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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 224 章 九 槇村又兵衛の手紙

九 槇村又兵衛の手紙

 …万が一わたしに何かがあればこの手紙を読んでほしいと伝えましたから、近々この文章を読んでいるとすれば、何かがあったのではないかと思います。そうではなく、かなりの時間が過ぎて、貴殿の刑事の人生の終わりの頃、暇ができて、過去の人間の手紙を思い出して、ようやく手にしただけの場合は、少し古めかしいでしょう。もっともその場合はここで記載している問題について小生自身の手ですでに解決しているでしょうから、恐らく説明がしつこいかもしれません。
 本当のことを申せば、貴殿に直に時間をお願いし、小生の物事が解決したのを見て、ゆっくりと酒でも酌み交わしたいとも思います。芝居めいたものではなく何の策略も無く語り合いたい。そうすればこの手紙の内容は、居酒屋の談話で語りうるかも知れません。もしかすると明日以降そんな日があれば、この手紙は無用の産物となっていることでしょう。
 ただ貴殿がご指摘されたように何一つ残さないままであれば、大きな喪失のリスクがあります。ですから本当は面と向かって語り合いたいと思いながら、やはり小生としてはこれまで行ってきた単独の作業について文章に残すのは必須のことである、多少説明がしつこくても余すところなく書かねばならないと思っております。そうして万が一に何かがあっても、この手紙で貴殿にお伝えする事ができれば、酒宴はなくとも、小生には、むしろ十分とも思います。小生はもう相応の年齢でございます。老兵には若い人に託し去るべき時がきます。この自分の悩んできた解決しきれぬ世界の一角を貴殿に託すような気持ちがあります。貴殿という若き存在が、小生の刑事人生で叶わずにしてきたものを、拓いて解いてくれる予感がございます。
 思えばそういう誰かを求めて、貴殿に警視庁まで会いに行きました。貴殿は想像通りの人物でした。刑事でございますよ。顔を見ればどういう人間で、どういう刑事なのかはわかります。肩書きなどはむしろ見透かされてしまいますから。最近では課長だ署長だと聞いてがっかりするような人物も多くなりました。警察官人生四十二年、人間を見て、人間の真実を先読みし見極めをすることばかりを仕事として参りましたから。人間というものの心の変化には老害があれこれと思うことがありますのはどうかお許しください。
 小生のことを多く語るのはやめましょう。
 貴殿には本日、綾瀬周辺でK組の仕事にお付き合いいただきました。その中で私に万が一何かがあり、私という警察官の積み上げてきたことが引き継がれなければ警察組織にとっての痛恨であるとの、身に余る光栄なお言葉をいただきました。更には、この痛恨について貴殿と金石元警部補との警視庁時代においても、類似する後悔があるのだとの説明も頂きました。
 組織に認められずとも真実を追い続ける種類の古参の警察官を小生は幾人か見て参りました。そういう先輩は仕事に素晴らしく情熱がある反面、唯我独尊、経験があることを良いことに、その先人固有の捜査方針に驕り、後進に何かを残そうという意識に欠けがちになります。かくいう小生もそういう頑迷な刑事の一種類ではありましょう。また小生の知る限りあの金石にもそういうところがありました。自分の仕事に自信があり、組織内の調整手順よりも真実の追求を重心に動いているのです。時に誰よりも情報を集めますし、真実にも近づくのですが、やはり組織の都合というものと対立を起こしがちではあります。
 銭谷警部補、貴殿がおっしゃる通り、そういう独尊型の刑事に、万が一の事故遁走失踪の類があれば貴重な情報が大量に失われます。我々公僕は血税で成り立つ生活者です。この小生といえども作業を重ねてきたものを何一つ残すことなく頓死するならば、それは頂いた税金に申し訳が立ちません。つまり、そういうことでございます。小生、貴殿のお言葉をお聞きし恐怖いたしました。いまペンを取れたのは貴殿が強く指摘していただいたからです。誠にありがたい事です。
 殆どの内容は頭の中に既に完成してあります。それはいつか書けば良い、書かなくとも解決すれば伝わるから良い、という意識で自分の奥に放置されてきたのです。貴殿に指摘されこうして筆を持つと、小生の中にあった驕りが若干の収処をします。自らを反省する気持ちも芽生えます。そして心に覚悟ができます。一晩でどこまでかけるかわかりません。しかし、明日万が一、何かがあるかもしれないと思うと、不思議と筆が進みそうな予感がします。
 さて、どこから書くべきかを自分と相談します。
 貴殿は小生そのものをご存じない、ほとんどを知らないと思います。なぜ小生が少し変わった警察官人生を歩むのか。K組のような担当外に出入りをするのか。公金横領だなどというケチがついて追放まで受けた身で何を曰うのか。今、小生が貴殿に伝えたい内容について、その前段たる来歴を開示せぬままでは、本末が転倒する恐れがあります。恐れと記載しましたのは、人間は多くの場合、ご自身の常識感覚と合わない情報には耳を塞ぐからです。常識的なパラダイムを転覆させるような言葉には、脳が拒否する可能性もあるからです。
 伝えたい内容ーーこの手紙の末尾に同封あるものは多くの証拠物の複写です。これらはA署にまつわる重大な情報であり、提出する場所を選べば大変なことになる内容であります。しかしもしかすると、前段もなくお渡しすれば、この証拠物の意味が正確に伝わらないかもしれない。長年時間を共にした署の同僚や仲間を売り飛ばすだけの、サモシイ人間と見えるかもしれません。部分を切り取れば、正義が悪魔にもなる。これが情報や真実の難所でしょう。ややもすれば正反対の誤解さえ伝えることになることもあるのではないでしょうか。
 ですから、少しだけ遠回りして、小生のことについて、少しだけ触れさせていただきたいのです。そうしてから全体をお伝えできれば小生はこの証拠物の意味が正しく伝わり、万が一の場合には命懸けで貴殿が扱ってくれるものと信じます。
 こうやってペンをとり、言葉を書いていると、感無量になります。小生はこれまで自分の仕事を自分の脳裏だけで完結してまいりました。こうやって文字にして誰かに読んでもらったことはないのです。言葉は残ります。書いた人が死んでも残ります。そのことに少しの興奮があります。小生は、貴殿にお会いする以前から、こういう風に文言を心の中で集めていたのでしょう。自分でもわかりません。言葉が、次々と書いてくれと自分の脳で暴れます。どうか余すことなくお伝えできれば、それで幸福だったのだと思ってください。
 小生は本日、貴殿とK組の事務所を回りました。
 その中で、一度「葉書」と言う言葉が、彼らとの会話の中で唐突に出たのを覚えているかも知れません。実はあれは偶然出た言葉ではございません。偶然どころか、言うなれば十年、二十年を遡る理由を持ちながらあの場に言葉にされたものなのです。
 彼らの中で、幾人かの人間にこの葉書が送られています。送り主の名前は書かず、住所と氏名のある表面の宛先と、裏面にただアルファベットが一文字あるだけのものです。これが一人当たり十四枚送られています。
 意味が不明の葉書です。
 しかしこの葉書は或る設計がされていて、ある過去の殺人事件に紐が付いているので...

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