← 目次へ
星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
第110章をXでシェア
第 110 章 百七 河川敷 (佐島恭平)

百七 河川敷 (佐島恭平)

 東京湾を見下ろす葛西ジャンクションを駆け上がり右折し、高速道路を北上していく。大型のトレーラーは、いくつかの橋を越えやがて高速を降りて市街地に入った。地図を見ると、都心から隅田川、荒川、江戸川と、主だった一級河川があり、その合間に細かく綾瀬川、新中川、中川、旧江戸川と、様々な水路が行き交う。指定された場所は千葉の近くまで行った、江戸川の土手だった。トレーラーは河川敷の一角に停まった。
 すでに、夜風が静かに吹いている。星のない夜空に、満月ほどではない月が雲の狭間から出ていて、少しの明るさを地上に投げている。
 黒いサングラスをしたスーツ姿の佐島は、トレーラーを降りるとしばらく歩いた。そうしてメールをやりとりして、細かい場所を合わせた。ようやく待ち合わせたもう一人の男に、快活に手を振った。
「ご無沙汰だね、軽井澤さん。」
「佐島さん。ごぶさたです。」
「突然で、申し訳なかったね。」
「いえ。偶然、場所も都合が良かったみたいで、よかったです。」
「そう。偶然、湾岸道路にいたんだよ。偶然だ。久々にあえて嬉しいよ。」
「こちらこそです。」
「レイナの仕事っぷり、は最近はどう?」
「はい。とても助かっております。探偵業もかなりデジタル化しておりまして。彼女(レイナさん)の才能にとても助けられております」
「そうか。良かった。」
 光のない漆黒の川が無言で流れている。野球場が三つも四つも並ぶ草原の横を土手がなだらかに高台を作っている。誰もいないその土手の上で、二人の男は立ち話をはじめた。
 何年ぶりだろう。男たちはそれぞれ思った。夏が終わった後の、熱を失った夜風が河川敷を撫でていた。静かだった。ふと、どちらともなく歩きながらの会話になった。
「軽井澤さん。少しお疲れのように見えるが。」
「そうかもしれません。」
「例の新しい案件かな。」
「ええ。ご存知ですか。」
「レイナから聞いている。葉書と、もろもろの暗号が複雑という。関係してる人間も随分怪しいようだ。」
「はい。」
「そのことも含めて、話をしたくてね。今日は時間をすまない。」
「いえ。佐島さん。逆にこんな東京のはずれまで来ていただくなんて。」
「ちょうど葛西まできていてね。運がいいと思ったのだよ。ぼくもね。葛西からこの辺りは道が一本だからね。ちなみに今日は、この辺りを調査していたのですか?事務所からは随分遠いようだが。」
「そうですね。そんなところです。」
「そうですか。」
「はい。」
 佐島は、ゆっくりと川の方を眺めた。川に沿って高速道路の灯す列が遠く埼玉の方まで走っている。
「ところで、です。レイナとも話しているのだが。」
「はい」
「軽井澤どの。あなたは、今の案件、つまりあの二人、いわゆる風間だとか守谷とかの件はどういうおつもりかな?」
「どういうと言いますと?」
 佐島はそこで息を整えた。今日はそのためにここに来たわけである。
「つまりその、直感というか、その、これは、レイナの意見なのだがね。」
「レイナさんの?」
「ああ。わたしは仕事の現場のことはわからないのでね。」
「はい。」
「一連のその風間らの流れに軽井澤さんがどうして首を突っ込むのかというかね。不思議に思ってるのだ。いや、不思議というよりも、不要におもうのだ。」
「……。」
「まあ、その、実は、レイナから聞いたのだが、この件は深く調べていくと、少し古い時代の出来事と絡んでくる可能性もあるのだ。あくまで仮説なのだが。」
「古い時代ですか。」
 軽井澤はすこし表情をあげた。見つめられたせいで佐島恭平は思わず黒いサングラスを指でいじった。
「ああ。その古い時代は、世の中というものがね、まだデジタルではない時代だ。もう世の中が変わってしまったけども、昔誰もが、スマホも、ネットも持たない時代があった。」
「……。」
「そこにじつはね、断絶がある。いわば社会情報の過渡期だ。なのでレイナの得意とする、最新の調査がなかなか思う通りにいかないのは彼女が当初から申し上げた通りだ。」
「はい。そのことは、別のお仕事の中でも、幾度かお聞きしておりました。」
「今回はなんとか、その葉書などのアルファベットの並びなどにおいて、またいくつかの仮説において、不得手とはいえ、この件を論理的にネット上で整理し始めた。」
「はい。認識しております。」
「そう。その際にだな、その、レイナから予感というか、何というか、随分、これはよろしくない過去に向かっていくように思えてならないという、直感があったそうなのだ。」
「よろしくない?」
「ああ、彼女なりのコメントがきているのだよ。うまく説明できるかわからないがね。彼女はまず、風間と守谷のことも調べたんだ。なんとなく犯罪者の香りがするとなっているからね。でもそちらはなぜか一切問題が出ない。いや、彼らのアカウントは犯罪者や反社会的なアカウントではない、真人間の一般的なアカウントだ。つまりちゃんとしている様子があるのだ。これはレイナにはある程度意外だったそうだ。すぐに何かの足がつくと思っていたのだ。」
「……。」
「それだけなら、こうやってわざわざ私、佐島があなたに会いに来ることなどない。」
「……。」
「しかしだ。あの葉書なのだよ。アルファベットや、風間らのことをデータベースの一角として、機械での計算を繰り返させ始めてからだ。当然あらゆる機械学習は、その都度アルゴリズムや、初期要素の起き方で計算の結果は変化する。とはいえ機械だから答えは提案してくる。そうやって計算は進めていくでいく。そこでね、突然、関連事項にとある事件が上がった。つまり、風間や守谷の過去がそういうものに絡む可能性もあるという計算が出たのだ。葉書のアルファベットを混ぜて機械が読み込むと、おかしくなるのだ。純正に風間、守谷だけではそうならないのに。」
「ーーつまり、葉書を混ぜて調べると、なんらかの過去の事件につながっていく?風間、守谷だけではそうならないのに?」
「機械というのは予想はしない。予測だけをする。何かの根拠がない限り予測はしないから、なんらかの理由があると思った。しかしレイナがいくら調べてもその理由が出てこない。繰り返しだが、彼女の不得手であるだいぶ昔のインターネットが社会に存在していない頃にまで遡るからだ。しかし」
「しかし」
「しかし、やはり計算をどう繰り返しても、過去の事件、しかもおぞましい殺人の事件に収斂していくようすが強くあるらしい。」
「悍ましい事件ですか。」
「ああ。レイナ自身、もう間違いないと仮説しているかもしれないーー。」
 そこで佐島はじっと軽井澤を見つめた。サングラスの中でも黒目を見つめていることが判るような、そういう間合いだった。
「殺人事件、過去の問題の事件に絡むくらいならば、リスクある執着などせずに、探偵としての協力などやめて仕舞えばいいじゃないかと、いうことですよ。軽井澤さん。世の中の闇に手を突っ込むのは危険でしかない。」
「執着ですか」
「ええ。これは執着に思えてならないのだ、と。」
 ここで、佐島は少し咳き込んだ。言葉を出すのを少し苦しそうにしながら、
「軽井澤さんが何故そこに向かうのか?レイナはあなたの執着が腑に落ちないと言うのだよ。」
 佐島はそこから、ずっと...

文字
明暗
組方向