← 目次へ
星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
第43章をXでシェア
第 43 章 四十  登庁 (石原里見巡査)

四十  登庁 (石原里見巡査)

 本郷三丁目の駅から丸の内線で石原は戻った。
 捜査一課のある六階の銭谷警部補の席には誰もいなかった。
 帰り際に明日は非番と言っていたのを思い出した。
 昨夜のお礼を朝、人の目のあるところでは出来ないと思っていたので、ちょうど良かった。
 昨夜、上野の立ち飲みには、三時間もいただろうか。
 銭谷警部補は面白い人だ、と、石原里美は思った。
 パワハラのことは、本人が言うほど気にはしていないように思えた。殆どの大人の警察官が昇級や役職のことを話題にする中で、銭谷の表情には役職降格への恐れも特になく、また強がっている様子もなかった。そんなことより多くの事件について話すことが他にたくさんあるのだという感じで、酒を煽るたびに実務的な言葉が次々溢れた。
「石原は、ノートは使ってないのか?」
 立ち飲みのカウンターに警察手帳を出したときに、銭谷はそんな小さな手帳で何ができるんだと言う顔をした。銭谷警部補は常に大学ノートに全ての取材ネタを書き込んでいるらしい。そして過去の事件を時系列でまとめるようにしている。突然、そんなことも文脈なく話すのである。
 仕事の話はとめどなく続いていった。内容は多くの学びがあり、どのアドバイスも一般的な警察官とは違っていた。たとえば、意外なことに最初はまず、インターネットで検索をするのが良いと言うのである。年配者にありがちな足で仕事をしなければいけないと言う空気を出していながら、使えるものは使う、らしい。
「真実に近づく速度が全てなんだ。新しいもので良いのがあれば、なんでも教わりたい。」
 銭谷警部補はそういった。使えるものは全て使う。要するに真犯人を逮捕できさえすればなんでもいい、新しい知見が役立つなら全て使えばいい、という姿勢がそこにあった。インターネットを調べることで見えてくることは多いし、世の中の無名な落書きにも何かの理由があるんだと、語ったので、石原は驚いた。
「銭谷警部補がインターネットにお詳しいとは知りませんでした。」
「詳しくはない。パソコンで調べるまでで、最近のSNSやスマホはわかっていないんだ。」
「でもお使いになる言葉が、お若い気がします。」
「どうだろう。でもこれも太刀川のせいかもしれないな。」
 会話の流れで煽った訳ではないが、隠密操作を円滑にするために官費支給ではない個人の携帯電話を持てないかと、提案したところ、意外なことに、その場で、承知すると銭谷警部補は言った。当然この「上層部」には開示しない捜査作業のやり取りを警視庁から支給されたスマートフォンでするわけにいかない。石原はそのことは最初に相談したかった。
 六階フロアは人がまばらだった。
 石原里美は、パソコンを開くとデスク作業を始めた。
 太刀川龍一と検索窓に名前を入れると、案の定ネット上には様々な文言が溢れた。いわゆる、株価操作のインサイダー疑惑や、六本木周辺での華やかな交遊から、殺人事件への疑惑などが終わりなく流れてきた。
 警視庁が修正した後の死亡事故という表現ではなく、殺人と書いてあるものが多いのは、その方がネット上でアクセスを拾いやすいからであろう。どの記事もしっかり広告が貼られている。過去の事件が広告収入の資産になっていた。すでに大手メディアから消えているとはいえ、過去の太刀川周辺のゴシップにはまだ価値があるらしい。
 記事によっては太刀川が首謀だとも書いてある。その他、陰謀説も含めて言葉は溢れた。女性死亡事故。連続殺人事件とも書いてある。パラダイム株式会社の周辺で、三〜五件の疑惑と事件が少なくともあったとされており、三人は実際に死んでいる、という。どの記事も写真や細かい説明を交えて、まるで報道記事のような体裁をとっているものもあった。
 石原里美はゆっくりとそれらを、まずは一旦、端から読み始めた。読みながら昨夜銭谷が言っていた
「火のないところに煙は立たないんだ。民衆の空想は馬鹿にならない。」
 という言葉をそれらに重ねた。
 ただ、実際に細かく読み込むとどの「民衆」記事は雑だった。クリックを目的にした広告引っ掛けのようなページが多い。例えば過激な題名のものに限って、内容は希薄だった。実際に、大手のメディアはほとんど、警察の発表後の整理がされているせいか、記事は消していた。
 人のまばらな大部屋のデスクで、石原里美は、頬を叩いた。
 まず事件を調べる前に、太刀川の来歴からノートに書き出しておこう。
「東証一部、当時の最年少での上場。福島の県立高校から、現役で東大に入学。大学時代からの、スタートアップに取り組む。大学二年で起業、だから一九歳が創業になる。そして、二十三歳で上場。
 その延長線上で、あまりにも早く成功を手にしたために出てきたいくつかの問題が発生。斬新な経営手法は、今となればどこの企業も取り入れているものでもあるが、当時の多くの日本の利権企業らと<そり>が合わなかった。その後、メディア買収を企図した株売買などで不穏な空気を重ねていった。
 上場後五年。太刀川は二十八歳になった頃に、その風向きが怪しくなる。ネット関連企業で幾つかあった株価操作などの関係者ではないか、という疑惑が出る。実際に、ヒルズ族と呼ばれるような新興の上場企業経営者らの集うサロンと呼ばれる密会が複数あり、太刀川はそれらを多く主催していた中心人物だったという悪評もこの時期に増えた。この点は、最後まで本人は誘われたから行ったという言い方をしているが、参加者によっては太刀川に誘われたという人間も多く、実質上の主催者だった可能性は否めない。
 その密室だったかは定かではないが、地上波放送局を買収、および、サッカー球団を買収する話が、表面化し出したところで、パラダイム社に対する批判的な風当たりが極限に達した。太刀川らの若手経営者が取った手法は、ハゲタカと呼ばれがちな投資ファンドの常套手段ではあっても、日本のビジネス社会では不人気だった。買収の危険に晒された当事者のメディア各社は当然過剰な反応を始めた。民放各局による太刀川への否定的な喧伝が始まったのもこの時期である。」
 ノートに整理しながら、一呼吸を置いた石原は、今一度太刀川のことを思い返した。自分は当時は高校時代だったと思う。テレビのニュースがそればかりになっていたのを思い出す。新しい時代がきたのか若者が潰されるだけなのか判らないけども、何かの二極が対立してせめぎ合う、そういう空気を眺めていた記憶がある。
「この特異な状態は半年から一年ほど続いた。しかし、その間、メディア各社の思惑とは裏腹に、パラダイム社の株価は高騰した。つまり、パラダイム社が万が一大手民放や球団のような資産を手中に収めることに成功すれば、その可能性はさらに飛躍することを、市場、特に当時加熱していた個人投資家の票を集めたのである。メディアでは冷たく報道されたが、市場は正直で貪欲だった。多くの投資家にとって上がり続ける株価は魅惑的だった。そうして天井知らずに上がり続けた株価の臨界点とも言える時期に、潮目が変わった。」
 実は株価の頂点で、死亡事故が起きている。
「当初の一連の報道は、ヒルズ族の秘密のパーティがあり、その中で薬物で女子大生が殺された、という庶民が飛びつきやすいタイトルで始まっ...

文字
明暗
組方向