百五一 視線飼育 (太刀川龍一)
今日、太刀川にとって重要な仕事がある。
いつものように、ヒルズの住居棟を降りると太刀川龍一は六本木の駅へと向かった。
朝六時十五分。毎朝の時間を変えないことによって、時間についての思考を減らすことができる。その分、脳の時間が解放される。これは多くの科学者が愛する思考法でもある。
もう一つ。太刀川は闇を見ることを好んでいる。
例えば、地下鉄の窓のなかで窓は鏡になる。そこに現実の世界がうっすらと闇に半分犯されたように、写っている。そうやって眺める世界は心にある別種の、感覚を与えてくれる。そうやって鏡面越しに覗き見をしているときは、眺めているこちら側の人格を消し去ることができる。その喜びも重なる。
地上を走る列車ではこれは起きない。
川端康成の雪国の列車での二重写しが有名だが、自分の呼吸でガラスが曇る時、その曇った窓ガラスのなかに小さく指で穴をつくると、その鏡で自分の目線を隠しながら車内を見回すことができる。誰にも視線を悟られることがないというのは愉快であるーー。
インターネットの世界では、人間がパソコンやスマホのどの場所を見ているかという視線位置まで全て過去に遡って管理ができる。そういう管理をネット企業であるパラダイム社で太刀川はたくさん行った。それによって、その人間に最適な広告を出せばそれだけでモノが売れる確率が何倍にもなる。広告だけではない。記事本文を工夫すれば人間の心を誘導することさえできる。戦争をすべきという世論も作れるし、逆に平和への祈りを醸成することもできる。
検索の履歴も、住んでいる場所も、ネットで買ったもの、どの迷惑メールに反応するかも含め、ネット上の全ての行動が参照され、全ての人間の行動を正確に予測できてしまう。誰しもが自分の意思でインターネットに参加しながら、みずから情報をそこに預け、飼育されていく。民衆の飼育という言葉ほどインターネット文化の背景に適するものはない。
その仕組みをこの国で懸命に作り、会社の上場をさせたのは他ならぬ太刀川自身だった。そうしてその自分自身がインターネットに絶望したのである。全ての情報をサーバーに預けてきた自分がネットとの一切の関わりを捨てたのだ。言葉を変えればそれくらい怖かったーー。
飼育されてはいけない。
この地下鉄の車内は大切だ。
ここではどんな権力も誰も何も把握できない。
太刀川は自分の将来が誰かに把握されることだけは許せなかった。