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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 11 章 八 板電話   (銭谷警部補)

八 板電話   (銭谷警部補)

 日没後の警視庁六階は、人が疎らだった。
 本庁を出て、わたしは上野に向かった。独身寮のある金町まで帰る手前で、すこし、憂さを晴らしてから帰りたい。いつものことだが、地元の金町で一人で飲む気分にはなれなかった。
 霞ヶ関から千代田線を湯島で降り、いつものように広小路を抜けてアメ横に入った辺りで、その日の気分にあう、居酒屋に入った。ジョッキで何かを飲めればいい。そんな気分だ。
 アメ横のガード下。
 山手線と、京浜東北線が四六時中、頭上を通り続ける。会話相手のいないわたしには騒音はむしろありがたかった。落ち着かない気持ちを雲散させるように酒を煽ればいい。
 焼き物が売りの居酒屋の一角に座ると、わたしは、餃子とビールを頼んだ。そうして、食前のタバコに火をつけた。しばらく煙を吸った。頭を弛緩させるこの時間が、独り暮らしのわたしには、家族の団欒のようなものだ。
 板の電話(スマート・ホン)を手に取り、迷惑メールのフォルダを開いた。ジャンクメールの狭間に、売込みのない文字も少ないメールがあるのを見つけ、それを開く。
 To Z
 郷に入っては郷に従え。
 その言葉には一理ある。
 刑事の仕事は、順調か。K
 文面を読まなかった。ニコチンを深々と吸い上げながら、わたしは、そのイニシャルのKの文字を、終わって黒ずむ夕焼けでも眺めるように身任せにしていた。現実アメ横の居酒屋からは夕焼けなどは見えない。上野の山か本郷台に向けて林立するビル群は夕焼けの始まる手前で太陽を隠してしまう。
 わたしはイニシャルKを名乗る人間との時間のことを回想した。
 わたしと出会う以前から各所に内偵していた奴は、事件の点と点をつなげる自信を持っていた。
「城のような建物だよな」
 六本木ヒルズのことを、そう言った言葉を思い出す。
 止まったエレベーターも疑問が溢れていた。部屋で女性が死んでいるのに、救急車も呼ばれなかった。その場にいた人間も正確にわからない。そして、監視カメラに一部不具合があって正確な記録は消えてしまっていた。何から何までもみ消しの典型のような芳しい匂いがあった。
「あの部屋の実質の主催者こそが太刀川だった。」
 イニシャルKーーー捜査二課にいた金石という刑事はわたしにそういった。
「全てがつながっていたんだ。なのに全部がひっくり返った。」
 やつが説明もなく、わたしの目の前からいなくなったのはそうなって暫くしてからのことだ。
 晩飯の上野アメ横で私はひとりだった。串焼きと、済ませたビールの後のハイボールを三秒も眺めずに、胃に流し込んだ。塩気と、炭酸と、肉汁と、アルコールと、最後におきまりのニコチンが混ざりながら、からだは少しずつ、憂鬱を麻痺させ、緩めていく。もう少し飲めばいい。そうして一眠りすれば、この気持ちは収まってもいくだろう。時間が心を紛らせ日常の一日が、終わっていくだけでいい。どうせ、良いことなんか何もないのだ。適切な麻痺をさせねば気が狂うだろうし、シラフでやり切るにはそもそも頭のネジを外すしかないのだ。
 郷に入っては郷に従え。
 刑事の仕事は順調か
 その文言がわたしの現状を見て知っているような気がした。今日の取り調べのことを思い出した。
「順調なわけがないだろ」
 と声に出していたかもしれない。周りでは二組ほど、サラリーマンが会社の女性を連れて楽しそうに飲んでいた。残りの三名ほどが静かに一人きりでわたしのように飲んでいた。いや、静かだと気が付かないくらい、電車の音がうるさかった。
「順調なわけがない。」
 少し小さく、不気味にわたしはその言葉を声に出してみた。肩のあたりから首にかけて神経痛のようなものが走る。タバコを咥えたまま、酒をまた注文した。もう少し酔わなければ、いろいろなことが脳裏から消えてくれないと思った。

文字
明暗
組方向