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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 18 章 十五 日比谷松本楼(銭谷警部補)

十五 日比谷松本楼(銭谷警部補)

「銭谷警部補」
 小さいがよく通る若い女性の声だった。わたしは、その声の方を振り返る気さえあまり起こらなかった。近頃、本庁舎に居心地の悪さを感じてるからか、昼飯だけでも独りで外で食べようと思い、まだ昼になる前からエレベーターを待っている時だった。石原巡査は、わたしを、ふと偶然という様子で、見つけたように話しかけた。
「銭谷警部補。お昼ですか?」
「ああ」
「どちらに?」
「決めてはいない。」
 一瞬、間合いがあった。
「お付き合いさせていただいてもいいですか。」
 そう言いながら、石原巡査は閉まりかけるエレベーターに乗りこんできた。早い昼のせいで、食事に出るのは、我々二人だけだった。日比谷濠側に我々は歩いて出た。
「質問をしてもよろしいでしょうか?」
「かまわんよ。」
「銭谷警部補は、なぜ、太刀川龍一を追ってるのですか。」
「興味でもあるのか?」
「お茶係、が出過ぎかも知れませんが」
「そういう係は、過去のものだ。男女は平等に仕事をする、という時代だ。」
 わたしは平坦にそういった。言葉は嘘ではなかった。パワハラ警部補になったらもう言えなくなる言葉かも知れない。
「失礼しました。なるほど。」
 わたしは、せっかちだから歩く足が早い。濠端を法務省の横を通り、日比谷公園にむかう信号で止まるまで一気に歩いていた。止まったところで、石原巡査はやっと続けた。
「なぜ、太刀川を追いかけているのでしょうか。」
「必要があるからだよ」
「必要。」
「そうだ。」
「既に彼に関連する死亡事故は、解決済みかと」
「誰が決めた?」
 私が強めにそういうとさすがに若い女性巡査は表情を少し臆した。顎の線から口元にかけて美しい静寂、がある。天気の良い日で、皇居の緑が、雲ひとつない青空の下に輝いている。街路樹の作る影が色濃い。
「誰と言うか、その、すいません。」
 何を答えてもこのわたしは論駁するつもりだったのだが、石原巡査は沈黙したままだった。
「カレーでいいか?」
「はい。なんでも。」
「歩かせて悪いが省庁の食堂が最近嫌いでな。」
 警視庁からレンガ作りの法務省を越えたところに日比谷公園が広がる。東京市の長者番付の常連でありながら、退官後財産のほとんどを寄付したという明治の人間がここにある樹木の一つ一つを設計したことはあまり知られていない。わたしがこの公園を好きな理由のひとつだ。松本楼はその日比谷公園の真ん中にある。
 ここのカレーは、どんな二日酔いも解決してくれる、と個人的には思っている。ドラム缶で食べ続けたいくらいだ。
 *
 初めて金石と会ったのも、この松本楼だった。
 あの日、刑事のランチには贅沢なカレーを前に、我々はお互いを探りあっていた
「あんたは」
 一般的には巨大な警視庁の中で、捜査一課が二課の警察官を互いを知るような事はない。私たちは完全な初対面だった。
「ずっとこっちで?」
「ああ。捜査一課でほとんどだ。最近では珍しいかもしれない。」
「自分は最初、綾瀬で。」
「ああ、綾瀬。」
 二人は同期だ、という早乙女係長の説明で、わたしは敬語を使わなかった。二人とも会話が噛み合わず、松本楼特有のbuffet形式をいいことに、三度くらいカレーを自分の皿に掬い直した。松本楼の昼は当時から洋風と和風と二つのカレーが並んでいた。ずいぶん満腹になってから、ようやくお互いに事件に対する考えを少しずつ、話し始めた。無論太刀川という男についてである。
 この時点では、六本木事件はおきていない。わたしは沖縄で怪死した太刀川の子会社の人間について疑惑を持っていた。そのことに紐づけて、太刀川に対する一つの疑惑を持っていた。この疑惑は沖縄県警との線引きもあり進められていなかった。不満を持っていたわたしにある意味、ガス抜きの意味を込めて捜査二課で太刀川を追っているという人間を繋いだのは当時係長だった早乙女である。
 捜査一課は殺人を中心に切り口を強く設計する。ある意味殺人事件が起きた瞬間からが沸騰した作業の始まりだ。捜査二課は逆に知能犯を前提に動く。金石は太刀川の周辺の華麗なる人脈の周辺をずいぶん長い間内偵していた。
 話を始めてみると、金石は話がうまく面白い人間だった。そのまま日比谷の喫茶店に移動し、そしてそのまま夕方を過ぎても話が止まらず飲みに行くことにした。赤のれんに入ってモツを突きながらも、全く話が終わらなかった。
 それが、金石とのはじまりだ。
 我々は互いの直感で、疑惑を感じる太刀川の周辺を独自に捜査をすすめた。
 その後に六本木の事件が起き、合同捜査本部が立ち上がった。ごく自然な流れで捜査一課と捜査二課の二人の人間は、一緒に捜査をすることになった。捜査本部の解散までほとんどの時間を共にしたと言っていい。
 恐らく、性格が合ったとかそういうことではない。互いの刑事根性のようなものは類似性があったかもしれないが、何よりお互いを近づけたのは、我々が双方、まるで違うアプローチを持っていたからだろう。殺人の観点から類推を重ねる捜査一課のやりかたと、陰謀的な経済事件の観点から人と人のつながりを追う二課とが、同じ六本木の事件を全く別の切り口で見ていたのだ。正直、わたしは奴のやり方を見て、新鮮な気持ちになった。おそらく、金石もそうだったはずだ。
 そういう時間が始まったのがまさに、この松本楼の二階の、白いテーブルクロスの上でのカレーライスだった。真っ白い什器に、真っ白い白飯と、二種類のカレーを重ねる。
 そう。
 この松本楼の二階で始まったのだ。わたしは珍しく過去について懐かしい気持ちになった。
 *
「考え事ですか?」
 目を開けるとそこは、現実の日比谷で、若い女性刑事が、わたしを見つめていた。金石ではなく、現実の今の松本楼で、石原巡査は少し寂しそうな表情でわたしを、見たように思った。人間二人でいるのに、他の人間のことを考えているなど、困ったモノだろう。
 カレーを食する段になると、石原巡査はまた質問を始めた。
「質問してもよろしいでしょうか?」
 を忘れないのが、彼女の真面目さを物語っているかもしれない。我々の時代は、それでも答えてくれない鬼の先輩刑事ばかりだったが。
「小板橋さんも太刀川を調べたかったのですかね?」
「小板橋か。どうだろうな。」
「はい。」
「太刀川を取調できると言う話には、乗り気だった。万が一、太刀川が何かをゲロすれば、一旦店じまいした捜査本部を飛び越えて表彰ものだろう。」
「なるほど。」
「でも、そんな取調ひとつで、若者が評価を得ようなんてのは損だ。長い仕事の中では。」
「損ですか?」
「ああ。近道は、一度覚えると辞められない。」
 言いながら、その近道をうまく使う人間もいるぞ、と思った。いや、もしかすると、近道が大事な時代になったのかもしれない。
 食べていると、沈黙の時間が増える。カチ、と食器の音が響く。松本楼の上品な什器と、純白なテーブルクロスをわたしは見つめた。美しいものは心を素直にすることがある。
「太刀川に興味はあるのか。」
「あります。」
「迷いなく言うのだな。」
「銭谷警部補は。」
「わたしか?」
「警部補は、ご自身の警察官の信条に近い何かで、過去の事件を追いかけているのでしょうか。」
 少...

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