十六 八百億 (御園生探偵)
僕は、十四枚の葉書を、壁に貼り付け、並び替えるのを繰り返していた
E R T K U A A C S W C E O
アルファベットの順に並べ替えると
A A C C E E K N O R S T U W
見当も付かなかった。
「そもそもなぜ、風間は我々に頼むのですかね。」
「我々に?」
「はい。」
「うむ。そうですね。特に理由はなかったのかも知れません。」
「初回相談無料という広告の設定だけ、が理由だったんですかね。」
Google検索で、探偵、初回無料、という言葉を設定したのは僕だ。もちろんこれは、最初の面談までと言う意味なのだが。
「どうですかね。わたくしは、そこは詳しくはないのですが。まあ、警察に行かないいうのも、変ですよね。」
軽井澤さんは、Googleのことは分からないと言う表情のまま、壁のアルファベットを眺めた。
「警察にも行かないのは、なんとなく、彼がスネに傷がある、と言うことだとは思うのですが、我々にも、この葉書の14枚の説明ももらえないと言うのが、よくわからないですよね。」
「おかしな人ですよね。」
「後ろめたい過去があるのか。それとも、何らかの犯罪が絡んでいて、話せない事情があるのか。どうなんでしょうかね。」
そのとき僕の電話が鳴った。
「レイナさんです。」
僕と軽井澤さんが事務所にいるということで、スピーカー対応での会話になった。
「今大丈夫でしょうか?」
「御園生です。はい、もちろんです。」
僕は、少し今までの澱みを振り払うように声を立てた。
「昨日の新しい調査先の件を考えてみたのですが。資料のほう、御園生さん、ありがとうございました。」
「いえいえ」
「実は、私の専門はインターネットですから、物質的な葉書は簡単なのでは無いのですが、一応宛先が手書きだったと言うことでその本と手書きフォントについてはあらゆるメディアを探させていただきましたが、これが、出てきませんでした。」
一つ一つ調査が始まっていることを感じた。調査とはアイデアだともおもう。誰もみたことのない場所に向かっていく感じだからだ。
「まあ、手書きをさらすと言うのは多くのリスクもあるため、ほとんどの人が避けるのも事実です。ましてやこの風間の関係者である四十代五十代の人間となると確率はほぼゼロに近くなってくるかもしれませんね。」
レイナさんの美しい声が沈黙の中に響いた。
「ありがとうございます。ちなみにレイナさん、追加の葉書のほうはご覧になりましたか?今朝方送らせていただいた通り少し奇妙なもので。」
僕は、追加の葉書のこともレイナさんの意見が聞きたくて伝えた。
「はい。電話はその確認でして。この葉書は、十四枚も同じような葉書を送りその十四枚にアルファベットの文字を別々に書いて送ってきたということですね?そして、おそらく風間はその意味を知っているけども、意味の前に、この葉書を送ってきた人間を突き止めて欲しいというのが、今回のご依頼になる。」
「そうです。」
「なるほど。かなり奇妙で珍しい依頼者ですね、風間という人間は。あの十四枚の葉書が何を意味しているのか、御園生さんや、皆さんの方ではどんな議論になってますか?」
「はい。なかなか行き詰まっております。並べ替えによって無限に言葉が並ぶような気もしておりまして。」
僕がそういうとレイナさんは
「まぁそうですね。ざっと14文字だと、八百億通り位ですかね。現実的ではないかも知れない。」
「ちょっと待って下さい今なんて言いましたか?」
「現実的ではないと。」
「いやその前の」
「ああ、八百億通ですか?」
「なんでにそんなに数値に?」
「階乗の計算、だと思います。」
「ええと」
「まあ、調べればすぐわかります。また何か進捗があれば、私の方でももう少し調べてみますね。」
僕は笑ってしまった。
「八百億」
「すごい話ですね。」
「ちょっと、無理かな」
「そうですね。」
不気味さの上に面倒臭いと言う言葉がかぶさった。二十万円の前金をもらうために、このクイズに向き合うような気分は遠ざかった。少しずつ壁の葉書への興味は薄れた。
レイナさんの確認が終わって電話を切ると、我々は、自然と、通常の不倫身辺調査や、ペットの追跡などの基本案件の整理に戻った。お昼を過ぎる頃、軽井澤さんは、
「今日はわたくしは早めに、失礼する予定です。」
といった。頭を切り替えたいのもあるのだろう。
僕は引き続き事務所で事務を続けた。壁の葉書は不気味ではあったけれども、あくまで、この時の段階では、不気味な依頼人が金も払わずに、我々に頼ってきた迷惑な案件に過ぎなかった。金を払わない顧客を客とは言わない。無視しておけばよいはずだった。