十七 別名の就職(軽井澤新太)
わたくしは、毎週2回ほどボクシングのジムに通っております。乃木坂から地下鉄千代田線にのり二十分もすると、多摩川まで参ります。ボクシングのジムのある河川敷まで歩くのです。
好青年の御園生君に手を振るとわたくしは、風間の不気味な葉書などを一切雲散霧消すべく、サンドバックを叩ける場所に向かいました。
わたくし軽井澤が、御園生くんを弊所に参加させるようになったのは、およそ三年ほど前のことで御座います。まず申し上げますと、彼はわたくしが以前所属していた企業で、大変お世話になった先輩の御子息なのです。
しかし、そのようなお世話になった方のご子息を何も、探偵稼業などに巻き込まなくても良かろうという、世間様のご意見も当然あるかと思われます。かくいうわたくしも、そのようなものの見方をする人間の一種類でございます。大切に育てて立派な大学にまで行かせたものを、何故、大手の企業に就職させずに探偵にというのは親心からすると複雑で御座います。小説やドラマの世界ならまだしも、昭和の昔、甲乙丙丁の丙業種とも言われた探偵稼業でございますから。
これにはわたくしも、一定の言い訳がございます。実は彼は、最初は御園生という名前ではなく、別の佐藤翔太という名前で、弊所に就職希望をしたのです。ご承知の通り、わたくしどもの仕事は、大企業と違い、新人を研修させる余裕などございません。新卒のようなものは当然断らせていただきます。それが、どうしても、頼む、というのを幾度も繰り返したわけです。やむを得ず、採用させて頂いたのです。もちろん別の佐藤という名前ですから、御園生先輩の、ミ、の字も想像できませんでした。
見習いという形で仕事を幾つか渡すようにしました。基本的にわたくしの雑務の手伝いと言ったところでございますが、これが何を任せてもしっかり対応し、みるみると成長をして参りました。安月給にも不満さえなく、朝から晩までよく働くのです。見習いどころか、わたくしにとってもなくてはならない存在にさえなり、これは随分有難い見つけ物をいただいた、と思っておりました。そうして、二年ばかり過ぎたとある日、突然、
「わたしは、子供の頃、あなたに抱っこされたことがあるんですよ」
と、その佐藤青年は立派に言ったのです。二年ものあいだ、そんなことも想像だにせずに過ごして参ったわたくしの脳がどのような反応をその場でしたのかはいつかまた後日何らかの形で申し上げるとだけ、させてくださいませ。もっとも、もし、御園生先輩がまだ存命であればこのようなこと自体が、最初から起きなかったかもしれない、もっと言えばわたくしも探偵をやってはいなかったかもしれないのでありますから、人生というのは不思議なものだと申し上げざるを得ぬのでございます。
弊所の所属である、御園生くんの紹介として上記が適切かはさておき、まず当面は、若い割にはなぜか、当事務所のために必死に働こうとしてくれる不思議な若者とでも思っていただくのが適切かと思われます。補足として、御園生くんは、父親の面影はほとんどございません。(それが故に、佐藤と名乗った嘘を信じたのです。)恐らくお母さまに似たのでしょう、誰もが嫉妬するほどの美男子でもあります。ただ、今時というよりもむしろ、少し昭和の香りがするあたりは、御園生先輩の遺伝なのかと思っております。