百二十七 慈善提案(太刀川龍一)
「江戸島さん。私のアポの前に入っていた、変わった風情の奴らは誰ですか」
「ははは。そんなことになぜ興味があるんですか。なんだか、探偵でね、ネット上で私の名前が使われたとかで。心配してきてくれたんですよ」
「ああ、そういう人たちですか。ネットですね。」
「きみの、引退されたネットですよ」
「ははは。引退なんかしていないですよ。ぼくは。」
「そうなのかい?ちまたでは、メールもつながらないから困ると聞くよ。」
「ははは。江戸島さんまでそう見ていただいてるのは恐縮です。」
「まあ、秘書が困るということですよ。連絡先がないと、アポの時間を変えられないのでね。ネットを否定されてる太刀川さんにいうのもあれですが。」
「いえいえ。ネットは引き続き世の中を動かしていますよ。可能性がないから去ったのではない。むしろ可能性がありすぎるから自分でそこにいるのが怖くて辞めたんです。ぼくは、自分の個人アカウントを全て捨てただけです。世の中がどう動いているかは、引き続き、ぼくなりのやり方で把握せねばならないと思っていますよ。」
「ほう。どんなやりかたがあるんですかね?」
「まあ、模索中です。人類は、便利なものを使いだすとやめられませんからね。宗教革命、産業革命、情報革命、全て技術革新からですから。」
「なるほど。」
「江戸島さん。僕のことを、世捨て人みたいに言わないでください。いろいろなやり方があるということです。」
「そりゃそうか。」
「まあ、あんな物を四六時中見てると体に悪いですから。」
「依存症になってる人も多いと聞くよね。」
「開発した人間はスマホを子供には触らせなかったと言われてます。」
「うむ。なるほど。」
「と、江戸島さん。お忙しい中ですよね。用件がなくても会長とはお茶飲み話もしたいんですが。」
「いえいえ。ちゃんと三十分は時間をとっていますよ。」
「はい。今日は、先日のお話であったフィランソロピーの件ですね。あれを酒飲み話で終わらせるのはもったいないと思っていて、もしできれば会長のポケットマネーでも頂こうかなと思った訳です。」
「相変わらず、大胆な説明ですね。ははは。」
「いえいえ。大企業はお金の使い方を知らないですからね。大学関係者は投資というものを知らない。だから産学ともに成長しない。あれだけの予算を使って何一つ成功しない。」
「耳が痛いね。」
「慈善事業は投資ですよ。株価でなく世の中の価値を上げる。世の中がほんとうの意味で前進することに江戸島さんが興味ある人間なのは僕は知っていますよ。だからこうしてやってきた訳です。」
「相変わらず、うまいプレゼン導入ですね。」
「まあ、ちゃかさないでください。ご紹介したい慈善事業は幾つもありますが、今回は脳死関連です。脳死、植物人間というのは奥が深くてですね、いろいろな不条理があるのですよ。その周辺で例えば臓器移植っていうのもある。」
「心臓だ、腎臓だっていうあれですね。」
「はい。おおよそ、こういう世界は純粋にならないんですよ。特に医者というのは権力争いがひどい。たくさん、おかしなところがある。僕は今、医療周りを色々調べています。これは面白いですよ。」
「不条理を許さないですからねあなたは。」
「人間として当然ですよ。」
「あなたみたいな子供がいたら親も楽しいでしょうねえ。」
そのような話をした後、太刀川はテーブルに資料を出して自分が取り組んでいる慈善事業の一部について一通り説明を行った。江戸島は太刀川の話を熱心に聞く様子だったがふとするとどこかで少し心が落ち着いていない様子があった。理由がわからなかった。太刀川は、ふと、少し前に来た奇妙な探偵らに心を半分奪われているのではないか、と感じた。部下の報告くらいで、心がおちつかなくなるような江戸島会長ではないだろう。
「…大企業経営者には社会への責任がありますよね。世の中は課題ばかりですから。少子化。子供の貧困。医療問題…。」
プレゼンは頭の中でシナリオも決まっており、太刀川は、酒を飲んでいる時よりもよほど快活に話を続けていた。彼自身インターネットに触れていないせいで、こうやって人間に生で話すことが楽しいのである。
「なるほど。面白いですね。日本の大企業の社会的責任は、考えていかねばならないテーマだと思います。」
江戸島は少しずつ、集中を直してきた。
「そうですよ。江戸島さん。わかってきましたね。」
「まあ前向きに、というか、具体的にやろうと思いますよ。大企業の社会的責任というのは、いろいろ言われるから。大した予算じゃないですしね。」
江戸島は集中力を欠いたことを詫びるように、言葉に色を付けた。
「ははは。そうこなくっちゃ。」
「しかし、よく調べている。」
ふとそこで今度は逆に江戸島のほうが、首を傾げた。
「これ全部自分で調査ではないでしょう?パラダイム社を辞めてから、太刀川さんは、色々動いているけどオフィスというかスタッフなどはどうされているのだすか?」
「スタッフですか?」
「ええ。これだけの資料だとご用意も大変でしょうし。資本はお持ちでしょうから、色々雇用されてるのかと思いまして。」
「……。」
「確か新しい会社を作ったという話は、お聞きしていなかったなと思ったんです。」
「まあ、色々ですね。」
「オフィスはどちらで?」
「……。」
こんどは太刀川のほうが明確にそこで黙った。そうして少ししてから、
「オフィスはないんですよ。まあ、強いて言えば自宅というか。自分一人でやっているんで。」
「自分一人ですか?ほんとうに?」
「そうですね。人を雇うと色々面倒で嫌なんです。」