四十五 池尻病院 (御園生探偵)
「あなたがわたくしどもに調べて欲しいのはこの襲撃を行った人間という意味ですか?」
僕は軽井澤さんが敬語に戻したのを聞いて少し気持ちが楽になった。
「あ、ああ。」
「心当たりは?ございませんか?」
「心当たり?」
「襲撃者です。三名位はいた。目出し帽をかぶっていた。おそらく体格もしっかりしていたのなら、若者だったのですかね。」
「……。」
「だとすれば、彼らは直接にあなた、守谷さんに恨みを持つことは珍しい。そういう若者から恨まれるような生活をされているのでしょうか?」
「……。」
「そうでないとすると、その若者たちは誰かに命令された、雇われて襲撃を行ったのかも知れませんね。襲撃者と命令者は別だと考えた方が自然ですね。恨みを持っているとすれば命令者になるでしょうから。」
「……。」
「その心当たりはございませんか?」
守谷は返事をしなかった。
目を閉じ、病院のベッドに横になっていた。
どこかで僕は苛立つ自分をおさえていた。
二人連続、である。
Google広告を試してみようと軽井澤さんに話したのは自分だ。日頃の近所付き合いの顧客ではなく、もっと遠くの新規開拓を、というGoogleの広告文句にやられたのだ。結果として新規顧客は二名とも、ほぼ最悪の結果になっている。軽井澤さんに申し訳ないと、自己嫌悪をしていたそのときだった。
「おい。」
軽井澤さんらしからぬ言葉使いのせいで、一瞬それが軽井澤さんの声だと僕は気がつかなかった。
「いまだ。今すぐ、知ってることを誠実に話さないと許さないぞ!」
聞いたことのない軽井澤さんの底を割るような声が響いた。再び、敬語体が抜けている。僕はびっくりした。
「おい、聞いているのか?」
気がつくと軽井澤さんは、ベッドに馬乗りになるように守谷に飛びつき胸ぐらを掴むと怪我人なのも気にせずに壁に突き上げた。か細い、守谷の全身が宙に浮いている。
僕は軽井澤さんがそんなに凄まじい形相で、掴みかかるなんて想像できなかった。これには守谷も驚いた。
「聞いていますか?」
敬語に戻ったけれども、その礼節が、逆に恐怖を煽るようだった。
「ぜ、全員覆面をしていたんだ、わからんよ。」
「では、姿形は見たのですか?身長や、そのほか何かしらの情報を」
「わからない」
「彼らの背後にいる人間を本当に想像できないのですか?あなたは我々が恐ろしい組織に睨まれたと言いました。」
「……。」
「あれは、うそですか?勝手な想像でカマしただけでしょう?どうなんですか?」
守谷は小さく、首を上下させながら
「そ、組織は、あるはずだ。」
とだけ言った。
「あなたと、そういう組織に仕事でのトラブルがあったのですよね?」
「いや、ちがう。」
「ちがう?」
「仕事の相手じゃない」
「どうしてそう言い切れますか?」
「ちがうんだよ」
「……。」
「仕事のトラブルじゃない、と言い切れるのはなぜですか」
「……。」
その時である。
軽井澤さんがその間隙に僕を見たのだ。その眼差しは、全く怒りに震えてはいなかった。むしろ目線で「何かの指示」を試みていた。それは一瞬だけだった。一瞬が過ぎるとそのまま軽井澤さんは、守谷を折檻を続けた。しかしそれは、怒りではない。つまり、軽井澤さんは、自分がそういう位置で守谷の胸ぐらを掴むときにできる、死角のことを意図しているのだ。そうして、その死角には、守谷がずっと抱えてきた汚く小さいボストンバックがあった。
(そうか、そういうことか。)
僕は軽井澤さんもさっさとこの場を去ろうとしているのだということに今気がついた。
「俺はわからん。」
「なぜこんなことをされたのですか?あなたの仕事が理由でしょう。」
「仕事は関係ない」
「なぜ?」
「関係ないんだ」
「そもそも仕事は何を?」
「見れば分かるだろう。いろいろだよ……。ろくな商売じゃ無いさ」
「……。」
「とにかく、仕事は関係がない」
「何故そう明確に言い切れるのですか?」
胸ぐらを掴んだままだ。呼吸ができなくて苦しい守谷は、
「俺にはわかる。そういうことではないんだ。」
「では聞きます。あなたは、どこかでこのような事態が訪れることを知ってて、電話を私たちにかけませんでしたか?」
「……。」
「そして、その電話を隠し、修羅場が終わる頃に存在を見せた。つまり、探偵事務所のような存在をつなげることで、相手への、歯止めを探した。」
軽井澤さんは、どこかで想像していたことを言った。もし、守谷が天涯孤独で誰にも頼る先がなく、警察にも頼れないとするとあることかもしれない。
「お、俺は悪くない。」
「……。」
「怖かったんだ。」
守谷はそこまでいうと、おめおめと泣き出した。どうやら軽井澤さんの指摘も遠くない正解だった様子があった。精神的に参っていて、図星を言われた老人のみすぼらしい涙なのかもしれなかった。身体中怪我だらけの年寄りが、泣きじゃくる惨めさは酷かった。
軽井澤さんは、チラリと僕をみた。
どうや<僕の作業>が済んだことを理解して、
「また明日来ます。今日は大変だっただろうから、少し、まずは休んでください。尾行はされていないはずですから、この病院なら安全でしょう。」
と言って手を解いた。その解き方はそれまで胸ぐらを掴んでいた手とは思えないくらい、優しい気遣いがあった気がした。
ベッドに戻された守谷は、無言で天井を見ていた。皺の強い目尻に惨めにしか思えない涙の跡があった。