百二十二 会長室 (御園生探偵)
「東証一部の会長は、普通、当日の朝の電話で知らない人には会わないでしょう。ははは。」
「お忙しいなか、すいません。」
「いえいえ。わたしは見ての通り、田舎出のたたき上げでしてね。そういう初対面のようなところは物怖じさせないのです。」
快活で良く伸びる声で江戸島会長は第一声を放った。美しく整えられた白髪と、眼光の鋭さ。抑えた笑顔、恰幅の良いスーツ姿。豪放磊落、という空気が表現に正しい。後ろの巨大な窓からは皇居や霞ヶ関が一望され、さも上場企業らしい豪奢な役員室であった。正直僕はすこし萎縮をした。
軽井澤さんはしかし、その鷹揚な会長に対しても、全く躊躇怖じをした様子もなく
「恐れ多いです。この度は、有り難いお時間をありがとうございます。」
と言って、その後は、絶妙な挨拶の会話や僕の紹介などを続けた。顔面青白く体調の優れないのを除けば、軽井澤さんはこの江戸島会長室という場所で迫力負けもせず、ほぼいつも通りに、むしろ元気よく会話をしていた。そうして十分にお互いの胸襟を開いたところで、軽井澤さんが、少しずつ話の舵を切るのがわかった。
とある二人の男への脅迫未遂があり、会長はその脅迫周辺の被害に遭う恐れがある。その男達は随分と筋のよろしくない臭いのする輩である。二人とも江戸島会長のことを明確に口にしており、非公式の情報を警察が動くようなことになる前に入れておきたい、と、そういう説明を、軽井澤さんは、秘書に電話でしたらしく、まずはその事から噛み砕いて言葉を並べた。
軽井澤さんの言葉にはさまざまな文脈が仕掛けを付けているなぁと思いつつ、僕は会話の行く末を見守った。風間や守谷が何を語ったか?そんな会話をしたわけではない。語ったのではなく、検索をした無限にある言葉の中で、江戸島という言葉が、重複したに過ぎない。そこには軽井澤さんの作為があった。
「ふむう。そうですか。まあ、名前も珍しいほうですが、江戸島って名前で引っ掛けたわけですね。」
「まあそうです。今のところは、彼らが共通して、江戸島というお名前を語った、ということのみです。」
「そういうことは、多いのですかね。」
江戸島会長はどうしたものかなという態度になった。
とぼけているのだろうか?伊藤とか小林とは違う。ネットの上でもあなた以外、子供や若者含めて誰一人出てこない江戸島という名前なのだ。
「会長はご家族は?」
「実は独り身でして。」
「失礼しましたーー。江戸島という苗字は珍しいですよね。」
「ええ。富山がルーツと聞いていますが。まあ、ありそうでない名前なのでね。それから、お二人は、ええと」
「軽井澤探偵通信社です。」
「大変失礼いたしましたね。そうでした。」
少し遅れた秘書が白銀の什器で、お茶を出した。天井が高く、窓も壁一面に開放していて空を丸見えにしている。濠端を見下ろす最上階で一番の部屋である。
間合いをうまく取りながら、軽井澤さんの話は少しずつ不気味な領域に入っていく。風間の猫の死体の話や、守谷の私刑に襲撃された様子を比較的細かく語った。その生々しい場面には、江戸島会長は経済界の大物らしい相好を崩さない態度を保ちつつ、適度に顔をしかめたり嫌悪感を示す反応をした。
「心当たりがないですね。」
「はい。」
「それで彼らは、警察には行かないのですか」
「二人とも警察には行かないのです。むしろ我々も勧めましたが。」
「それも変わった方々ですね。被害者なのに。うむ。あと、そもそもあなたたちは何故関係が?」
「元々は我々にコンサル依頼があったのです。」
軽井澤さんは上品に言ったのかもしれないが、単純に探偵事務所に連絡があっただけである。
「その流れで二人が被害を受けた場面で、或る意味で、追撃の目撃者になってしまってまして。そのことは話し出すと少しつまらなく複雑なのですが。このようなことを致す人々ですから組織的な犯罪の可能性もあります。つまり、我々は、無駄に組織に狙われる可能性があるのです。彼らはよくわからない連中で、人を殺めてるかは不明ですが、少なくとも猫は数匹殺してますが、そう言う、タガが外れてる可能性がありますから、関連した人間が、こちらに何をしてくるか予想もつかないと言う種類の恐怖でして。」
そこで無言になった。そう言って仕舞えば、我々だけでなく、名前の出ている江戸島会長も同じ危険性の中にあるのだというのは伝わったようだった。青白いくらい疲れた軽井澤さんの表情がその時すごく効果的に、江戸島会長を怯えさせる気がした。
「警察沙汰を嫌がるのは、何故なのでしょうね。」
「わかりません。ただ、会長のような立派な方々とは違い、世の中にはまあまあ、警察署に足を運びたくない種類の人間は多いかもしれません。」
「全く、変な話です。いずれ警察に行くべきことにも思いますが」
「ええ。ただ、相手を知らない中で、余り勝手に警察に動くのも、よくないとも思うのです。強い覚悟や悪意のある人間どもなら、刺激を無駄にさせてしまう恐れもあります。」
僕は黙って軽井澤さんの言葉を聞いていた。その考え方は初めて聞いたなと思った。
「そういうものですか」
「わたくしも、こればかりは分かりませんが、中々猫の死体を届けるなどと言うのは相当な覚悟がなければできませんので。猫を殺せますか?」
猫の死体という、大手町のビルに似合わない言葉が広い会議室を猟奇的に黙らせた。この時の沈黙が一番長かった。やがて、江戸島会長はしびれを切らしたように、
「うーむ。よくわかりました。ありがとうございます。あらましは理解致したのですが、この話を今どうしろと言われても、困ると言うか。」
軽井澤さんは、そこで、少し長めに呼吸をし、
「会長。そこで少しお見せしたい物がございます。」
そこで、軽井澤さんは、僕の方を見た。ああ、そういうことかと思った。プレゼンのように、筋書きを書いて話してるのだ。僕は、カバンから今事務所で壁から外してきたばかりの葉書を取り出して、机に置こうとすると、軽井澤さんの手が伸びてそれを預かった。そうして手品師のトランプのようにして葉書をゆっくりと一枚ずつ、見せていった。見ると、わざわざ消印の日にちを分けている。
江戸島会長は、軽井澤さんの勿体ぶった態度に、少し目をキョロキョロとさせ、訝しげに軽井澤さんの手を追っていた。
「こちらはですね、この風間と守谷という二人が共通して恐れた葉書なのです。恐れた、というかこの一連の奇妙な出来事の首謀者が作ったと思われる仕掛けのようなものだと思うのです。」
「……。」
「この葉書八枚は、まず八月の六日に、このグループで送られたんですね。見てください。宛先は全部同じように手書きです。筆跡としては、誰か一人だと思われる手書きなのです。つまり犯人もしくは首謀者は、捕まることも恐れてはいない覚悟がある可能性があります。これが送られていて、そうしてこの六枚のほうが、そのまたすぐ後、三日後に送られているのです。この六枚にはこう言う文字が書かれてます。」
そう言いながら、軽井澤さんは、葉書をゆっくりと広い役員室のテーブルにくべた。葉書の位置を微妙に揃え直したりして、何かの間合いを図る手品師のような雰囲気があった。
「最初にこの八枚。三日後に、この六...