十 江戸島昭二郎の手紙
…貴方が分裂症人格(こころ)の苦しみを持つ中、今回貴重なる情報をいただきましたこと、誠に御礼申し上げます。並びに、貴方のご配慮によって、私は妻についていくつもの事実を知り、妻の人生を知ることができました。すでにこの世のものではなくなり、十三回忌も過ぎた妻のことで、自分がまだ知らずにいたことに巡り合えたことは感動以外の何ものでもなく、またそれらをこのような形で知る自分という人間の課題にも深く考えさせられます。第三者からお聞きする恥ずかしさもありながら、自分では辿りつかなかった妻の横顔を、また一つ、また一つと、まるで新しく会話をしたかのような、まだ見ぬ彼女をを理解するようなそういう時間、貴方より妻のお話を聞くことができた時間を、心から幸福に思います。
人間は二度死ぬと、聞いたことがあります。一度は肉体の最期を迎える。しかし、本当は、実はもう少し後に二度目の死がやってくる。つまりこの世界で、誰もその人物との出来事を思い出しも語りもしなくなった時にもう一度、本当の最期があるということです。墓地にある無縁仏を見て、誰もその人物を思い出せはしないように、実際にその人と会って会話をした人が世に消えれば、何も語りようが無い。土に帰るとは、正にこのことをいうのでしょう。そういう意味で、妻は、まだ生きていたということです。いや貴方の言葉をお借りすれば、まだしっかり溌剌と、随所に妻は生きているのでしょう。貴方は仰いました。血はつながらなくとも、江戸島節子を心の母として生きている人間がこの世にいるのだと。如何なる言葉にも代え難いものです。
かくなる私も、経済界の仕事だ、なんだと申しながら、サラリーマン労働者の一つであり会社の持ち主である訳でもございませぬ。塵のように消えていくことを思い始める今日この頃に、まさか今この世に話すこと触れることも叶わなくなった我が妻の、まだ見ぬその生きた証に触れることができたこと、このことにまず、心からお礼を申し上げます。そもそも肩書きばかり集めてきた鷹揚な私でございますから、誰も面倒な個人的な接触はいたしませぬ。当初は太々しい態度をとってしまって申し訳ありませんでしたが、それにもめげず、幾度も接触を模索していただきましたことに強くお礼を申し上げます。
この度、貴方より、多くのお話をいただきました。そして、この私の方でも妻のことを思い出せる限り語って欲しいとの言葉をいただきました。貴方の言葉によれば、妻と貴方とは実の母と子のような気持ちの時間を過去に過ごしたのだとのことでした。故に、亡くして十五年以上を過ぎたいまでも、まるで実の親を失ったような悲しみの中にあり、いつでも少しでもいいから話がしたくなるし、願いが叶うなら一度でも会って手を繋ぎたい、体に触れたいのだ、というお話をいただいた際には、私は心が震える思いでした。自分の愛するものを失った時、少しでも、あと一言でも会話をしておけば良かったという感覚は誰しもにあるものでしょう。そういう気持ちを亡き妻に貴方もお持ちなのだということは強い驚きでした。
我々夫婦はこの世に一対のもので血のつながった子供さえなかったわけですから、妻を亡くしたのち、私は妻を回想することも実のところ孤独のひとつでした。写真が好きだった妻は多くの写真を残しました。そういう思い出を眺めながら妻の死に一緒に涙を流せる自分の子供がいたなら、どれだけ有り難かっただろうと恨むこともありました。私は妻を失った悲しみを誰とも共感することができなかったのです。そのような私に、まさか、妻のことを思い出しては胸を痛め、私と同じように思い出の涙を拭っている人間があったのは本当に衝撃的だったのです。
私の拙い表現でいささか恐縮であり、かつ、どこまで伝わるのか分かりませんが、是非、妻とのことを思い出せる限り思い出し、申し上げたいと思います。もちろん、この書面だけで叶わなければ何度でも繰り返すことを約束申し上げます。ただ同時に、じつは、その結果、私はある種の告白をすることになります。なぜなら妻と私の過去にあった出来事を説明する中で、避けて通れぬ事が幾つかあるからです。その過去が今回のいくつかの事件にも関わります。どちらかといえば私の問題である告白をこの文章に混ぜてしまうことを少し申し訳なく思います。ただこれを省略すればおそらく私が描く妻の映像もぼやけます。嘘が混じります。嘘を伝えることは貴方に失礼になりましょう。また、貴方の仕事関係の人物が今回の事件に多くの接点があったということも含め、貴方が、本来誰にも開示しない多くの事を私に話していただいた今、私の言葉に嘘が残るのは本望ではございません。
実は、もしかすると貴方との出会いがなければ、今頃も私は、手を尽くして自分を誤魔化し、何らかの隠蔽を行っていたのかも知れません。その証拠に、警察やら探偵の方々が当初喧しく私に接触した際は、まさしく隠蔽に近い態度を私は取ったからです。おそらくそれは、妻の最も望まぬ形になりえたでしょうが、私はこれまでそう言うふうに自分を処世する生き物として自らを訓練して生きて参りました。言葉を変えればそう言う処世術に長けたからこそ、今の地位肩書きを得たのかもしれません。そしてその処世はどこかで、貴方を包み込んだ妻という人間の温かさと並ぶには、不適切なものだったのです。そうです。妻の成したことと私の処世世界とには、深刻に双方相入れぬものが存在していたのです。
思えば私の人生は会社という就職先での自分の立身出世に焦点されたものでした。それらを終えようという今となっては何をしたかったのかわからなくなることもあります。勿論、国家的な受注にも関わり産業を育成してきた自負もあり、仲間と多くの難題を解決したり、その巨大な規模によって多くの人に喜びを与えた様な場面は少なくありません。仕事は青春から円熟期までさまざまな季節があり、会社に入り四十年以上も努めてきたわけですから、それらは当然、一言で表現できるようなものでもありません。妻と出会ったのもX重工でしたし、人生の殆どを社に捧げてきた私は多くの上場企業の役員と同じ様に年末年始の挨拶から土日休日を過ごすのも、一切X重工の仕事の関係者しかありません。会社に身を捧げたといえば美しく聞こえますが、仕事関係以外に平坦に付き合う人間がいないというのも事実です。当然そこには、今回のような凄まじいことを相談できる人間などいないのです。
あえていえば、そんなものを仕事の関係者に相談しているようでは数万人の代表者はつとまりはしません。そういう孤独は当然です。会社での優越的な環境でその寂しさを常々誤魔化すしかありません。出社すれば全員が私に忖度をし全員が私に頭を下げますし、何をするにしても従ってくれます。その優越が私の孤独や懊悩を一旦は癒すのです。権力的な、優越的な気分とはそういうものなのです。しかしながら、欲しかったのはこの優越だったのか、と思う時、何故か、妻の笑顔が思い出されます。そういう忖度とは真逆にあった妻の眼差しが私を優しく包みます。妻は文句など一切言わない人ですが、私にそういう苦しい矛盾があれば、優しく無言で寄り添ってくれ、ただ理解をしようと努めてくれました。孤独な気分に寄り添ってく...