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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 45 章 四十二 出歌舞伎町(御園生探偵)

四十二 出歌舞伎町(御園生探偵)

 軽井澤さんと僕に両肩を担がれながら、守谷はタクシーの後部座席に乗った。両肩と言っても左の腕は切断されていてその断面をジャケットに隠しながらだった。
「か、カバンは…」
「ここにありますよ。」
「進めてください…。車を早く。」
 何かに怯えているが、僕にはむしろしっかり喋れることの方が意外だった。
 タクシーの運転手は、
「大丈夫ですか?病院ですよね。」
 と、驚いた顔をさせたまま、そういった。
「まずは、前に進めて...、」
 守谷は振り絞るように声を出した。かすれた声だった。
 車が走り出すと、僕は守谷を見つめた。
 紫に腐った果物のように腫れた瞼は視力を失って見えた。何を見て何を考えているのか想像しづらい。
「どこに向かいますか?」
「……。」
「とりあえずまっすぐですすめていいですか?」
 会話が成立しないまま、タクシーは職安通りから皇居の方角へ向かい四ツ谷を越え、しばらく走った。
「大丈夫ですか。」
 指示を明確に貰えぬまま、タクシーは半蔵門を右折して内堀通りに入った。車窓左に皇居の外濠が広がったところで守谷が突然声を発した。
「高速に乗ってくれ。」
「え?高速ですか?」
 タクシーの運転手が苛立った声を出した。無理もない。てっきり重病人を抱えて乗り込んだわけで病院へでも行くのだとばかり思っていたのだ。それが行き先も告げないまま、高速道路に乗れとまで言うのだ。
 桜田門の手前を右折し、左手に官庁街を通り過ぎ坂を上がると、ゆっくりと首都高四号線、霞ヶ関入り口が見えた。
「高速に乗りますよ、いいんですね?」
 守谷の言動は、その後も非常に不可解なものだった。がしかしそれは、或る何かから逃亡したいと言う観点だとすると合点が行った。明らかに守谷は終始怯えていて、それだけは芝居ではなかった。霞ヶ関の高速入り口の直前で、
「いまだ!」
 と頓狂な指示をしたり、品川方面に向かうと見せかけて突然渋谷方面だ、と前言撤回するなどめちゃくちゃだった。首都高を六本木、渋谷と越えた後、池尻大橋の出口でこれもまた彼は突然
「そこだ!」
 と小さく怒鳴った。
「えっ、ここ?」
 たまらず運転手が、急ハンドルを切ったので、側石に車が当たる勢いだった。
「もっと前に言わないと危ないじゃないですか!」
 僕はそう強く言ったが、守谷はまた再び目を半眼させ、我々の言葉に一切耳を傾けようとしないという態度をとった。池尻大橋の出口からタクシーは玉川通りに入った。よく見ると守谷は腫れた目でバックミラー越しに追跡がないことを指示のたびに確認もしているのだった。
 三宿の交差点の手前あたりで、
「そこを左」
 と言ったのが最後の指示で、曲がって少し走ると恐らく中規模の病院の入り口が目の前に現れた。池尻病院という立派な掲示があった。我々はタクシーを降りた。
 病院に入ると、診察の受付もしないで守谷は入院病棟のほうに行くエレベーターに乗った。僕は車椅子を用意しようとしたが、守谷は
「自分の足で歩ける」
 と主張した。クリーム色のリノリウムの古めかしい廊下を歩く。病院はどこか暗い雰囲気があったが、正しく病院であった。それよりもこの正規の病院に守谷のような男が受け付けもせず入っていくのが僕には奇妙だった。軽井澤さんは黙って歩いてきている。守谷は速度は遅かったが辛うじて自分一人で歩いていた。
 そのとき、守谷を知っている様子の看護師が近づいてきて、空いている部屋がここにあるみたいなことを小さい声で守谷に言った。守谷の様子を見てもさほど驚きもせず、看護師は部屋を案内した。一体どういう病院なんだろうと僕は思った。
