実験番号 HSC3438
普通にしていれば、それで終わり。僕の人生と彼女の人生とが重なり合うことは確率としては万に一つも乏しいものだろう。つまり、青春の記憶の中の一つになるだけだったはずだ。
そういう意味ではある奇跡を得たと言って良い。
僕がその人と再び会ったのは、じつに二年と半年を過ぎた、高校三年の夏のことだった。思えば二年半もの間、一度たりとも忘れることのなかった彼女が僕の目の前に突然現れたのだ。僕の人生を決定づけたのはあの夏だ。あの夏がなければ今の僕はない。
江戸川を挟んで、千葉側と東京都側、埼玉とが一緒に行う花火大会は何十万人という人が溢れる界隈で最も賑わう夏の風物詩である。街の祭りではない。地元の小学校があつまるというのでもない。もはや、茨城埼玉、千葉東京とあらゆる近隣から人が集まる何十万人規模の花火大会である。僕はその夜、弟二人を連れて既に大音声をあげて打ち上げ始めた花火の見える場所を探しに奔走していた。
実にその花火大会の群像の中に、僕はその人を見出したのである。
久方ぶりに見た彼女は見事なまでに大人の女性になっていた。それでいて小学生時代から存在するあの美しい奇跡的な所作は変わらない。蕾が蕾の美しさを失わぬまま咲いた花のようだった。何十万分のひとつでありながら、大勢の人たちの象徴として存在するかのようだった。見出したのは必然的にさえ思えた。ほかの全ての女性は僕には目に入らなかったけども、彼女の光だけがこの僕の目に届いたと言ってもいい。そういう表現が正しかった。
しかしそれにしても尋常ではなかった。どうして一体これはどういうことだと思って見つめてその後に、彼女の浴衣の眩しさがその理由だとわかった。そういう順序だった。
僕は呆然と見惚れてしまったのだ。
見とれたあまり大胆であった。芸術であれなんであれ感動は理解というものを超越して人を大胆にする。だから執拗に見つめた僕の眼差しはその人に届いてしまったのだ。彼女の眼差しはまだこちらに返されずだったが、意識が揺れたのがわかった。僕の思いは伝わってしまうかも知れない。花火の強烈な大音声がその時ばかりは消えて大勢の群衆も祭りの屋台も全て僕の耳には沈黙した。その人の浴衣の白や赤の色彩だけが提灯の明かりに照らされてうつくしく、その人だけがまるで色調を持つ神か何かのようだった。
彼女がようやくこちらを見つめ返すかという刹那、僕は必死に現実に戻った。弟たちが、手を引っ張るのに焦って再び動きをさせた体が、金魚救いで取った金魚を落としてしまった。砂地の上に金魚が複数転がり茶黒く砂がついたまま、ピチピチと跳ねていた。恥ずかしくなって必死に金魚を拾ううちに、肝心の彼女はいなくなった。あの時の気の利かない金魚のざらついた手触りの中の滑りを今も思い出せる。
世界で最も美しいものが今そこにあった。あらゆるこの世界の美しいものに勝るひとりの少女の美しさがある。この世界にこれ以上美しいものが存在しないのだ。それが恋が盲目にするこの眼差しと脳の誤謬かは知らない。ただ科学が明かさなくてもいい。僕はただしく確実に、感じたのだから。