二百六 祖師谷 (赤髪女)
昨夜は一晩中家に帰れなかったから、産業廃棄物のような変な臭い含めて体中の汚れを流したかった。赤髪女は軽井澤と埼玉で別れた後、真っ直ぐに祖師ヶ谷大蔵の部屋まで戻った。突発する薬物的な不安は一旦消えている。家に着くと心が少し落ち着いた。シャワーを浴びているときは禁断症状が起こりにくい。目を瞑り、ただ脳天から熱い湯を浴びた。滴る水流が気持ちを癒しながらぽたぽたと頬から落ちた。
浴室から出ると、赤髪女は部屋のいつもの壁にもたれた。
昨日、軽井澤探偵の尾行の途中で指示者が言った言葉は強烈だった。
「わざと捕まるのですか?」
「そうだ。」
「なぜですか?」
「質問はしない約束だ。」
「しかし」
「とんまな尾行をすればいい。探偵も気がつき始めている。時間の問題だ。」
「捕まった場合は。」
「尾行をしたくらいで、警察に連れて行かれたりはしない。まずは捕まればいい。むしろ探偵の側も、今お前から情報を取りたいと思うはずだ。」
「……。」
「その中で、今持っているGPSをうまく、奪われるようにしておけ。」
「GPSを?」
「ああ。人間は、そういう情報に振り回される傾向にある。それを使う。」
「しかし」
「簡単だ。尾行して、捕まり、荷物を奪われればいい。できれば穏便に済ますために、相手になんでも協力するとかいう小芝居を打ってもいい。いや、それがいいだろう。」
「でも、そんなことをしても。」
「あの連中が、お前に危害を与えると思うか?」
「……。」
「様子を見て逃げればいい。仕事としてはそれだけでいい。」
赤髪女は、かろうじて小芝居を打った。指示者の言う通りに尾行を勘付かせ、自ら軽井澤に捕まった。そしてGPSを軽井澤探偵に奪われた。GPSに興味を持つようにカバンを開けさせ、情報を小出しにしたのだ。これはうまくいった。軽井澤探偵は明確に興味を示した。GPSの情報をもとに情報を追うようになった。そして、あの機械の使いかたも覚えた様子だった。
うまくいったのは確かだが、それにしても指示者の細かい言葉ーーたとえば軽井澤からの信用を得るために、元あったマツダ車のGPSをはずせとか、自分から見せずにカバンは相手が見るまで開示するなとかーーは異常だった。しかし、そのことで軽井澤から信用を得たのも事実である。
それにしても指示者は勝手だ、と赤髪女は思った。
あの探偵が悪い人間なら、埼玉の奥地で何が起こったかわからないではないかーー。
たまたま好人物だったから助かったに過ぎない。むしろ逆で自分が癲癇を起こしたのを病院に連れて行ってくれたりするほどの好人物ではあった。どうも作戦が秀逸というよりも結果的に、どうにかなったという印象が否めないでいる。
やはり違う。
変わった。
以前の長閑で、ほとんど修正のない命令系統がーーあの埋立地で後ろ手を掴まれたあの男のような冷たさが背後にあるとはいえーー赤髪女には合っていたのではないか。いまの指示者は小賢しく計画が綿密だが、その綿密さが見透けて感じてしまう。
赤髪女は、部屋の壁にもたれたまま、タバコに火をつけた。
いずれにせよ、二つの仕事は分けて考えねばならない。あの岩のような背後をとった男は言っていた。
「仕事を混ぜるな。誰か別の人間がお前の脳天を撃ち抜くかもしれない。」