百六一 墓参 (御園生探偵)
軽井澤さんは米田さんに風間と守谷の戸籍を調べさせていた。
米田さんは軽井澤さんの前職の頃からの付き合いで、さまざまな場面で軽井澤さんをサポートしている。そして今回のような本当に困った状態で頼むのは米田さんなのだと思う。そういう相談は僕には来ない。少し悔しいと思った。でも十年を超えるような仕事の関係というのが僕にはまだ想像がつかない。ひとつひとつの仕事で積み上げていくしかないのかもしれない。
尾行の二日目と言っても江戸島と言う名前と出会ってまだ三十六時間程しか経っていない。僕は少なくとも昨日より冴えた頭でマツダのキャロルを二重橋に停車させ、パソコン仕事を運転席でこなしながら、江戸島の社用車が地下から出てくるのを待った。銀座でさえ車で行くのだから、どこにいくにもこの出口からくるのではないかと思った。
夕方も五時をすぎる手前、昨日と同じ一際目立つ役員社(リンカーン)が社用口から出てきた。
役員車は銀座方面には向かわなかった。皇居から青山通りに入るとなぜか、外苑の銀杏並木を超えたあたりで突然車を停めた。オリンピックのスタジアムは近いけども、辺りには料亭も無さそうな場所だ。車を降り、江戸島は運転手らしき人に手を振っていた。どうやら役員車(リンカーン)を帰してしまったようだった。
歩き出した江戸島会長は、角を曲がると消防署通りの方に入った。その先は、軽井澤探偵通信社の方角である。と言っても都内の一等地に広大に広がる青山墓地の方角というだけで、我々の事務所のある南のはずれの崖下まで江戸島が歩くとは思えなかったが。
僕はコインパーキングを探しながら社用車(キャロル)を徐行させ、遠目に追いかけた。江戸島会長は料亭に向かうのではなく、青山墓地の入り口の事務所で花を買っていた。墓参なのだ、と思った。確か昨日調べたが、彼は、秋田の出身である。こんな都内の一等地に代々の墓でもあるのだろうか。花束は立派だった。
僕は車を消防署近くの路肩に止めて遠目に江戸島会長を追いかけた。彼が墓参したのは、墓地の管理事務所から東側に歩いた区画で、大久保利通の墓所の少し先だった。そのあたりは樹木が少なく遠目にも見渡せた。僕は通行人が偶然に立ち止まったふりをして、墓作業をする彼を遠目に視界に置いていた。江戸島会長はその場所に蹲るようにして比較的長い時間手を合わせていた。
しばらくして江戸島会長は立ち上がった。そのまま青山墓地に無数にある出口の一つを使って墓地を青山デニーズの側に出ると、手を挙げた。停まったのはリンカーンではない街のタクシーだった。あっ、と思った。何故役員車があるのにわざわざ、タクシーを使うのか?昨夜の不思議な折り返しが脳裏によぎる。僕はキャロルの方角に戻ることを諦めて、急いで江戸島と同じデニーズの通りに出てタクシーに手を上げた。一人での尾行には限界があると思ったが、運良く空車のタクシーが連続してやってきた。江戸島を乗せた車を一瞬見失ったけれども、幸運なことに墓地の南端の米軍基地の前の信号で真後ろに追いついた。後部座席に立派な江戸島の白髪があった。
江戸島会長を乗せたタクシーは、西麻布から天現寺を抜けて、目黒方面へと走った。僕はタクシーの座席になるべく重心を下げて顔が見えないようにさせながら、前の車を目で追った。