百五五 戸籍説明 (御園生探偵)
米田さんがテレビ画面の中で、タバコを吸っていた。
軽井澤さんと米田さんが阿吽の理解を示している様子だったが、僕はほとんど何を了解しているのかもわからないままだった。
米田さんは、首を傾げていた僕にだけ諭すように、
「戸籍を買ったってことかもですね。」
と言った。
「戸籍を買った?」
「本当は、この戸籍の持ち主ではない人間が、この戸籍を使ってるって事です。別の人生を購入して生活する、ということです。」
「そんなことできますか?」
「死んだのに死亡届を出さずに、その戸籍を売る。もしくは、本当に行方不明になったような人間の戸籍を使ったりする。そういうビジネスをしてるところで買うんでしょうね。」
僕は米田さんの突然の説明がわからなかった。でも、戸籍を買う、みたいな言葉の響きは確かに、風間や守谷の印象に合うようにも思って
「戸籍を買う。でも、そんなことって、普通に有り得ますか?」
「色々ですね。日本国籍が欲しい、つまり外国人のケースなどはわかりやすいです。この国は閉鎖的ですから。たとえ全く外国人の顔をしていても山田太郎と言われるとなぜか親近感が湧く国なのですよ。嘘だとわかっていてもね。」
「不法滞在などの隠れ蓑のようなことですかね。」
「まあ、色々ですね。あとは、人生をリスタートしたいような事もありますよ。この日本では、失踪だけで毎年、何千人もあって、ほとんど見つからない。たしか、累計で八万人かな。」
「八万?ほんとうですか?」
「国の公式資料、だったかと思います。」
僕は米田さんが妙に詳しいのが気になった。
「なるほど。」
「逆に言えばそれくらいの本籍が、浮いたり消えたりするとも言える。」
米田さんはそう言って、テレビ電話のパソコン画面を切り替えて、見るからに怪しいサイトを表示した。そこには外国語も含めた戸籍を売買する闇サイトのようなものが幾つもあった。そういうマーケットが存在するということなのだろう。
「風間、守谷は、名前からして全く偽物だった、ということですかね。」
僕はため息をつきながら、この二人が自分の想像から遠くなっていくのを感じた。レイナさんに頼んでいる作業も、意味を成すのだろうか。意味がないことを、頼んでいるかもしれない。名前だけでなく、住所から免許の本籍まで全くの別のものを追っていたことになる。
「そうかもしれません。」
「元々の本籍を探さねばならないんですかね。」
「はい。風間や守谷という人物対象をいくら追いかけても、戸籍を売った業者にたどり着くか、死んだ人間や行方不明者の類いにたどり着くに過ぎないので。つまりお二人が追いかけている風間と守谷という人間には、本当の名前が別にあるということですから。」
「でもそうしたら、どうすれば良いんですかね。」
僕がそんな質問を、幾つも投げる間、軽井澤さんは黙っていた。
戸籍を捨ててまでして別の名前になった人間の、元々の本籍を探すなどは、至難の技だというのは僕にもわかった。そもそも、いつの時代から、この新しい名前で暮らしているのかもわからないし、金をかけて購入するほどまでに新しい名前が欲しかったのならば、当然、過去の人生とは強く決別しているはずだ。僕は守谷の、目尻に皺のある冷たく孤独な横顔を思い出した。
別の人生。周りの人間も彼のことを守谷とは呼んでいるけども、本当はその名前ではない。元々のほうの人生を蛻(もぬけ)にして暮らす、そうせざるを得なくなった、守谷と今呼ばれている人間の涙を滲ませていた横顔が僕の網膜に残っていた。
軽井澤さんが一言も発しないのが僕は気になっていたが、
「江戸島の尾行は、御園生くん、ありがとうございます。とても助かりました。昨夜は、すこしおかしな動きでしたね。」
と突然僕の方に聞いた。
軽井澤さんは憂鬱な表情のまま、しかし、そのことはしっかり聞きたいという空気で僕に話しかけた。僕は、ざっと、昨日メッセージを入れたことを繰り返し、江戸島が銀座で寿司の会食で、そのまま、車で帰ったこと、代々木上原は多分自宅で、余計なことかもしれないが、調べたところ江戸島は既に奥さんが亡くなっていて、その自宅に一人暮らしだということ、などを説明した。
「ありがとう。それと彼の帰宅の経路でしたよね?おかしかったのは。」
「ああ、その件ですね。」
僕は、あっと思って、
「そうです。少しおかしかったのが、最初、銀座から豊洲の方向に向かったんです。」
「銀座から豊洲。つまり自宅と思われる代々木、山の手向けではなく、湾岸の方へ向かった。埋立地というか。」
「埋立地。まあ、そう言われればそうかもしれません。江東区の方になります。」
「銀座から一度湾岸方面に向かい、なぜか車がUターンしたのですね。それで代々木上原の自宅へ向かい直した。江東区とは全く逆になる。」
会話しながら、先ほどの戸籍の住所を落として、米田さんは画面に銀座周辺から代々木上原にかけての地図を写した。
地図X 代々木上原から、江東区まで
「ちょっと変ですね。」
米田さんがまた聞いた。
「そう思いますが、でも奥さんも既に亡くなって独り身なら、その、例えば愛人などの女性関係が湾岸のタワーマンションに住んでるなどで、一回向かったけど袖にされたようなものかなとも思いました。」
僕は、昨日調べて整理した文言をもう一度言った。
「なるほど。そうか。そういう考えの方が普通かもですね。」
米田さんは、そう言ってはみたものの、何故か空虚を見つめるようにした。テレビ電話の背景が二人ともぼかしになっていて、どこにいるのかわからなかった。
軽井澤さんは再び言葉もなくじっとしていた。何か、苦しんでいるような先日からの表情が回復してはいないということも、画面越しに判った。
今朝は軽井澤さんが別の場所にいるというのも違和感があった。一体どこにいってるのだろう、と思いながらそのことを言い出しづらい感じがあった。
その後、軽井澤さんは少しだけ僕の仕事や、状況のことを聞いた。その聞き方はやんわりと、このタスクから離れて他の通常のことに戻って良いという文脈を含んだ。僕はそれに対して、少し反論気味に、乗りかかった船だということを告げて、今日も思うことあり江戸島をつけてみると話した。江戸島は夕方まで業務で多分動きはないけども、社用車の中でパソコンで他の仕事もできるし、江戸島が会ってくれない可能性も高いので、その点は少し考えがあることだけ告げて、テレビ電話から降りた。