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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 41 章 三十八 歌舞伎町の私刑  (御園生探偵)

三十八 歌舞伎町の私刑  (御園生探偵)

 僕が目配せをすると軽井澤さんが
「ごめんください。」
 と、小さめの声で室内に呼びかけた。
「モリヤさん、いらっしゃいますか。」
 無音だが、人間の存在していた空気が、はっきり漂った気がしたのと、タバコや何かが少し焦げた匂いがした。誰かがいるに違いないと直感的に感じた。
 軽井澤さんが先に、僕が続く形で、恐る恐る、室内に入り始めた。すぐ走って動けるようにあえて靴を脱がなかったが、室内は土足も許されるような有様だった。灰色の絨毯は黒く汚れていた。
 三、四歩を踏み進めたところで視界に入ったものに僕は戦慄した。
 部屋の一番奥に死体のように転がった半裸の人間が落ちていた。置き去りにされた、というより落ちていたという方が適切なくらい、人間という印象とは遠い。生き物というより、物かゴミのようだった。
 軽井澤さんと僕は、他の人間の気配がないのを十二分確認してから、ゆっくりと近づいた。死体だと思っていた物体から、空調音に混じり、かすかな吐息が動いた気がした。
 (死んではいない。呼吸がある…)
 軽井澤さんと僕は目を合わせた。
 軽井澤さんも同じことを感じたらしい。
「大丈夫ですか?」
「……。」
「すいません、大丈夫ですか?」
「……。」
 虫が呼吸をする場面を見たことがないが、おそらくこれが、虫の息という喩えになるのだろう。
 身体中に傷を負っている。僕は、第六感から、これが軽井澤さんの説明したモリヤだと感じた。軽井澤さんに電話をかけてきて、その最中に、襲われた可能性のある男だ。
 普通ではないのは確かだった。髪の毛の至る所が燃えていて、茶色く縮れている。さらに身体の至る所に皮膚を焦がされた臭いがしている。体のいくつかの場所は切り裂かれたらしく、その切り傷にわざわざ、ホチキスで縫い合わせをされたりもしている。切り傷だけでなく、打撲の痕が、紫色の斑点になって持病のように転々と足先から、太腿、半裸の上半身から、腕にも広がっている。まだ出来たばかりの傷らしく所々はまだ流血している。ただ、それらを差し置いて衝撃的な一箇所があった。
 男の左腕が、腕の途中で切断されているのである。
 軽井澤さんは、喉で言葉を飲み込み直すように、言葉を絞り出した。
「あなたは、もしかしてわたくしに電話をいただいたモリヤさんでしょうか?電話を頂いた、探偵事務所の軽井澤です。声に覚えがありませんか?」
「……。」
「電話の途中で、繋がらなくなりました。電話のなかで、わたくしはいくつかの音が漏れ聞こえました。そこで嫌な想像をしたのです。だから、あなたのおっしゃった住所に参ったのでございます。」
 軽井澤さんの想像はある意味当たっていた。むしろ現実はその想像を超えていた。
 被害者は、還暦近い男だ、と思われた。
 髪の毛は剃られたり、燃やされたりしている。よく見ると、切られた髪の毛や、燃えた残骸(カス)が、周辺に散っていた。体中に火傷をしている、根性焼き、というレベルのものではない。やけどで拷問をさせられたかのようだ。鉄の棒か何かで殴られているため、顔と体は複数箇所、築山か大福餅のように、局所的に腫れている。ズボンを脱がされていて、何人かの集団にやられたのか、肛門からは出血をしていた。いや、彼を殴っていたであろう鉄の棒が肛門に刺さっていた。
 死体寸前の男はようやく軽井澤さんと私がそこにいるのに気がついた。。しかし瞼が葡萄の房のように腫れていて思い通りに動かないらしい。部屋は薄汚く何もない事務所だった。還暦近い男の、まるで死体のような体と、彼のものとおもわれるボストンバックがひとつ、ごみのように落ちているばかりだった。
