百六九 金門橋 (御園生探偵)
「江戸島に動きありです。」
御園生くんのチャットが入ったのは、わたくしが五時間ほど待ち続けたとある民家を諦めて、河川敷や下町をぼう然と歩き終えて綾瀬駅までたどり着いた時でした。
(江戸島に?どう動きましたか?)
チャットはしばらくして既読になり
(いま、大田区です。品川から南、京浜工業地帯です。波止場近くでクレーンが見えます。)
(大田区の工業地帯で、江戸島会長が会食ですか?)
わたくしは、思わずそう聞きました。会食で工業地帯と言うのは、大手町二重橋に拠点を構える経団連の重鎮に不似合いだと思いました。昨夜は銀座だったのです。品川の先までわざわざ行くのでしょうか。わたくしはチャットを見たり閉じたりしながら、そのまま他の大勢の人々と同じように千代田線の列車に乗りました。綾瀬の駅は高架で見晴らしはいいのですが周りの景色を思い出せないくらい、スマホの画面だけ見ていました。
(詳しくは後で話します。今はさらに海の方、東京湾の方に向かっています。あとそもそも会社の車ではなくてわざわざタクシーに乗り換えてます。会食ではないと思います。周りはこんな感じですから。)
地図X
チャット宛に写真で送られたのは、今御園生くんがいる場所の地図画面と、冷たい金属が剥き出しに縦横無尽に組み込まれた典型的な重工業地帯の写真でした。まさに東京湾の西側、京浜工業地帯の北端を地図はさしております。
わたくしは、不気味な気持ちが自分に押し寄せてくることを感じました。昨日は平静を装っていた江戸島という人物の仮面がひび割れて、そこにどうしようもなく汗ばんだ本性が見え隠れし始めたような気がしました。ある程度の想定はあったとは言え、それは恐ろしいことでした。
(なるほど。江戸島は動いた、といえそうですね。)
(はい。軽井澤さんの直感が当たったかもしれません。)
(なるほど。)
実は、東京湾と言っても広いのですが、わたくしはどこかで昨日の銀座からの帰り道、有明、つまり千葉や浦安の方面に向かう江戸島に、葉書との連結を見ていました。湾岸方面に、わたくしの葉書の文字列の想定があったからです。そういう意味では、逆の方角、東京湾では西側に向かった点は、少し、想定とは少しずれています。
それよりも、なぜ東証一部の会長、経団連の重鎮のような人間が、おかしな葉書への対応や、不自然な行動を連続させるのか、が不気味でした。わたくしは強い懐疑を脳に置きながら、千代田線に揺られて北千住、お茶の水を越えて、東京の中心へと戻っておりました。
(不自然ですね。)
チャットは続きます。
(はい。先刻入った町工場も、およそ天下のX 重工業が連絡するような工場には見えません。)
(町工場?)
(はい。なんだか、タクシーを止めて、入ったのが、塗装関連の町工場なんですが、天下のX重工の下請けとも思えないくらい小さな工場です。)
(なるほど。)
わたくしは考え込みました。塗装関連というのも想像もつきません。あれこれと昨日からの江戸島の様子を反芻しながら、御園生くんとのチャット画面を見つめつつ、一体どことどこが繋がるのかを妄想し続けておりました。江戸島の周辺がどうもおかしい。しかし、それにつながる因果を何一つ思いつかずのままでした。
(それと、軽井澤さん、忘れないうちに、お願いが。)
(お願い?)
(軽井澤さんは、今事務所の近くですか?)
(千代田線でそちらに、向かってるところです。)
(じつはキャロルを江戸島尾行の途中で、乗り捨てていまして。)
(なるほど。)
(鍵ありますよね?)
写メが送られてきました。これも地図の写真です。墓地横の消防署の近く、青山墓地の入り口に停めたようです。
(大丈夫です。拾いにいってみます。それから向かいますね)
(すいません。たすかります。新宿と違って路駐で切符も嫌なので。)
(はい。ちなみに、これは青山墓地ですよね。)
(はい。そうです。そう、江戸島は今日夕方墓参りをしていたのです)
(え?墓参り?)
(そうです。)
(どなたのですか?)
(すいません。追いかけるので精一杯で、墓標を見れませんでした。ただひとりで、花を買っていました。)
そのようなやりとりを、千代田線の車内で、チャットしながら、わたくしは少しずつ、都心へとむかいました。不思議とそういう言葉の連続のせいでそれまでの混乱は一時的に脳裏から離れてもいました。わたくしの心理は、綾瀬の界隈から、埋立地、東京湾の方角へと向かいました。 キャロルを拾うため、乃木坂の駅を降りたところで、御園生君からの電話がありました。
「軽井澤さん、江戸島が、タクシーに乗り直しました。」
「乗り直し?」
「はい。町工場を出て。大通りに出ます。タクシーさん、うまく追いかけて」
御園生くんの必死な声と、タクシーの運転手らしい戸惑う声が重なります。
「さらに海のほうに向かって行きます。」
「海ですか?その先は、出島というか羽田の空港になりますよね。」
「ええと。海だ。今から海を渡ります。」
「海を渡る??」
はっと思いました。御園生くんがチャットに貼り付けた地図にそんな道がないと思いつつ、地図と御園生くんの声を重ねながら、どのあたりを動いてるのかを想像しながら、キャロルの場所に、これもまた地図を頼りに向かっていました。
「右に羽田空港、京浜工業地帯。左にたぶん東京の都心部。」
図X 東京湾地図
「ああ。軽井澤さん!」
「どうしました?」
「わかりました!なるほど。埋立地がまだ埋め立て中なんです。地図で見ると、海面調整場、となっている。地図が追いついていない。」
「追いついていない?」
「はい。埋め立て途中なんですよ。道もまだ正式にできたばかりで。」
「埋め立て?」
「ええ。まだ地図が最新を反映していない。これからゴミで埋め立てるのですかね。」
「ゴミで埋め立て、ですか?」
わたくしは、背筋に冷たいものが走りました。今朝の喫茶店でとある過去のことを米田さんが<冷たい>と言った言葉を思い出しました。御園生くんは恐らく何も気が付かずに純粋な声で言いましたが、わたくしはその言葉を、通常の会話で受け止めることができませんでした。ゴミで海の向こうに埋めていく埋立地という、その酷く冷たい言葉をききながら乃木坂の駅で凝然としていました。なぜなら、そのことばがわたくしが想定した事件の、象徴そのものであるからです。埋立地に捨てるという言葉。その言葉の切なさ、虚しさについて、わたくしは過去にはっきりと向かい合いをしたことがあったのです。わたくしは鳥肌を立てつつ、その場で蹲るようになってしまいました。
「軽井澤さん、すごいです。」
御園生くんは当然わたくしの情況は知りもしません。
「ど、どういたしましたか」
「これ、新しい橋があるんです。」
「はし?」
「はい。地図にはまだできたばかり、いや工事中と書いてあるものもある。いま、その橋を渡っています。ずいぶん大きいです。ゲートウェイブリッジ。」
「げーと?」
「はい。レインボーブリッジではなく、ゲートブリッジです。知りませんでした。ここから、江東区なんですね。大田区ではなくなります。」
「えっ、江東区?」
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