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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 222 章 七 銭谷新太郎

七 銭谷新太郎

 石原からの着信だった。
「銭谷警部補、警視庁のメールを見ましたか?」
 声は、焦っていた。わたしは何かが起きたのを予感した。
「どうした?」
「捜査一課現場各位に、小板橋巡査部長から一斉通達が入っています。都内の埋立地沖合にて重大な殺人情報。それも、女子高生コンクリ事件の関連とーー。」
「なんだそれは?」
「私もわかりません」
「どういうことだ。」
「考えられないです。」
「……。」
「まさか、金石元警部補は、我々が暗号を見つけられない時のためにこう言うやり方をしますか?」
「金石が?」
 わたしは押し黙った。混乱ですぐに正しい言葉が出ない。
「最終的にはこういう手段を取ったりする人間か、という意味です。」
 ありえない。それでは金石の人格と矛盾する。警察が暴走して遺族に向かい、メディアも遺族を材料にする。そうやって向かう世の中の方角は金石のもっとも嫌うものだ。ありえない。そんなことはないはずだ、と言いながら、わたしには否定する言葉が出ないままだった。
「あ、待ってください。小板橋巡査部長です。彼からの電話です。銭谷警部補、一回話を聞いてみます。こちらのことは一切話さないつもりです。」
 石原は一旦電話を切った。沈黙が訪れ、冷静になろうと努める。一体これはどう言うことだ?
 (まさか、金石が?)
 わたしが暗号に気が付かないときのために?石原が今指摘したように、つまり最初からメールを捜査一課宛におくるつもりだったのだろうかーー。
 いや。
 ありえない。
 わたしは自分に言い聞かせた。ありえない。
 遺族をメディアの道具に使うことなどは、金石においてありえない。
 すぐさま再び石原から電話が鳴った。
「どうだった?」
「小板橋さんから応援要請がありました。」
「うむ」
「夜勤で今はまだ動けない、と誤魔化しました。」
「夜勤じゃないことは知ってるだろう。」
「でも、いまこの場を抜けることは無理です。」
「……。」
「たぶんかなりの人数に動員がきています。」
「そうか。」
「小板橋さんは、すでにご遺族に向かっているようです。課長から特命があったと。女子高生コンクリ事件の被害者遺族を、はれ、と」
「馬鹿が。やりやがった」
 わたしの隣にいた軽井澤氏が顔をこちらに向けたのがわかった。
「メディアに入るのは時間の問題かもしれません。」
「しかしどうして?タレコミは誰からきたのだ?」
「小板橋巡査部長に聞きました。特定不明のメールからのようです。」
「特定不明のメール?」
「捜査一課の複数名にメールがあったのだそうです。」
「なんだと?」
「特定不明のメール、は一人一人別々にアドレスを変えて送付しているそうです。」
 わたしはその言葉をそのまま金石のメールが毎回アドレスを変えて送られてきた私宛のメールの事実に重ねた。
「金石元警部補ですかね?」
「メールは誰宛に、いつ送られたんだ?」
「わかりません。小板橋巡査部長含めた捜査一課の人間複数名に送られているようなんです。そのメール自体は私にはきていません。」
 その時だった。
 わたしは画面を疑った。
 早乙女という文字が着信画面に表示されている。
「すまん。早乙女からだ。」
「早乙女捜査一課長からですか?」
「やはり、小板橋と奴は近い。朝から動いているんだろう。」
「なるほど、了解致しました。一旦課長との会話を優先されてください。こちらを切りますね。」
 登録が残っていたことさえ、忘れていた。何年振りの直接の電話だっただろう。わたしは呼吸を整えてから緑色のボタンを押した。
「銭谷か、いまどこにいる。」
 冷たい冷静な声だった。
「……。」
「銭谷。聞こえているか?」
 本当の譲れぬ命令を下す時にはそういう呼び方と立場を強調した口調になる。それが官吏の特徴であり、わたしがこの世を去りたくなる理由である。人間の虚しさの典型がそこにある。
「コンクリ事件の加害者、つまり当時の少年三人への殺人宣言があった。いまから動く。かなり急ぐことになる。各捜査員の中で動ける人間が必要だ。今回特別に謹慎中だが、特例的に…」
「動くのは待った方が良い。」
「なに?」
「今はまだ、動かない方が良い。」
「待てとは、どう言う意味だ?この電話はお前の意見を聞くためにかけたわけではない。」
 大事な場面で高圧的な言葉になる。普段のあだ名で部下を呼ぶような、臆病を演じた配慮のある態度が消えている。
「何か知ってるようだな。おまえまさか。」
「メディアに入れるな。」
「どういうことだ?繰り返しだがこの電話はお前の意見を聞きたくてかけてるわけではない。」
「メディアに入れれば、どうなるかはわかりきっている。」
「それはメディアが決めることだ。」
「ちがう。警察側でメディアの向かう方角はある程度はコントロールできるはずだ。」
「ずいぶん強引な発想だが、おまえは今の自分の状況を理解しているのか?」
 わたしは言葉を一度止めた。そして細かい説明をするのをやめ、
「遺族はそんなことはしない。」
 とだけ言った。その文言で早乙女はある程度はわかる。実際に遺族と会ったりその涙に触れたりはしない男だとしても、こちらの意図する最低限の意味は理解できる。
「警察史上に残る恥をかくぞ。」
「どうだろうな。こんなメールを送られて、動かずに時間を過ごした、という手順のほうが、見た目は悪い。」
 警察内部の見た目の問題で、三十年も前の遺族の傷口に塩を塗り直すのか?という言葉が脳に落ちた。埋立地特有の朝の風が冷たく強く吹いた。視界にある東京湾と脳の中の突然の会話が自分を分断させている。軽井澤氏が非現実のような顔をしてわたしの会話を見つめていた。
「遺族への配慮は?」
「銭谷。勝手な真似は許さんぞ。」
「質問をしている。ご遺族への配慮は?」
「あくまで重要参考人としてだ。死体は東京湾第八号埋立地、通称令和島にあるという。いずれにせよ、あの事件の少年ABCDが殺されてるなんてなれば、メディアは抑えきれん。」
 そうだ。お前はそういう手配をする。
 だが早乙女、お前のその情報は、お前の目ではなく、メールで得た程度だろう。そのメールを信じて大量の警察官に暴走させ、自分では動かず、メディアの現場にも歯止めをかけず、遺族の声など聞いたこともないまま、ただただ自分の見た目と立場だけを守ろうとしている。その中に欠けているものがあるのが何故わからない?ひとりの被害者の人生を、お前のつまらん権力維持のために使うこと、彼らに塗炭の苦しみを再燃させることになぜ気がつかない?
 何故気が付いてくれないんだ、気が付いてくれてもいいじゃないか、という言葉を集めながらわたしの自意識はもがいた。しかし、無念な結論がそこに落ちた。
 そうだよな。
 早乙女課長。
 お前は最初からそういう人間だったよな。
 人間は変わらないってことだろう。
 そういう考え方を持っていたから出世したんだよな。
 お前みたいな人間が力を持つ。
 そういう世の中だからな。
 !
 その時に直感が頭を小突いた。
 なぜか、脈絡なく金石の言葉が落ちてきた。わたし以上に警察に不満があり、誰よりも警察を愛していた男の言葉だった。
 (地雷ーー。)
 金石の言葉だった。いや、シラフ...

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