三十九 九十九里 (レイナ)
九十九里の長い海岸線を眺めながら、節子さんとの会話をレイナは思い出していた。同じ会話を何十回とした。何十回も繰り返すうちに、安らぎのようなものが生じて、節子さんとの会話がよろこびになった。
「人間が理解し合うなんて、難しい。」
節子さんが幾度となく言ったその言葉の延長に変装という解決策が生まれていったのだと思う。
変装。
いろいろな人格を自分のなかで作る、心の中でできる遊び。思えばそんなことをずっと毎晩眠りにつく時に行っていた。今日は、誰になろう。明日は誰になろう。物語を作る。一人五役くらいの舞台だ。そこで自分が五人を演じ分ける。そうしてこんがらがるくらい考えているうちに眠りにつくことができる。
その遊びには、眠ることの他に、もう一つ秘密の理由があった。
自分のいろいろ嫌いな部分を、一時的に、消し去ったりできるのだ。
欠点を消して別の人格の人間になっているーーそう確信できる時に、あきらかに明るい気持ちになる。不思議だとレイナは思った。自分という人格部分が消える時に、なぜ明るい気持ちになれるのだろう?
自分は何を消そうとしてるのだろう。
トレイラーを止めた九十九里の海岸の、目の前の砂浜を、海沿いの村の子供たちが、走っていった。五人ほどの子供のうちの一人が足が遅く、リーダーの少年から叱責を受けている。
さっさとしろよ。
レイナが思ったよりも強烈なパンチが飛び、また別の少年も足で蹴った。
格闘技の映像番組のせいだろうか、そういう刺激を試しているのかもしれない。
骨を打つような打撃音が遠くにも聞こえる。
レイナは漠然と見ていた。
一通りの動きを終えると少年たちはまた次の疾走を始めて砂浜の先に見えなくなった。大人の真似事をしながら、まだ何もわからない子供が走っていく。節子さんが言っていた。子供は大人の真似をしてるんだよ。子供が悪いのは大人が原因だよ。どんなに悪いことをしたって、それがまだわからないんだから。
節子さんは、そう言っていた。
(何歳から罪になるのだろうか。)
レイナはトレーラーから南の海を見つめながら思った。自分のことではない。世の中で今起きている罪の定義のことだ。法律や懲役年数の話ではない。実際に法律がなかった場合の話しである。
例えば、一歳の赤ん坊が間違って親を殺しても罪にはならない、と思う。それはある程度、そうなる気がする。でも二十歳の子供が親を殺したのは罪だろう。とするとゼロ歳から二十歳の間に、罪が始まる年齢が存在する。八歳は罪か?十五歳は?罪だろうか?でも親によってこの世に産み落とされ、生じた存在が、その生みの親を殺す場合の罪とは何なのか。
心が落ち着かなくなった。
十三個目のピアスを撫でる。
海を眺めながら考える。
人間は、何歳からそういう罪を背負うのか?
法律のことじゃない。
世の中に法律ができる前の大昔、子供が母親を殺したらどうしていたのだろう。
例えば、その時残された父親は、殺人をした子供をどうしていたのだろう。
想像ができない。
子供が、親を殺す。
殺人をしたその子供には罪が発生するのか。
ある年齢から、人間を殺せば殺人という罪になる。
殺人罪は懲役という罰がある。
罪と罰は違う。
罰ではなく、本当の生命としての罪を知りたい。
罪は、「いつ」始まるんだろう。
その定義を知りたい。
レイナは思う。
どんな罰を受けても、罪は消えないはずだ。
本来、罪とはそう言うものだ。
レイナは考え込んで、自分がいつも繰り返し思考の憂鬱の中に降りていくのを感じた。
いつものように色々な考えが頭に散乱する。人を殺した瞬間に罪が始まるのだろうか。いやそうではなく、誰かを殺す前から、殺そうと思う時点で始まっているのではないか。結果として殺したのか殺さなかったのか。もっといえば、殺そうとしてなかったのに相手が死んでしまうことだってある。偶然の罪と、計画の罪は一緒にしていいのか。
言葉が終わらずにいる。
レイナは海を見つめた。
節子さんを思い出すことと海を眺める時とは、気持ちが似ている。
先ほどの子供たちが、九十九里浜のずっと先で見えなくなるあたりまで走っていった。