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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 203 章 百九八 重体 (銭谷警部補)

百九八 重体 (銭谷警部補)

 地下鉄車両での太刀川との口論の間ずっとわたしは目の淵で金石を探していた。太刀川が降りた後もその車両に金石がいるかもしれないと思って探した。しかしわたしより身長の高い人間でさえいなかった。
 どこをどう歩いたのか思い出せない。気がつくと日比谷公園と皇居の間の道を歩いていた。夏を名残る、紅葉前の充実した街路の緑が、奇跡のような風にゆっくり旗めいている。
 警視庁のビルが見えてきたのと、わたしの私用の携帯電話が鳴ったのは同時だった。朝から何の説明もなく尾行を混乱させた石原だと思って、詫びる気持ちで出ると、違った。わたしは、私用の携帯電話の番号を教えたもう一人を忘れていた。
「銭谷か。たいへんなことになった。」
 いつも朗らかな是永の声が、冷静ではなかった。
「いいか。落ち着いて聞けよ。槇村又兵衛刑事に事件があった様子だ。」
 繰り返しだが、是永は警察学校の同級で、別々の配属だったが、又兵衛刑事のいるA署にいる関係で、いくつかの調査を頼んでいる。
「事件?」
 わたしは、はっとした。昨日のK組との記憶を辿る。危険を感じていたことだが、まさか、と思った。
「情報は、表に出さないことになってる。」
「表に出さない?」
「警察として発表しないってことだ。」
「どういうことだ。」
「又兵衛刑事は、顔面を切られ、舌を切られ、手足、特に指をやられているらしい。」
「……。」
「意識がない。いわゆる重体だ。」
「まさか、酔っ払って、転んで自業自得だっていう話ではないだろうな」
「勘がいいな。」
「……。」
「おおよそ、そういうことだ。でなきゃ、メディア集めて犯人を探す記者会見をするはずだ。警察官が何者かにやられてるならば。」
「なぜそうしない?」
「発見した警官がいち早く本人の警察手帳を確認し、すぐに署内で検討をしたようだ。それは交番経由で聞いた。」
「……。」
「強めの緘口令が敷かれている。要するに一見、何者かに襲撃された様子があるのだが、無理やり自殺未遂のように整理したんだ。」
「自殺未遂?どうして顔面を切られ舌や手足を自殺でやるんだ?A署はそれでいいのか?」
「わからんーー。ただあの人は特殊だ。絶妙なタイミングでもある。」
「絶妙?」
「例の処分だよ。懲戒解雇の。」
「……。」
「そのことついては前回話した通りだ。警察組織には上意下達がある。とにかく、そのせいであの人はすでに、現役の刑事でもなくなっている。」
「すごい屁理屈だな。」
「そうだな。」
「そもそも、警察に命を捧げてきた人間だろうが。」
「……。」
 是永に突き付ける台詞ではないのはわかっていた。でもわたしはそういう言葉を言わずにはいられなかった。
「是永は、舌を切られてるのを何故知ったんだ」
「噂は回るんだよ。少しの良心を心の奥に持ちながら、本当の意見を言えない人間が溢れているってことだ。みんなちゃんと見て知って、そして見てない振りをしてるんだ。」
「で、今どこにいる。」
「病院の名前だけは完全に伏せられている。又兵衛さん、独り身だからな。」
 まるで、独り身だから、こういうやり方もありだった、という響きだった。わたしは自分の思ったことを言葉にしなかった。
「あの人、反社周りを捜査していただろう。まさか虎の尾を踏んだのかもしれん。舌を切り付けるって、常識ではない。通りすがりの通り魔ができる芸当を超えている。つまり、脅しとも取れる。」
「脅し。」
「口は災いの元、だということだろう。問題は誰が誰を脅しているのか、ということだけどもな。」
 わたしはK組の周りの自分の知っていることを言わなかった。金石が言っていたように、情報は相手に責任を渡してしまうからだ。是永にそこまでさせたくない。
 又兵衛刑事との最後の会話を思い出しながら、いくつかの後悔の気持ちが自分を襲った。それは間違いなく、金石との連絡を取れなくなったあの日と同じ焦燥だった。
「まずは、病院を調べてくれないか。できればでいい。是永にも迷惑をかけられない。」
「重体は確からしいぞ。意識を出させては困ると言うことなのかもしれんが。本来は、殺したはずが、奇跡的に生きてしまったのかもしれない。」
「そうかもな。」
 又兵衛刑事は、昨日わたしとK組の作業を進めた。なぜ、あそこまでヤクザに対して、結論を迫るような確信的な態度で望んだのかはわからない。もしかしたら懲戒解雇で焦ったのもあったのかもしれない。今となっては昨日別れずに全てを会話しておけばよかった。いつかは話す、と言いながら大切な情報は保存されることが少ない。悪魔が口封じをするとすれば、尚更だ。
 わたしは金石の時と同じ、全体が真っ白になっていく感覚を再び味わった。
 二度と味わいたくはない記憶だったはずなのに、なんでこんなことをーー。

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