「大丈夫ですか?救急車を」
「やめ」
「?」
「や」
「警察を呼びますか。」
「いえ、やめて」
 軽井澤さんは全てを理解して飲み込むような表情で、モリヤと思われる男との会話を急いだ。
「あなた、お名前はモリヤさんですよね?お電話いただきました。」
「…あなたは?」
「軽井澤探偵通信社です。」
 軽井澤さんと僕はそのとき同じものを見つめていた。襲撃犯が持ち帰らなかったそのスマホである。それは、モリヤの倒れてる少し横に落ちている。僕はそれを拾った。
「これはあなたの?」
 僕が尋ねるとモリヤは、本当に小さな幅で少し傾げた。その体のあちこちにタバコを原因として焦げた匂いを出す黒い煤や火傷の跡が見え、僕は現実に自分のいる状態を把握できないままだった。正直、今玄関の扉が開いて、加害者の集団が再び入って来ることだってあり得る。異常な世界が目の前にあった。僕は背筋から恐怖が繰り返し襲ってくるのを感じた。怨恨だとしても、気狂いじみている。
「この電話から、わたくしにかけたのはあなたですね?」
 軽井澤さんが問いかけると、モリヤは再び小さくうなずいた。
「あなたは守谷。守に谷で、モリヤ、ですね。」
 微かに頷くのを続けた。
「電話が切れた後、この番号を彼らは、見ましたか?」
「あ、あなたは、」
「はい」
「か、軽井澤さん、ですよね?」
「はい」
「ここで話すの、は、まずいでしょう。」
「?」
「ぜひ、場所を」
 守谷という男は、そう辛うじて言った。内容はさておき、その時なぜか僕は怪しさを感じた。嘘をついているというより、嘘が基本で、嘘をついて生きている人間特有の異臭を感じたのだ。関わるべき人間ではないという強い直感もやってきた。
「御園生くん、とりあえず、この人を連れて出ましょう。」
「しかし、この人は。」
「ええ。そうですよね。」
 軽井澤さんはおそらく、僕と同じ理由で躊躇があった。守谷に対する、不信があるようだったが、しかし、冷静に考えれば、この状況をそのまま放置して帰るのも何も解決をさせない。今すぐそこから再び襲撃者が戻ってくるかもというのもあるし、犯罪者が軽井澤さんの携帯番号を確認したのなら、WEBサイトまでは辿り着けてしまう。襲撃犯たちの情報をなに一つもなくここを去ることのほうが確かに恐怖だ。少なくとも何らかの情報をこの男から得ておきたい。
「ここを出ましょう。出てから話します。」
「は、い。」
「守谷さん。何か持ち物は必要かですか?」
 そういうと、守谷は壁の近くに落ちているボストンバックを明確に指差した。
「これだけで良いですか?」
 それは、腕を持って行かないでいいのかという意味だった。切断された腕がどこにあるのか、わからないが、この部屋にあるのであれば、まだ接合は間に合うのかもしれない。
「腕は、多分もうないから。」
 守谷は非常に小さい声で、絶望そのもののようにそういった。その声に僕は突然ほんの少しだけ同情したのを覚えている。人間が、自分の体の一部を切断して失う悲しみというのは共感しやすいのかもしれない。
 最終的に軽井澤さんが判断したのもあり、僕らは、この守谷と言う男の肩を担いでエレベーターへ連れて行き、職安通りまで隘路を歩き、タクシーを止めた。ここまでは、人助けが半分、組織的復讐が我々に及ぶことの恐怖が半分だったが、いずれにせよわれわれはさすがに彼をマツダのキャロルに乗せる気にはならず、職安通りでタクシーに乗り込んだ。少し移動してから、良き場所を探して話を聞こうと軽井澤さんは小声で言った。
 還暦近い守谷...

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