百十八 間諜(人物不祥 村雨浩之)
「体調はどうだ、守谷さん。」
「……。誰だあんたは?」
「新宿は大変だったようだな。殺される恐怖は嫌だろう。腕は痛むか?」
「だ、だれだ?」
「……腕は痛むか。」
「…殺されるのはまっぴらだ。」
「殺されるくらいなら、殺した方がいいだろう。あなたは人殺しなのだから。」
(深い沈黙。)
「……。お前は誰だ?」
「まあいい。探偵を頼ろうともしたが上手くいかなかったようだな。」
「……。」
「後悔をするかもしれないな。昨日も例の埋立地に行ったようだが。あの時間なら、十分文字は読めただろう。」
「埋立地?文字を読めた?」
「ああ。文字があっただろう。」
「どうしてそれを知っている?」
「そう言う時代だよ。」
「うるさい。…殺しはもうまっぴらだ。」
「であれば殺される側になるしかないな。わかってるだろうに。」
「あんたが首謀者か?このおかしな作業の。」
「質問に答えろ。助かりたくはないのか」
(深い沈黙。)
「助かる方法があるのか」
「ああ。」
「ほんとうか?」
「ああ。そういう理由でわざわざ危険を冒してまで、こうやって電話をしているわけだ。理解が遅いな。守谷さん。」
「……。」
「安心しろ。もう刑務所に戻されたりしないことは約束しよう。単純で簡単な作業を少ししてくれればいいのだ。守谷さん。」
「なにをすればいい。」
「撒菱を知っているか?」
「まきびし?ああ、おそらく調べればわかる」
「お前が宿泊してるその宿を出ると小さな公園がある。その公園の出口近くの駐車場に小さな白の軽トラックが停めてある。先々まで駐車代金は支払い済みだ。」
「待て。俺のいるこの場所を把握してるのか?」
「ああ。山谷で宿泊費が三千円の木賃宿に身を寄せているのは知っている。新宿で襲撃され、その後池尻の方に向かったのも把握している。」
「なぜだ。」
「こちらの用件だけを言おう。その軽トラックの中に、荷物がある。撒菱が入った袋と、塗料が入っている。この塗料を今から撒菱に塗り続けるのだ。」
「よくわからんが」
「命を助けてほしくないのか?」
「……。」
「守谷さん。助かりたければ、もう二度と言わないからしっかり聞いておけ。その軽トラックをこの先使う。鍵は刺さったままだから、引き抜いて保管しろ。まずは撒菱に言われた通り塗料を塗り続けるんだ。次の指示は追って行う。こちらの指示の通りにするのがいいはずだ。そうすれば、今の環境から抜け出させてやる。無論、その前払いの報酬も車の中に置いてある。美味い酒でも飲むがいい。」
「……。」
「おかしな真似をすれば、また新宿のようなことが起きるだろう。もう片方の腕だけで済むと思わない方がいい。」
電話が切れた後、守谷と名前で呼ばれた男は、木賃宿を出て外を見回した。公園がある。そしてその入り口の横手の狭い駐車場に軽トラックがあった。闇に紛れるがおそらく色は白だ。あたりを見回しながらゆっくりと近づくき、ドアを開けた。鍵は空いていて、確かに運転席に刺さったままだった。助手席には袋があり、手で掴むとかなり重かった。鉄の釘を集めたようなジャリという音を立てた。