四十七 指示電話 (赤髪女)
赤髪女をフラッシュバックが断続的に襲っていた。
胸が苦しかった。
薬物の禁断症状である。
ここ数日、高価な覚醒剤を使ったのが良くなかった。財布が心もとなくなっている。赤髪女は肩を揺する典型的な中毒者の症状を繰り返しながら、南青山の探偵事務所を少し離れた墓地の草むらにうずくまっていた。
電話が鳴った。
「諸々は、順調か?」
指示者はヘリウムを飲んだ声で、ゆっくりと話した。
「はい。」
赤髪女は周辺を見回した。薬が欲しい。しかし金が足りないのだ。普段ない金額を得たせいで少し上級の代物を求めてしまった。上級の商品には通常ない別の依存性がある。
「ご、ご指示の探偵事務所を引き続き、少し調べています。」
「風間は?」
「風間はやはり、家を引き払ったのか、外泊をしています。錦糸町近くの安宿です。」
赤髪女は、GPSの位置を思い出しながら、家にいないことは確かだと告げた
「風間は探偵事務所と連絡をとっている。それは間違いないのだな?」
「完全に確定とまではいえません。しかし、昨日の朝、だいぶ長い時間をこの界隈で過ごしていました。不動産屋を回っているにも関わらず、この事務所だけは別だったと思いました。」
「いま、南青山か」
「はい。まだ風間に動きがないので。探偵の方の調査に力を入れろ、というご指示だったかと。」
ヘリウムを含んだ無言の呼吸音が、電話の沈黙を繋いだ。
「風間は、また、猫でしょうか?宿泊先には厳しいかと」
「いや。」
「……。」
「ちなみに、昨日からはじまった新しい緑のがその探偵のGPSか?」
赤髪女が昨日の朝、車に取り付けたシールのことだ。
「はい、いや、その探偵の身体には流石に取り付けられないと思われましたので、彼らの事務所にある車に取り付けました。」
「ほう。」
声が弾んだ後に押し殺す吐息があった。
「今朝方、新宿に向かい、そのまま放置されているようすです。」
「そのようだな。」
「何か気になることでもございますか?」
「新宿という、偶然についてか?」
「いえ。」
「偶然と必然とが混在する。」
「どういうことでしょうか。」
「まあいい。質問はするな。」
「はい」
「しかし、探偵を雇うとは。風間にそんな金があったのか」
「少なくとも、あのホテルに泊まる限り、金はあるとは思えません。」
赤髪女は風間のたどり着いた木賃宿を思い出した。Googleで見る限り、世の中にある宿泊施設の中で最下層にあるのは確かだった。
「実際に、どうやってるのかは知りません。探偵側が騙されているのかも。」
「騙されている?」
「見せ金というか、支払時期などに誤魔化しがあるのかもしれません。」
「知り合いでもいたのか?」
「そうは思いません。が、なんでも繋がる時代ですから。」
「なるほど。」
「ところで、すいません。」
「どうした。」
「その、わたしの、ここまでのお金についてですが」
赤髪女はその部分を明確にした。次の薬の購入のための、金が間に合わない。
「金に熱心だな。」
「そういう意味では。ただ、追加の作業もご指示いただき、ありがたくさせていただいております。」
赤髪女は、突然商売じみた言葉が出る自分に驚いた。これも薬物依存のたまものである。
「もうすぐ届く。次の動きは待て。それより」
「はい。」
「今日明日は、最優先で探偵事務所を詳しく調べてもらおうか。」
「かしこまりました。現状はホームページと、この事務所の目の前、と車の追跡程度しか情報ありませんが。」
「どういう探偵が働いているのか、を調べてもらおう。零細な事務所に見えるがな。」
指示者はすでに、ある程度用意していたのか、細かくその方法を述べた。赤髪女は、頭に覚えきれず、メモを取った。
「もうそろそろ金は、届いている。安心しろ。」
「ほんとうですか。」
「GPSには、風間と守谷、それと探偵の車があるということだな。それと話をしたもう一人はどうだ?」
「もう一人、綾瀬ですね。」
「ああ。」
「すいません。風間が落ち着いたところでと思いましたが、家を出たり探偵に向かったりと混乱があり。この後にどこかでと。ただ、綾瀬の方は取りつく島もなく困っておりまして。」
「まあそうだろうな。」
「申し訳ございません。」
「まあいい。まずは探偵を進めろ。」
「了解しました。」
赤髪女は、GPSの画面を見た。オレンジ色の風間が錦糸町にいて、新宿から始まった守谷という青い点が池尻大橋のあたりにある。緑色の、探偵の車が歌舞伎町のままだ。
指示者の電話は切れた。また元の草むらにうずくまるだけの自分に赤髪女は戻った。想定の通り、電話が切れるとフラッシュバックが断続的に襲いなおした。
苦しい。
早くしたい。
禁断症状が続いたままで、いろいろな頭の中の病理や妄念がゴム玉のようにあちこち溢れて暴れる。手と肩が他人のものみたいに痙攣したりする。少し危ないと感じた赤髪女は、一旦祖師ヶ谷大蔵まで帰宅をすることにした。表参道で千代田線で小田急線方面に乗り込んだ。
電話からの指示にはやはり慣れない。
赤髪女は、小田急線の座席に蹲りながら、そう思った。
社長さんから紹介されたこれまでの仕事にストレスのようなものは一切なかった。全ては淡々と続いてきた。それが今回から、金額が上がった。電話での指示になった。指示者はヘリウムの声である。相手は番号も何もかも不明だが、何をどう考えているのかは、言葉で理解はできる。指示者がやろうとしていることは、朧げながら理解はできる。ということは、それに対応しなければいけない。すくなくとも会話であるかぎり、前の指示を覚えていなければならない。
八年間、こんなことはなかったのだ。
どこかの落とし物を届けるとか、物を拾ったりするとか、殆ど、人格と触れることがなかった。
社長さんが言っていた、「少しずつ良くなる」と言う言葉を、赤髪女は思い出していた。実際に金額が増えたのは「少しずつよくなった」ことなのだろうか。でも、正直にいえば、金額が大きくなったのは結果として薬物の量を増やしただけだった。何も幸せを増やしたりはしなかった。これでは本当に少しずつ良くなってるのかわからない、と赤髪女は思った。