百九一 朝の本郷(太刀川龍一)
太刀川は、御茶ノ水を過ぎ次の本郷三丁目駅で丸の内線を降りた。
酒臭い銭谷警部補のことは、驚くほど脳裏になかった。
組織に苦しむ人間は酒に頼り、そしてああいう姿勢になる。それは太刀川自身にはありがちな組織人たる人間の通常の現象でしかない。多くの優秀な組織人が、組織の都合に耐えられず酒で自分を癒している。それがこの世だと思っている。あえていうなら、泥酔でもしてる人間の方が元々はまともだということだ。
銭谷警部補にはもっと別の物事を追いかけて欲しい、と、太刀川はある程度素直な気持ちでそう言ったのである。ほとんどの人間にそういうことは思わないのだがーー。
改札を出ると、いつものように本郷文庫を眺めた。
いつものように活字を背負った背表紙たちが、並んでいる。
作家らが命を込めて並べた文字列である。
地下鉄の多くの駅にこういう青空文庫があった時代は遠く去りつつある。全ての物事はネット中心になった。文庫本を無料で誰でも借りられる事よりも、手荷物にならない電子書籍のほうが良いらしい。
太刀川はやはり生の本は電子書籍とは違うと感じている。
紙で見る文字は湿り気を持って脳に入っていく気がする。
地下鉄の路線図や地図図面を味わうことと同じように、背表紙の並んだ書架を眺めたりする記憶はその日の陽射しや匂いのような体感とも重なる。人間と出会うように、本と出会うのだ。今朝の銭谷警部補のように出会い頭で罵り合うこともあるだろう。知らぬ間に隣に座るように、ポケットに入っていたのでもいい。むしろ出会うこと自体が人生の貴重な体験の一つだ。画面を通してばかりの記憶は、果たして体験といえる価値があるのだろうか。
駅舎を出ると、初秋の日差しが美しかった。赤門を入った辺りの法文関連から図書館や講堂などを散策しよう、と太刀川は思った。銀杏の緑がまだ最後のつよさで並木を彩っている季節が太刀川は好きだった。