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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 108 章 百五 竜岡門 (銭谷警部補)

百五 竜岡門 (銭谷警部補)

 石原とわたしは湯島の喫茶店を出ると不忍池から昌平坂を上がった。
 右に三菱財閥の名残を残す旧岩崎邸のあたりを越えると本郷台になる。
 歴史ある坂は微妙に蛇行しながら台地へと上がって行った。わたしは歩きながら、石原の意見と自分の脳裏を整理していた。
 ・太刀川の株式売却後の金の使い方。どう使ったのか。
 ・毎朝の地下鉄は継続している。理由は不明である。
 ・彼の世を捨てたようには見えない表情。石原も同感。
 ・慈善への傾倒。パラダイム時代にはなかった。
 石原の指摘した竜岡門ビルディングは春日通りの坂を上がったあたり、少し横道に入ったところにあった。ビルディングの片方の側面にこの辺りでは珍しく蔦が緑に密生していて四階の上まで壁を覆っていた。その横を鉄製の階段が壁に突き刺す形でついていた。エレベーターはないようだった。
「ビル、というほどでもないか」
「そうですね。四階建てですかね。」
 石原はスマホを手に写真を撮りつつ
「太刀川は先日、この竜岡門ビルディングの方に歩いていった、ということだったな。」
「はい。正確には部屋に入ったところを目撃してはいませんが、不動産会社の話と合わせると、おそらくそうだと思います。生活の様子はないですが、光熱費だけは継続しています。」
「部屋は、使われている、ということか。」
 わたしはそう言って、横を向いて石原の横顔を見た。石原はビルの四階あたりを見つめたままの頬だった。上野の居酒屋とちがい、折からの陽を受けて肌が健やかに輝いていた。
「ここの四階は、少し裏事情があるのかもしれません。」
「裏事情?」
「はい。じつは、パラダイムの創業は六本木ということになってたと思いますが、それよりもっと前に、ここを登記していたんです。」
「パラダイムの?」
「はい。パラダイム自体の記録には残っていないんですが、当時の取引先の方に残っていました。」
 これも随分と早い。適切な裏取りが常に進んでいる。
「ふむ。」
「なぜ、この場所を記載していないんですかね。創業の場所なのですが。」
「創業の場所として、記載していない?」
「それが気になりました。普通だいたい、ネット企業は創業からの歴史をホームページで語ると思います。でもこの部屋は、過去から消されている。実際色々語られたパラダイムの創業のころの武勇伝にも一切出てこないです。よくあるじゃないですか。四畳半一間でパソコンを繋いで始めたみたいな。」
「よくあるかもな。」
「はい。四畳半ではないけども、何だか気になったんです。さらにおかしなことに、会社の株を手放したあとの今になって、太刀川はこの部屋にいた様子がある、というのが。」
 わたしは、再びビルディングの四階を見上げた。
「部屋は四階なのか。」
「はい。ワンルームですね。本当の学生の一人暮らしのような狭い部屋です。三階も含め同じ間取りですね。」
 石原は、横顔のままずっとビルを見上げていた。今朝の変装の名残だとおもわれる強めの眉毛のむこうに夕焼けが始まっていた。
 竜岡門ビルディングを後にすると、我々はゆっくりと、本郷の商店街の方に向かって歩いた。
「ここでも、気になったことがあるんです。」
 石原は歩きながら、商店街の奥にある地下鉄の本郷三丁目駅のほうを指して、呟くようにそう言った。
「気になったこと?」
「これは自分の意識の過剰、でしかないのかもしれませんが。」
 駅の改札までたどり着いたところで、石原はわたしに向けて振り返った。
「ここ?」
 石原の指さしたのは駅の古本置き場だった。
「太刀川は、ここで本を選んでいました。」
「本を?」
「古本ですね。本郷文庫って書いてありますが。東大赤門の最寄りの本郷三丁目の駅らしいというか。」
「太刀川と古本、というのが結びつかないな。」
「はい。そうかもしれないです。ただ実は、自分でも試したんですが、携帯電話を持たないで地下鉄に乗るとすごく暇なんです。だから、こういう場所は大事なのかもしれないですね。」
 石原はわたしに話しながら、ビルディングの時と同じように目の前の対象をスマホで撮りながら話していた。わたしは駅の壁をくくり抜いただけの枠に所狭しと並べられた古本の列を見つめた。西陽が入る古い駅舎に同じように古い本の集まりが似つかわしかった。
 そうして石原とわたしは少しの間、そこで沈黙になった。少し間合いの悪い感情がそこに漂うのを感じた。石原には珍しいなと思った、その時だった。
「銭谷警部補、今日はありがとうございました。今日の最後に、というわけではないのですが、銭谷警部補にもうひとつだけ確かめておきたいことがあります。よろしいですか?」
「確かめておきたいこと?」
「ええ。」
「具体的にどの部分だ。」
 わたしはさっと、一つの予感が体を刺した。石原はそのわたしの感覚を見て取ったように真っ直ぐこちらを向いた。
「金石警部補、のことです。」
 わたしは顔面の筋肉が波打つのを感じた。
「銭谷警部補とこの太刀川の関連の捜査で、組んでいた捜査二課の金石警部補、いや元警部補のことです。まだ銭谷警部補から、一度もお話を頂いておりませんので。」
 石原はわたしの瞳を見つめていた。

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