二百二 追跡 (御園生)
翌日僕は墨田区のタクシー会社にいた。
タクシー会社に電話を入れ、昨日夕方から夜にかけて、青山墓地から東京湾を回った客だという話をして、運転手を調べてもらい会いに行ったのだ。会ってみて、本人と違うので運転手は驚いた。
「なんか、あったんですか?」
「いえ、警察ではないですよ。こちらつまらないものですが」
僕がお金の入った封筒を提示すると、浜島と名乗った運転手は表情を変えた。
「いや、そんな、そういうつもりではないですけどね。」
朝から僕はX重工に行った。江戸島は面会謝絶で何度頼んでも駄目で、しつこくすれば警察を呼ぶような話になりかねず、次の策としてこのタクシー会社にきた。
「何かわからんのだけど。」
浜島という運転手はサングラスをかけた東北弁で、
「あの方って、つまり、その年配の役員風情の方だべ。ナンデモ知り合いが、道路さ汚しちまったのを、掃除しなくちゃいけないと。それで、わざわざ知り合いの工場があるからと、羽田を回ったんで。へえ、何だか偉い方のようには感じましたが、そんなケーダンレンの方とは露しらず。」
「あの工場ではなにをしてたんですか?」
「工場?ああ、品川のですかね。」
「はい。そうです。」
僕が明確にそう言ったので、浜島運転手は捜査か何かだと感じ始めていた。東北弁が標準語に変化した。
「何かトランクに積んだと思います。手伝おうかと言ったら手が汚れて悪いから、運転席にいていいと言われました。私はてっきり、糞尿みたいなものを洗ったりするのかと思いました。はい。そのかたは、ちょっと汚いからごめんと繰り返していました。」
「なるほど。」
僕はそこで追加の封筒を差し出した。
「浜島さん。運転手さんにひとつお願いがありまして、今日このあとお付き合い頂けないですかね?」
僕はそこで昨日の道のりをもう一度、走ってもらうお願いをした。景気の悪いであろう運転手は目を輝かせた。
「私もできることはいたしますよ。ちょっと会社に話してきますね。捜査関係って言っていいですよね。」
「任せます。」
浜島ドライバーは昨日江戸島の乗っていたタクシーに僕を乗せ、墨田区から首都高に乗り大田区の方面へ向かった。
「湾岸高速で良いですかね?それとも、青山墓地からなぞりますか?」
「いや、工場からにしましょう。」
僕は、尾行していたとまでは言わず、浜島ドライバーの運転で、江戸島がタクシーを降りた最初の工場へと向かった。
工場の担当者は年配の男で、
「X重工の関連の方からの依頼だったのですが、特に何かを喋るなとも言われませんでしたがね。」
と、むしろ開けっぴろげだった。江戸島は、自分の会長という立場を言わなかったのだろうか。この程度の町工場にそんなことを言えば、社長の対応になるだろうし、何かを喋るのも気を使うだろう。
「いや、除光薬が欲しいって言うので、用意しておいて欲しいと昼に電話があったんです。X重工で、以前お世話になったものだと。勤務中に伺うから、名前はすいません、とのことでした。どんな方が来るかって思ってたんですが、多分ご本人だと思います。まあまあお歳の方だったので少し驚きましてね。除光薬品は、あんな感じの缶缶ですよ。」
「これは何か塗料みたいに塗るものですか?」
「塗料じゃないです。まあ、消しゴムというか、その薄め液ですよ。」
「薄め液。」
「よく、落書きとか、あるでしょ。スプレーとかで壁に。ああいうのを消す薬品です。ああ、それと、手ぶらだから、そのブラシも使いかけでいいので買い取らせてくれというんで、あげましたよ。」
「ああ。」
「それが、結構なお金を渡されたので逆に驚いちゃって。」
「そうなんですね。」
工場の担当の中年男は、そこで嫌な笑い方をした。
「まあ、話としてはそれくらいです」
昨日江戸島に渡された大金のせいか、工場の男は特にこちらに礼金を求めもしなかった。サングラスの浜島運転手は僕が戻ると、スマホでゲームをしているようだった。
「何か、わかりましたか?」
「いえ、特に。ただ、タクシーに乗り直した時、ブラシのようなものを持ってましたか?」
「今思い出しました。何だかフクロのようなもの持っててね。そこにブラシが入っていましたよ。ちょっと汚しちゃったんでね、と聞いてもないのにおっしゃったんです。」
「なるほど、ですね。」
僕は工場の担当者とタクシーの運転手の言葉が一致したのを確かめると、タクシーに乗り直し、昨日江戸島と辿った道をそのまま再走してもらった。沿岸の工場の並ぶ羽田界隈を抜け、一旦内陸に戻っていく。そして切り返すようにして名前もよくわからないトンネルに入った。昨日は夜で気が付かなかったが、東京港臨海道路と書いてある。トンネルの坂道を下って海の底のさらに下へと入っていくトンネルは、さほど長くもなく、すぐ地上に上がった。今度は埋立て途中の更地に道が一本まっすぐ、例のゴールデンゲートブリッジ(金門橋)へと続いていて、橋へと登っていくにつれて道路からの視界が開けた。左にお台場越しの都心のビル群、右に東京湾ごしの太平洋が広大に広がった。
ふと昨夜は気が付かなかったが、東京湾の沖合側に向けて巨大な生簀(いけす)のような区画がずいぶんな範囲に広がっている。一眼見てもお台場や有明などのどころではない面積に生簀が広がっている。
「あれは何ですかね」
「ああ、あれね。」
運転手は少しうんちく風に、
「たまにこの道を羽田へのお客さんで通るから聞かれるんだが、あれは処分場ですよ」
「処分?」
僕は耳慣れない言葉を聞き返した。
「地図なんかじゃあ海面処分と書くんだけどね。意味がわからんまま、そう呼んでるんだが、ようするに東京で出るゴミを処分して、あそこに埋めてるんです。」
「ゴミを?」
「そうです。まあ、何年か後に、立派なお台場みたいなビルが立つんですよ。」
恐ろしく広大な敷地が海に、外枠だけ防波堤のように伸びて、台形の生簀に区切られている。その中の「海面」は、海水と違い少し緑を帯びていて、何か濁っている。確かに外枠近くのあたりから少しずつ土が見えて、埋め始めているのが判った。
「どこかの山を削って土を持ってくるのではなく、人間の出したゴミで埋め立てるのですね。」
「まあね。人間が出すゴミが多すぎるんでしょう。山奥でも産業廃棄物とか問題だっていうけど、海も同じで。東京都が随分勝手なことをやってるんで、都会のゴミは、海とか山の遠いところに、とりあえず処分する。とりあえず、行き当たりばったりでね。遠い未来のことなんかお構いなしなんで。」
浜島運転手は東北弁のイントネーションを所々に戻しながら、叙情的な言い方をした。それはさほど僕には嫌味には伝わらず、若干詩的な気分のまま車は橋を渡り終えた。
「その角ですね。あの信号から入って左の海側の道です。そういえば、明確にどの道を曲がるかもご指示されてましたよ。」
「江戸島が行き先を細かく指示してたんですね。」
「もちろんそうですよ。私はこんな埋立地に詳しくないです。タクシーはみんな幹線道路を通っても空港の送り迎えですから埋立地で右折や左折はしません。曲がった先の埋立地そのものの土地には詳しくない。この信号の先を若洲っていうんですが、殆ど住んでる人がい...