 守谷の入った一室は複数共同の相部屋だったが、他の患者はいなかった。
 やっとようやく話ができるようになりましたねと言う前置きから、軽井澤さんは、一体なぜ我々に電話してきたのかとか、昨日の人たちがどういう人間達なのかどうかとか、あなたが今後襲撃される可能性があるのかとか、まずは基本的な質問を幾つか重ねた。しかし守谷はそれらの善意の質問に対してほとんど反応のない無視を続けた。その態度はタクシーで東京を半周させて、せっかく落ち着いた場所まで連れてきた我々に対して明らかに失礼で、非常識的だった。
 その後も間合いを見て我々は繰り返し守谷に声をかけた。しばらくの間は守谷の無視を我々は我慢していた。どこかで片腕を失っている人間へ、生命ある動物なら誰しもが持つ、本能的な同情だったかも知れない。そうやって質問をしては沈黙されるのを繰り返して時間が過ぎ、ふと時計を見ると三時を回ろうとしていた。事務所を出て、既に五時間は過ぎていた。流石に痺れを切らしたのか、
「これでは、そろそろ我々は帰るしかないですかね。」
 軽井澤さんはそう静かに言った。
「そうですね。」
 何を聞いても無視をするし、不気味な人間の内情まで興味があるわけでもない。店じまいせざるを得ない諦めを覚悟した、実際の言葉だった。
 そのときだった。
 守谷は突然、奇妙な声を出して笑い始めた。躁鬱病で言う、躁の状態が始まったのかもしれない。瀕死の人間が病的に出す声なき声とも言える。吃音の中でもはっきりとした口調で、
「あんたらも狙われたかもな。」
 といった。
「なに?」
「知らんよ。恐ろしい奴らだ」
「どういうことだ」
「逃げてもいいが軽井澤さん、あんたにも家族があれば、奴らがどこまでを狙うかは俺は知らないぜ。」
「今何といいましたか?」
 家族と言う言葉を聞いたあたりで、軽井澤さんの温度が変わった。眼が怒気を帯びているのがわかった。一人娘の紗千さんを思ったのかも知らない。
「俺を見ればわかるだろう。普通の奴らじゃない」
「では、そろそろ聞かせてもらえますか?」
 軽井澤さんは強く冷たい言葉を返した。
「何のことだ?」
「とぼけないで貰えますか?」
「とぼけない」
「何故あなたがこうなったのか?そして、何故あなたは昨日わたくしに電話をかけたのか?です。」
「……。」
「あなたを襲ったのはどこの誰ですか?」
「誰だかはわからん。」
「本当ですか?心当たりもない?」
「ない」
「心当たりもなく、こんなことをされて、なぜ警察に行かない?」
「あんたの知ったことじゃ無い。まあ、俺にはもう失うものが何もないってことだ。」
「……。」
「ただ、あんたらが放置して帰れば、このまま俺は、引き続き手足をひとつひとつ、斬られるかもしれない。その時、今際の間際にあんたらを売るかも知らんな。いろんな秘密を話してしまった相手として。はは。」
 守谷の笑い声が沈むように響いた。それはまるで死体から出た腐った異臭のようだった。文字通り最低極まりない人間のもたらす、重苦しい間合いと沈黙の後に、
「何を所望だ?」
 軽井澤さんは、恐ろしく冷たい声でそういった。
「……。」
「もう一度聞く。何が所望だ?」
 軽井澤の声とは思えない冷たい声だった。
「誰かを、知りたい」
「誰か?襲撃した奴らを?本当に知らないのか?」
「ああ。この襲撃をした人間が誰かは、具体的に知らない。襲撃の理由には心当たりはあるがな。」
「どう言う意味だ」
「俺は本当に知らないのさ。だから知りたい。」
「もう一度聞きたい。一体何人の人間が昨夜あの場所にき...

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