四十六 軽井澤紗千
どういう娘であるべきかは常々悩んできた。
どういうふうなことを話せばいいか。父の言葉をどう感じればいいか。
両親が別々に暮らすようになったのは、父、軽井澤新太が前の会社を辞めて独立した頃だった。前の会社と言うのは全国ニュースを作っている放送局、つまりテレビ局だ。もちろんニュース以外にも、ドラマや歌番組とか沢山あるけども、父は多分そのテレビ局のニュース報道に関わる仕事をしていた。
たぶん、というのは、父は私には一度も仕事の話をしたことがないので、母になんとなく聞いた時にそういう概要だったからでしかない。そういう理解を自分はしている。
テレビ局、ってそう簡単に入れないし、親類に有力者のコネもない我が家族だから、父は苦労して就職したはずで、何故それを、わざわざ放擲して、言っちゃ悪いが、探偵みたいなことを始めたのかは、さすがに「娘からも聞けない」でいる。せっかく終身雇用でまあまあの給料がもらえる放送局に入ったのに、どうして辞めたのか。理由はよくわからない。そう。そうだ。そういうことは、聞かない事にしている。
昨日、多摩川沿いで久々に会ったその日、父は少し疲れていた。
それでもジムに入ってミット打ちを始めるといつものように表情は変わっていった。私は遠目でそれを確認しながら、父と同じ部活で競い合うようないつもの気分をさせて河川敷を走りに出た。多摩川の土手は見晴らしが良いのが好きだ。
自分で言うのもなんだけど、父と母が離婚をしなかったのは、一人娘の私ためだと思う。実際、私立の中学に入れてもらってからも、父も母も仕事が本当に忙しくて、私への対応は代わりばんこだった。二人で一緒に、私に向き合う事は、正月や誕生日でも稀だった。送り迎えは交代制だった。でも今から思えば、交代が合理的だったのだ。
大学に進学が決まった頃に、父が四ノ橋で一人暮らしを始めて、いくつかの事が、理解出来るようになった。大人になるという事はそういう冷たい現実を平凡に処理できる事なのかもしれない。
父も母も一人娘である私をこよなく愛してくれている。このことはありがたい。別居が大学入学まで遅れたのもただただそのせいだったろう。ほんとうは、二人はもう、とっくの昔に、冷めてしまっていたのに、この自分のために別れないでいてくれた。それも、ひとつの愛情の形だとおもう。もしかしたら本当は離婚したいのに、私が結婚するまで待っているのかも知れない。
ママは雑誌編集者でworkaholicで、大きな括りではマスコミという同業なのかも知れないけど、父と母が互いの仕事について私の前で語るのを見たことはない。母は、父が会社を辞める頃、どんな意見があったのだろうか、など込み入ったことは何も知らない。
父が父の人生をどう歩んできたのか、私はほとんど知らない。娘に対する時の父は父親として力んでいて、多分、仕事の時とは違う気がする。父は、普段私を見つめる時はいつも柔和で優しい、包容力のある表情をしていて、愛情がそのまま溢れてるような存在だ。その父が、拳闘の拳を握り締めて殴っている時、まだ出会ったことのない父の姿が、そこに見え隠れする。私は、自分に見せない父の本当の表情を探しているのかもしれない。母が父に恋をした頃の、そういう場面を、といえば言い過ぎだろうか。
とくにスパーリングなどをして、真剣の戦いになっている時の、表情をみるのが好きだ。あえて加えて言えばそれは、父の過去の暗い場所からやってくるように思えるのだ。この私には話したことも、母にも語らないでいることも、あるのかもしれない。
私はそれに、触れたいがために、ボクシングを辞めないでいる。もちろん河川敷をこうやって走る時間は自分にとって貴重な時間なのは間違いないが、それは、半分くらいでしかない。こんな多摩川まで来なくてもスポーツジムは都心にも沢山あるのだから。