十三 捜査一課長室(銭谷警部補)
わたしはその朝、捜査一課長に呼び出されていた。
久方ぶりに対面した早乙女課長は以前より重厚に見えた。組織は肩書きが上がると、人間の表情を変える。時に人の人格も変える。この特別化された課長室が変えているということかもしれないが。
分厚く背の高い課長室のドアを開けると奥の席に、早乙女は座っていた。
「銭谷です。ご無沙汰しています。」
「おお。」
噂の通りの話、つまり降格人事の話を示達されるのだと思った。そもそも業務でもない世間話でこの部屋に呼ばれる事などはない。
早乙女課長の前置きは長かった。乙女という言葉とは真逆で、首まで太っている。その肉が、捜査より官官接待の会食で磨いた身体なのは知っている。カラオケの趣味は悪かった。わたしの捜査の成功はいくつかの部分で彼の昇進を助けてきたのだが、出世してしまえば、そんなことは関係がない。
人事のようなものは結論だけで良い。
若手の多くはわたしより手柄を取ろうと頑張っている。ある意味わたしが降格すれば横並びとも言えるし、いなくなれば自由になる場所も広くなるだろう。
「自分の弁解は特にないです。どんな処分にも甘んじます。」
怒鳴ったり不快を与えた記憶はないが、人命にも関わるような捜査の仕事に、怒鳴らずにいることを優先するのはわたしには出来ない。時代が変わったという言葉だけで、処理できないものはある。そもそも、パワハラと言う処分には、有りがちな背景として私はどの場面がそれだったのかを聞かされてはいない。何度も怒鳴ってきた刑事人生である。そんなことを指摘されれば、簡単に誰でも終わらせることができるだろう。
わたしは開き直っていた。要するに誰に対しても怒鳴る時は怒鳴るのは、今後も変わらない。なぜなら、刑事の目的は捜査で犯人を捕まえることだからだ。怒鳴って物事が進むなら、わたしは怒鳴るだろう。相手が課長だろうが一緒だ。
「まあ、銭谷、お前もなんとかしようと思ってのこととは思うが、ご時世というのがあってだな。」
課長は、淡々と世の中も変わりつつあるのだというようなことを繰り返している。組織人の四十代は、精神的に不幸に見舞われることが多いという、本を読んだのを思い出した。
「早乙女さん。いや、早乙女課長。結論だけでいいですよ、わたしには」
「わかってる。お前の性格は。」
「はい。」
「これは俺の整理で話してるだけだ。」
五乙女さん、あなたは、若い頃は俺なんかよりもっと新人に厳しいやり方をしていたし、仕事ができない割に威張ってた貴方には、それ以上の罪があるはずだ。加えて仕事が終わっても飲みだカラオケだに連れ回してもいた。そんな言葉が出そうだったが、自尊心の尻尾が邪魔をしてわたしは、唾液を飲んだ。
すると、苦虫を潰すような声で課長が、
「一旦、処分保留だよ。」
とだけ言った。
「保留」
「ああ。ご時世だから、気をつけてくれ。メールだのは特に。モノが残ると守りづらい。」
「守りづらい。」
「守るというか、まあ、察してくれ」
「しかし、わたし宛に」
後で知ったのだが、だれがわたしを訴えているのかは、早乙女課長でさえ知らされていなかったらしい。
「処分保留だ。密告を全て処罰の対象にしていたらキリがない。しかしこのご時世、ハラスメントの密告を辞めろとも言えない。銭谷、わかってくれ。理解を願いたいところなんだ。」
ひさしぶりに、五乙女の顔をまじまじと見た。出世してからは殆ど話すこともなかったが、わたしより仕事ができないことは本人も認めていたはずだ。
「殿上人の課長、まで上り詰めても、大変そうですね。」
「セリーグ、パリーグ(ハラスメントのこと。パワハラがパリーグ、セクハラが)なんて、気楽に呼べんぞ。管理職は。」
みなまで言わせる前に、わたしは頭を軽く下げると、部屋を出始めていた。