百八七 K (銭谷警部補)
「銭谷。お前に提案があるんだ。」
「なんだ?」
「銭谷。お前は上り詰めろ」
「なんのことだ」
「銭谷、いいか、お前は、警察で上り詰めてもらえないか?」
「どうしたんだよ?」
「捜査一課長、もっといえばその上に行ってもいい」
「魔が回ってきたな」
「そんなことはない。なんなら、俺が定期的に銭谷に手柄を渡してやる。」
「本気で言ってるのか?」
「権力に近づくんだよ。そうしないと倒せない闇がこの世にはある。」
「警察の通常の仕事だろう。闇を倒すのは。」
「どうだろうな。」
「……。」
「おれは早乙女も含めて、いろいろな闇に飲まれ出していると思っている。」
「早乙女が?」
「ああ。」
「本気で言ってるのか?」
「銭谷。上に行くってことは、そういう闇とも向き合うってことだ。」
「……。」
「若いうちは真実や正義だけ追求して刑事をやってる。でもみんな年齢を重ね大人になる。家庭を持ち、生活や人生がかかっていく。一般的に、権力に近づく年齢がいちばん、陰謀の片手間をつかみやすいんだ。」
「……。」
「さらに言えば、登り詰めれば、人間的に尊敬もされるが、昇り詰めなければ、負け犬でしかない。人間として価値もない。そういう組織が一番危ない。」
「……昇り詰めなければ負け犬でしかない、か。ひどい言葉だな。」
「警察を見ればわかるだろう。俺には警察官の誰もが肩書きにこだわるせいで、どんどん人間の本質が薄まるように思える。警察が変化していると思わないか?昭和の昔はあちこちに肩書きのないベテランがいて、正義だけのことを話していた。出世なんかより大事なものを彼らは追っていた。刑事の本質だけを追求してな。そういう人が、教えてくれたことはたくさんあった。キャリアのやつなんか、何も知らないようなことがたくさんあった。」
「今はそういう人間に居場所がなくなったかもな。」
「ああ。そうやって、肩書きだけを人間が求め出した時、何が起こると思う?」
「なんだ?」
「外部の人間にコントロールされるようになる。」
「どうやって?」
「想像できるだろう。簡単なやり方がいくつもある。」
「わからないな。陰謀の組織が警察を裏から操ってるっていうやつか?陰謀説そのものだが。」
「なんとでも言えばいい」
ウィスキーが頭の中で血液のように回っている。バーParadisoのカウンターをカジノのテーブルのように撫でながら、金石は泥のように酔っていた。
「悪を追究していくと、理解が進むこともある。」
「どんなことだ」
「俺たちの仕事の、正義と悪魔は単純に二分されない」
「……。」
「例えば今回の六本木の件で、警視総監のような上層部の人間がなんらかの片棒を担いだのだとしよう。」
「……。」
「つまり警視総監が犯罪者だったら、ということだ。」
「それも大胆で無理のある仮定だな」
「ああ。なんとでも言えばいい。」
「金石、気を悪くしないでくれ」
「大丈夫だ。慣れている。」
「……。」
「でも銭谷。警視総監にもなって犯罪などに関わる理由は、普通はないよな?」
「ああ。全くない。というかありえないだろう。」
「裏を返せば、そうせざるを得ないどうしようもない理由が必要だ、ということだよな。」
「どういう意味だ?」
「なにかの、誰にも言えない事情が生じた。」
「……。」
「警察より上の権力があったら、それはありえるんじゃないかな。」
「警察より上?」
「当然、警視総監なら、命懸けの判断をしているはずだ。」
「警視総監においては、警察の象徴だ。ありえんだろう。」
「俺もそう信じたかった。」
「……。」
「ただ、そういう特殊な力が発生しないで、今回の六本木の太刀川周りの変化は生じない。」
「……。」
「捜査二課で作業をしてる俺の考えでしかないがな。上場企業の上層部なんてのは嘘がたくさんある。」
「……。」
「もちろん、突然役員が嘘をつき始めたわけではない。会社の嘘がずっと続いていることの方が多い。まあ事実は藪の中ってやつだけどな。おれは、警察の上に嘘があるはずで、今回はそのことも含めて暴かなければならないと思っている。でも、そういう判断をした上層部の罪を暴くってことは、例えばその警視総監らと命懸けの対峙をするってことになる。そんなことをやろうとしている現場などがいたら、おまえがその警視総監の立場ならどうする?」
酔狂めいた言葉の所々は強い口調になった。金石は次の酒を要求した。
「人事異動だな。もしくは濡れ衣の懲戒だ。」
「六本木の事件には、そういう臭いが溢れ出している。」
「警視総監は違うだろう。違うと信じたい。なんのために俺たちが働いてるかわからなくなる。」
「まだ個人を特定していない。上層部、権力者の誰かが、と言う意味だ。」
「そんなのは陰謀だ。」
「どうだろうな。」
「……。」
「ただ、真実としてーーおおきな悪意が起きる場合、俺たちは常にそういう場所にいるってことだよ。」
「……。」
「陰謀の闇を調べれば調べるほど、そういう情報が増えていく。」
「警視総監、いや警察の上が絡む闇か?」
「ああ。権力の側が世の中に言えない調整をする闇の場所だ。この闇こそは絶対に暴かれなければならない。それを中途半端に止めることなんか俺にはできない。」
「やはり陰謀か。」
「ああ。いつもの陰謀だ。」
「……。」
「だからこそ、その本当を確かめて欲しい。」
「確かめる?」
「ああ。銭谷警部補が上り詰めて、そこに本当に犯罪があるのかを確かめてもらいたい。」
「俺にそれは無理だ。」
「そのために、俺はなんでもする。嫌でも定期的に手柄を渡してやる。」