十 好青年 (赤髪女)
朝になって西馬込の風間は猫の死体に気がついたらしい。風間がGPSの上で動きを見せたのを、赤髪女はしっかりととらえた。
まず都心に向かった。西馬込から逃げるようにして、風間は都営浅草線を五反田まで出て、そこからは歩いている。五反田から都心部を北上している。途中、幾度か止まってしばらくして動く、というのを繰り返していた。
地図を注意深く見ると、止まった場所は全て、地元の不動産物件を掲示している場所のようだ。GoogleのMapを照らして赤髪女は気がついた。まだ早朝で不動産会社はやっていないだろうけども、都心では大抵物件のマイソク図面を窓ガラスに貼っている。マイソクというのは、部屋の坪や間取りや値段条件が一枚に書かれている紙のことである。
赤髪女は急いで自宅の祖師谷を出る準備をした。
西馬込のアパートに暮らしているなら、毎日そこに帰ってくるのだから安心だけども、引っ越しをされると、どうなるかわからない。その手順の中で何かの事故でGPSを胸に投げ入れた風間のジャケットが万が一捨てられては目も当てられなくなる。この風間を見失えば、自分の今後の報酬に影響するのは確実だろう。
薬物の禁断症状のせいで落ち着かず、赤髪女は小田急線を都心に向かった。早朝六時頃からの風間の都内行脚が五反田、目黒、広尾、と抜け、西麻布を超えるのを赤髪女は目視している。何度も停止するのだが停止する場所を地図で検索すると、やはり必ず、不動産屋があった。
(まあ、引越ししたくなるか)
赤髪女は小田急線から直通の千代田線に入った。できれば、風間の引越し先が落ち着くまで、遠巻きに尾行をせねばならない。
すると、西麻布を過ぎた青山墓地沿いのとある場所で風間は止まった。
この場所に限ってしばらくしても、場所を変えなかった。他の場所と違い長めに止まっているのだ。そして気になって赤髪女が調べてみると、それまでと違いそこには不動産屋がない。あたりは住宅ばかりで店舗もないのだ。ひとつだけGoogleが指し示す施設として探偵事務所があるだけだった。風間は探偵事務所の目の前で随分の間、止まっている。
赤髪女は千代田線から入って、地図を確認し、表参道で降りた。そこから小走りに走った。表参道から青山墓地のその辺りまでは十五分はかかったけども、その間も風間の位置は変わらなかった。しばらく歩き目と鼻の先という所まで来てから、さすがに細い路地で鉢合わせるわけにもいかず、身を隠せる場所を探した。すると、墓地の崖の上にうってつけの小屋があった。その影に小さく佇んで崖の下を見下ろすと、風間が事務所の前の狭い路地でタバコを吸っているのが見えた。
誰かを待っているようにも思えた。
赤髪女はGPSの位置を確認しながらもう一度GoogleMapで詳しく見てみた。風間の立っている場所は
軽井澤探偵通信社
の目の前である。やはり、不動産屋ではない。少なくとも不動産屋に貼り出してある図面を物色してるのではなく、人を待っている。つまり、探偵を待っているのだ。
(風間は探偵を雇ったーー。)
このことは、次の報告に入れねばならないだろう、と赤髪女は思った。「指示者」には一応、報告をしておく必要があるし、自分にもリスクが増えたと考えたほうがいい。
そうしてまた十分ほど経ったが、誰も現れないのに痺れを切らした風間は西麻布の方に戻って行った。風間がだいぶ離れたのを見てから、赤髪女は崖の湿地を降りて、事務所の前の通りに出た。もちろんGPSを片手に風間の動きは常に視界に入れているが、どうやら西麻布交差点近くの不動産屋をまた物色しているらしい。
それにしても、都会の一等地にこんな陽当たりの悪い湿った場所があるのを知らなかった。曲がりくねった窪地の端にある、古いアパートの一階である。元々店舗か何かだったのか、中が丸見えの窓ガラスが無駄に大きい。探偵事務所などの商売に合わない、と赤髪女は思った。もしくはずいぶん間抜けな探偵なのではないか。
風間が探偵を雇う気持ちは赤髪女には理解できた。おそらく何らかの問題を抱えていて警察には向き合えないのだろう。家に幾度も猫の死体が届くのは並みの精神では耐えられない。少なくとも自分には無理だと赤髪女は思う。
目立たないようにカメラを腰あたりに置いて、赤髪女は探偵通信社の写真を撮り続けた。「指示者」にはこういう写真をできるだけ送る方がいいはずだ。今度の「指示者」は、なぜかそういう頼まれていない作業も喜んでくれるのだ。
ふと、事務所の前にある、古めかしい車が気になった。いかにも地味な探偵が使いそうな車だった。
探偵にGPSをつけるのは難しい、と赤髪女は思い、少しだけものを落としたふりをして、車の下にしゃがみ込んだ。そうして自動車裏面に、秋葉原電気街仕込みのGPSをシールで貼り付けた。安定して剥がれない場所が大事だ。親指の爪程の高性能シールで、気付かれる事はまずないはずだ。
古い車だった。貼り付けられる場所はいくらでもあり、風間の胸ポケットに入れた時よりよほど簡単だった。
その時だった。
「どちらさまでしょうか?」
突然声をかけられた。
「あ、すいません、携帯を落としちゃって」
赤髪女は、昔アイドルだった時の笑顔を思い出そうとしながら、振り返りの笑顔を投げた。突発的な対応だった。
「携帯ですか?見つかりましたか?」
スーツ姿の青年が一人で立っていた。
「あ、は、はい。」
見惚れるくらいの美男子だ、と赤髪女は思った。こんなうらぶれた墓地裏の坂の下に不似合いな、美男だった。大手町や、高層ビルのオフィス街に似合う、ネイビーのスーツが、眩しかった。
「あのう、あすなろ不動産ってこちらですか?」
赤髪女はさらりと嘘をついた。もうすでに車の裏にはシールはしっかり貼ってある。
「いえ。ここはそういう不動産会社ではないですね。」
「あれおかしいですね?ちなみにこの辺りで不動産って」
「いいえ。不動産会社はこの路地には、ないと思います。外苑西通りに出たらあるかもですが。」
「ああ。ちなみに、こちらは、、ええと」
「ああ、ここはうちの事務所で、これはうちの車ですね。軽井澤探偵通信社のです。」
赤髪女は驚いた。この人が、探偵?商社マンかエリート弁護士の風情ではないか。
「軽井沢?あの、長野の?」
「いえ、避暑地の軽井沢町ではなく、社長の名前が」
「ああ、失礼しました。」
赤髪女は、自然体に、すこし取り乱した小芝居も忘れずその場を去った。好青年に向けて幾度となく礼節の範囲で振り返りながら、ただ頭の中では、
(いったい、あの貧乏くさいアパート住まいの風間にが、なぜこんな好青年のいる探偵事務所と繋がるというのか。)
赤髪女は、そんなことを思っていた。
GPSをみると風間は次の不動産屋でまた物色を続けているようだった。