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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 237 章 実験番号 HS5408

実験番号 HS5408

 夏の花火で見たその人の美しさが、夜毎僕の心を抑えきれなかった。前向きに受験勉強を努力するだけでは当然限界があった。どうしてもまた会いたいのだ。純粋に会いたいだけでなく、嫉妬も生じた。ああまで美しいものを誰か他の人間が放っておくだろうか。雑踏で彼女が埋もれたりはしない。いつまでも路傍の花のように人知れず僕のためだけに咲き続けるとは思えない。普通に考えると時間は有限なのだ。自分ではない誰かのものになることを考えるだけで恐怖だった。
 何か行動を起こさねばならない。何か方法はあるだろうか。
 そもそも論として、彼女の高校への通学路に僕の生活圏がない。つまり通常生活をする限り僕とは永遠に出会うことがないのだ。にもかかわらず、僕はずっと花火大会のような奇跡を信じていた。とんでもない神頼みだった。当然九月は無為に過ぎた。このまま十月も、いや今年も過ぎ、来年も過ぎるに決まっている。
 そう考えると居ても立ってもいられなくなった。行動を起こそうと思った。まず接点を作らねばならない。永遠に交差することのない現状を打破するのだ。だからと言って、道を待ち伏せすることはだめだ。待ち伏せで声をかければ不気味な追跡者に思われかねず、そんなことで嫌われるのは最も避けたい。しかし何かの作戦がなければ、このまま永遠に海をいく藻屑のように、未来永劫関わりを持つことができない。
 悩んだ結果、彼女の通学路のどこかに僕の生活を重ねるということを思いついた。たとえば喫茶店で受験勉強をするでもいい。塾の帰り道を遠回りするだけでもいい。その場所が偶然彼女の生活動線の上にあるというのはどうだろうか。何か帰納的な間接的な接点を狙うのだ。目的は別にあるが結果的には二人が出会う確率を増していくような何かだ。
 そうやって調べていくうちに、彼女の自宅方面から(僕は正確には彼女の自宅を知らないのだ)おそらく彼女の通う高校へ行く途中に喫茶店があるのを地図の上で僕は見出した。R公園の手前でテラスがひらけており前を歩く人間と店内との接点が発生しやすい。僕は学校の帰りにその喫茶店を勉強場所として使うということにした。目的は一見勉強でありながら、複眼的に別の設定を持たせたのである。
 まずは週に二回、僕は予備校の休みの日を使ってその喫茶店で勉強をした。
 しかし、彼女はなかなか通らなかった。実は後で知ったのだが、彼女はバイトをしていて、勤務のある日は全く別の道を経由していた。バイトの理由は卒業旅行のお小遣いを集めるというものだった。このバイトは週に五日深夜九時までだった。方角も違えばそもそも喫茶店の営業時間をすぎており、実は接点の設計は不十分であった。
 ただバイトが休みの日だけこの前を通ったのだ。最初の週は僕はあろうことに、勉強に集中して彼女が通ったことを見逃した。(それは後日彼女に聞くに至った。僕は受験生で時間を焦って勉強をしていた。)そうして二週目になって、ぼんやりと物理の問題の考え事をしながら通りを見ているとき、彼女が喫茶店の前を歩いたのだ。網膜に火花が散るような音がした。花火の時と同じである。彼女は浴衣ではなく高校の制服で、随分大人びて見えた。
 ぼくはやっと自分の計算が役に立ったのを感じたが、彼女はこちらに気がつく風情は一切なく、何も知らずに通り過ぎた。僕はその時、声をかけることもなく、もちろん歩いて過ぎた彼女を追いかけることもなかった。ただ、この喫茶店の前を通ることがあるということ事実に遭遇できただけで十分だった。翌日から時間の許す限り僕は受験勉強の場所をその喫茶店に置くことにした。

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