いたのです。」
僕はそう言って軽井澤さんを見つめた。
「どういうことですか。意味がまるでわからないです。」
僕は手にした葉書を
「これは風間宛のものではないんです。」
軽井澤さんは、眉間にシワを寄せ僕を見つめた。そんなわけはないだろう、という表情で。
「いったいどういうことですか?」
「宛先が違う名前になっています。」
僕はそこで、葉書を裏替えして、宛先の方を見せた。あっ、と言う目眩が、軽井澤さんの表情に浮かんだ。そうして焦り始める呼吸が追いかけた。
「守谷保アテ??」
「僕もわからないです。守谷の鞄を開けたら、これがあったんです。」
しばらく呆然として、二人とも声を失った。渋谷、渋谷と電車のアナウンスがあった。そのまま、田園都市線は直通の半蔵門線になる旨が告げられる。
「鞄の中はくまなく見ました。あとは、競馬新聞くらいでした。財布の中は、ざっと見ましたが、千円札数枚の小銭と免許証。名前は、守谷匡。本籍は、大阪でした。さすがにそれを持ち帰るのもはばかれたのですが、この葉書だけは拝借しようとおもいました。」
複雑なことがいくつか想像できるけれども事実は至って単純明快だった。風間に送られていた葉書と似たものが、守谷保宛にも送られていたのだ。ざっと見た感じでは、アルファベットの筆跡も似ている。これは、同一の人物や、同じ組織が送ったものとしか思えない。
地下鉄の中で枚数まで数えるのが憚れたりもしたが、ゆっくりと声も出さずに僕はそれをめくった。どの葉書も宛先は、守谷保で十枚を越えたところで嫌な予感はあったが、やはり同じように十四枚だった。僕がその事を理解したのを軽井澤さんは気がついたようだった。
「枚数も同じですか」
「そうですね。おそらくアルファベットも、同じように思えますが、事務所についてから確認します。」
目眩のまま、頭を押さえていると、あたりは白々と光り、電車の窓が明るくなり、地下鉄のどこかの駅のホームに滑り込んだ。表参道表参道、と駅員のアナウンスがあり、ようやく僕は自分たちの今いる場所を把握し直した。
エスカレーターを二つ降りれば千代田線である。
その時、軽井澤さんの電話が鳴った。
軽井澤さんは、その画面を見ると、はっとした表情になった。
そうして、僕を見つめ、スマホの画面を見せた。
西馬込 風間正男
と表示がある。
「どうしますか?」
「出ない手はないでしょう。いろいろ聞かねばならないことがありますし。」
「……。」
「はい、軽井澤です。」
軽井澤さんが電話で話すと、風間の声が、スマホの中でしている。がなり散らすような雑な言葉遣いだけは感じられた。
「はい。そうですか。はい。風間さま、ちなみに、この後、会いませんか?事務所で良いので。ええ、こちらの都合ですのでチャージは大丈夫です。」
軽井澤さんがそう言うと、意外だなと言うような声が聴こえた気がした。僕と軽井澤さんは千代田線が滑ってくるホームで
「はい。場所は、南青山です。では、この後、お待ちしてます。」
という軽井澤さんの言葉で電話を切ったあと、少し沈黙した。おそらく二人とも考えていることは同じだった。
なるほど、風間が来るのであれば、このもう一組の葉書のことは単刀直入に、聞けるだろう。そうすれば、一気に解決するかもしれない。
もはや、前払金のことを僕と軽井澤さんは忘れていたかもしれない。とにかく風間に早く来させて、この不気味で気味の悪い状況をさっさと打破するか、もう金はいいから早く我々は不関与にさせれないかと、言うべきだと僕はおもった。実際に風間が事務所に来るのであればそうできるはずだ。