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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 152 章 百四九 パラダイム(銭谷警部補)

百四九 パラダイム(銭谷警部補)

 人間の死、という厳しい現実に向き合っていると、我々刑事は心がおかしくなることがある。
 ただ死体の場面でおかしくなる訳ではない。
 死体は厳しい現実だが、物体に慣れることは出来る。慣れた後には、実は死体は死体でしかない。
 本当に苦しくなるのは、遺族との対面や会話が始まってからだ。
 遺族と会い、会話を始めるうちに少しずつある一定の変化が始まるーー。
 物質としての死から、なまなまとした命、人生の最後としての死がそこに現れる。
 泣き崩れる遺族に、刑事である我々は幾度も質問をしなければならない。殺された理由、殺された被害者の特徴、経歴、年齢、性格、まだ生きている時に最後に話した場面。質疑は全て、遺族の記憶や思い出に頼る。質疑をしながら、かつては目の前に生きていた人間の命を繰り返し辿ることになる。
 遺族は、大抵涙を流し、流さない場合は途方に暮れて涙が出なくなってしまった顔をする。過去を刑事に説明して遡るたびに、戻らぬ命を取り戻せない現実の壁に悩み苦しむ。苦しみの中で典型的な後悔ーーー最後に会った時にこうしておけばよかった、あの日はあそこに行かせなければ良かった、この一言だけは話して伝えておきたかった、というような際限ない後悔が溢れ続ける。まさに刑事はその後悔の中で捜査を行うことになる。
 わたしは情に厚いわけではない。それでも被害者遺族とは近しくなる。あえて言えば、わたしが正しいと信じる捜査手法とは遺族との会話を重視するものである。一見遠回りに見えて、実は被害者がどんな人間だったかを知ることは、真犯人の正確な想像が進みやすい。遺族と会話をし、情報を多くもたなければ、犯罪者逮捕に遠回りする可能性さえある。結果として被害者遺族との会話が増え、彼らとの間に、一言では表し難い感情が生じていく。少しずつ、同伴者となり、知人になり、やがて友人になっていくのである。
 机に座って警視庁の内部の論理を算段するだけの早乙女はわたしの感覚とは合わない。議論にもならない。当然だ。彼は遺族と友情を培うような捜査をしたりはしない。むしろ遺族との会話は、現場に任せ、自分は霞ヶ関の内部の都合だけで動く。
 被害者との距離が近づくうちに、わたしには殺人犯が「ただの悪魔」から「仲間を殺した悪魔」に変化していく。どうしても許せなくなる。現場では普通のことだ。だからわたしは組織人としての感覚が崩れてしまう。早乙女は絶対にそういうふうな場所に自分を置かない。
 特に親が遺族で、子供を殺された事件ではどんな刑事もわたしのようになるはずだ。
 夫を失った人間は未亡人。
 親を失った子は孤児。
 それぞれ呼び名がある。
 しかし、子供を殺された親を表す言葉がない。
 悲しすぎて言葉にして説明する気持ちを失うから、言葉さえないのだーー。
 若い女性が亡くなった六本木事件はまさにその典型だった。
「このまま一生、毎朝、毎秒、恨んで苦しんで終わると思います。せめて犯人を捕まえてください。突然、事故に変わったなんておかしいです。許せないです。」
 娘を殺された母親の涙を金石とわたしは幾度も見た。
 母親と幾度も会話をし、彼女の気持ちを正確に知り、死んだ女子大生がどんな人間だったかがはっきりと理解されていくと、メディアが報じたような情報が嘘そのものなのが判った。女子大生が夜の商売をしていたとか、富裕層に憧れて夜毎に街に出ていたとかはあり得ない。実際に彼女は二度ほどしか、六本木に行ったことがなかった。他の場慣れした人間とは全く違う不慣れで真新しい存在だったのが、事件の理由だったのかもしれない。検出された薬物などを常習していたとはとても思えない。
 両親が本当に大切に育てたことが、母親の言葉を聞いてもよく伝わった。
 更に、父親はこの件で体調を崩し文字通り人生も失っていた。何をするかわからない、精神的な問題もあるため警察から触れないでほしいという母親の依頼もあり、母親は警察関連の全ての対応を一人で行った。実際に父親は病院に入院し検死にも立ち会えなかった。この父親の姿を遠目に見た事のある金石は、見るも無惨な父親の姿に面会後もしばらく感情を崩していた。一人娘を失った父親は人生そのものを失ったのだと、金石は繰り返した。
 我々はそういう十字架を背負って六本木事件の捜査をしていた。
 だから、あの六本木の部屋に不思議な人間が出入りしていた可能性を知り、その裏取りを金石が潜入捜査で行っていたまさにその時に生じた世の中の変化は不自然としか言いようが無かった。
 何度も繰り返すが、それは突然の変化だった。
 警察組織の中で忖度が生まれた。事件に、なにか触れては行けない聖域が絡んでいるらしい、という空気が出た。聖域が何を指すかは別にして、それが特別なものだったのは確かだ。このまま捜査を進めて大丈夫なのか、という臭いが静かに漂った。
 同時にメディア報道が変質を始めた。見えない力があるのか分からない。しかしそれまで太刀川を非難していたあらゆる言論が趣を変えた。例えば、別の報道を優先させたり、頻度が変わったり、論調の違うコメンテーターが出演するようになった。そして、なぜか、娘を殺された被害者側が、何か問題があったかのような報道が急に始まった。被害者は六本木界隈の夜では有名だった、とか、女子大生には刺青があったとか、薬物の売人と関係があった、というその後嘘とわかる情報が堂々と一流のメディアで報道された。多くの視聴者は誤情報を信じ、世の中の空気が変化した。
 変化は明確にそして揺るぎなく続いた。警察内部では、沖縄、六本木、それぞれ死について踏み込んで調べるのは良くないという空気だけが広まった。殺人ではなく、自業自得の事故なのだーー。警察官は報道および権力の空気を読む。その空気に同調しないのは、多分警察官人生において危険だからだ。相当の自負がない限り空気に同調していく。金石やわたしのような刑事はかなり特殊だった。
 そういう変化の中で金石は一つの確信をしていた。
 女子大生が死んだあの部屋に、不思議なことに、とある非常に重要な人間がいた、ということだ。
 その人間の名前を隠すためにカメラが止まった。報道も変化し、警察内部の空気も変化した。事件が事故に変わった。
 誰が見ても明らかじゃないか?事件を事故に変える権力を持っている存在がそこにあるのだ。
「銭谷。女子大生は間違いなく殺されたのだよ。事故死だとしてもそこに、大人が関わっている。」
「何のために?一体誰が?」
「……。」
「金石。この事件について、少しだけ思っていることがある。」
「なんだ?」
「実は、お前にとっては、元々、その大人が内偵対象だったのでないのか?」
「……。」
「つまり、捜査二課の常套である、隠密の作業があった。その対象は権力者だ。事件を事故に変えれるような、防犯カメラの電源を自然に停めたりすることのできるような、人間だ。その内偵捜査がメインだった。その作業の中で、突然その対象者が、随分派手な事件を起こしてしまった。多かれ少なかれ、内偵作業への影響が発生してしまった。本来であれば、そこで対象を逮捕して終了させる話が、どうしてもそれができない事情も生じた。」
「……。」
「お前は、当然、そういうこれま...

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