二 西馬込の男 (軽井澤新太)
風間と名乗る男の部屋は、西馬込の駅から徒歩十五分ほどの、環状七号線道路から二本ほど裏手にございました。マンションと聞いていましたが、この古い建物はアパートでございましょう。エントランスなどもなく、風間と名乗る男の部屋の玄関のまえにすぐにたどり着きました。ふと、生腐い悪臭が漂った気がしましたが、わたくしは、古い昭和風のプラスチックに音符がある呼び鈴を押してその男が出るのを待ちました。
申し遅れました。
わたくしは、軽井澤新太、かるいざわ、あらた、と申します。私立探偵をしております。
不景気の時代でありますが、なんとか探偵の仕事で生活をし、一昨年、贅沢にも新入社員を一名、雇用しました関係で、社長としては、最低限、新規の顧客を探さねばならざる日々でございまして、この度Google社の出している広告システムというものを登録してみたのでございます。そのGoogleで頂いた最初の顧客が、この人物でした。
「WEBで見たのだが。」
そのような電話があり、わたくしは事務所のある青山墓地から遥々、この西馬込まで参ったのでございます。通常は、港区の近隣の顧客が殆どでございますから、西馬込というと遥か遠くに感じました。とはいえ、収益拡大のために新規顧客は大切でございます。
ドアが開いて、風間正男、と名乗る男が立っていました。四十代後半の人間で、胡麻塩の坊主頭で身長は小さい印象です。手足に安易で安物じみた短絡的な刺青が見え隠れしましたが、それらはこの男の景気の悪さを一層浮き彫りにする事の方にばかり、役立っておりました。
この男、風間正雄は、どこを切り取っても不景気な印象がありました。会話をしていても、視線が定まらないようで、時折、強い睨みをこちらに向けたり、かと思えば、視線恐怖のように目を逸らし何かを隠すような、不穏な性質がありました。神経質のようにしながら、それでいて他者には無神経を装うような矛盾があり、不健康に日焼けした肌と相まって、不気味な虚しさを漂わせておりました。
「調査の内容を、お聞かせ願えればと」
「そこに立ったままで話すか?」
「といいますと」
「狭い部屋だが、中での方がいい。少し臭うだろう?」
狭い玄関とも言えぬ入り口は、侘しい彼の要素のひとつのようでした。色彩も虚しく、独房の入り口で立っているような印象でありました。
「そう言われますと、はい。何か生臭いような。」
「あんたの足元をさっき掃除したんだ」
「掃除?」
「そこに、猫の死体があってね。」
部屋は典型的な一人暮らしの様子でした。物はないのに、ゴミばかり目立つ男の部屋に、わたくしは少し小さく、吐き気がいたしました。果たしてこのような男が数十万円もする探偵調査の前金を支払うものか、疑念が生じます。
「ということで、俺は、命がやばいんだよ」
男は何とも言えない目つきでわたくしに言いました。
「お命を、ですか?、つまり、命を狙われてる?」
「そうだ。」
「ちなみに、何か、理由は?」
「まあ、いろいろあるさ。男たるものな。」
具合の薄い言葉でした。その間もまた視線が定まらず落ち着きが有りません。
「脅迫。すでに脅しがあったんだと、言っただろう。」
「おどし?ああ。猫のですね。」
この風間という男に漫然と漂う悪臭のようなものが猫の死体の喩えと相まって、室内に横溢致します。また、個人的な感想として、命を狙われているならば、Googleで繋がった探偵よりも余程、警察の方が役に立つようにも思われます。わたくしは、そろそろ簡単に前金を頂かなければ、そうでなければ直ぐにでも去らねばと思い、話の切り口を整理しようとしました。しかし、なんと申しましょう。五十代近い、不審な男、と言うものは実は二人きりで向き合うと本当に恐ろしいものなのです。何をするか判らぬ化け物の恐怖とも言えます。男には、狂気が漂うようにも思われなかなか金の話を言い出せぬ自分がおりました。
「一体、あのう、どういう理由でそんなことになったのでございましょう。命を狙われ、猫の死体を届けられる、その、心当たりはございますか?」
「ある。」
風間と名乗る男は、ボールペンと小さなメモのような物を取り出して、それを開いたり閉じたりを繰り返しはじめました。メモを取るというのは、この手の人物に於いては少し違和感がございますが、風間はメモが好きなようでした。
「心当たりが、ありますか。」
「ああ。ただ、いくつかある。それを調べて欲しい。」
「いくつか、というのはどういうことでしょう。」
「それは訳あって、言えない。」
「言えない、のですか?」
「ああ。そこをうまくやってもらいたいんだ」
言えないことばかりで、警察にも行けないというあたりが、不審を増長致します。その間も、男は視線を定めきれず、言い訳のように小さなメモ帳をいじっています。
「この事務所は、あんたと、探偵は二人か」
「そうですね」
「もうひとりが、これはなんて読むのだ」
「みそのう、ですか?御園生と書いて」
「ああ、みそのうか。そう読むのか」
「ええ。新人でサポートをしてもらっています」
「新人、というと若いのか」
「はい。担当は、社長であるわたくしがお受けいたします。」
「そうか。」
この間の会話も視線はやはり定まらずでしたが、(実はこの会話は深くこの事件に関わる会話なのですがここでは割愛します)わたくしが少し、訝しむ評定をすると、
「まあとにかく、とある人間を特定してくれればそれでいい。簡単なことだろう?前金で二十万円、見つけ次第、百万円支払おう。」
男はそう言いました。
男がカネを払う意志はあるということで、わたくしはさすがに、もう少し詳しく説明をもらおうと質問をしました。ずいぶんと判りにくい説明を繰り返したのですが、論理の曖昧な彼の言葉を要約いたしますと、まず第一に、猫の死体を送りつけたりしているその首謀者を見つけ出してほしいと言うのでした。なんでもその首謀者から脅迫じみた葉書が送られてきておりその葉書を見れば大体のことはわかるというのが彼の主張でした。
「その、葉書の方は、その、どんな、葉書でしょうか?」
「これだよ」
そういうと、風間はメモの間から抜き出すようにして、小さなちゃぶ台に、一枚の葉書を置きました。
「拝見してもよろしいでしょうか?」
「ああ」
「触ってよろしいですか?」
「ああ」
その葉書の表側には風間正雄という宛名と、この西馬込の住所が手書きで書いてあります。裏には、アルファベットで真ん中に、大きくも小さくもなく、
W
とだけあります。こちらも手書きです。大人の文字とも子供のものとも読めるようなぼんやりとした筆跡で、片面に、風間正男という宛名と住所、そして、裏面には、アルファベットの文字がひとつだけ、でございます。
「これは、いったい、なんですか?」
「言っただろう。この葉書を出したやつを探して欲しい。」
「この、葉書の差出人ですか。」
もちろん、この怪しい葉書には、差出人の記載などはある訳がございません。
「このハガキを送ってきたやつが、猫の死体を置いたと思っていいんだ。」
わたくしは、ちょっと理解が追いつきませんでした。
「つまり、この葉書は、何かの意味があるのですね?Wとい...