百 金町駅(銭谷警部補)
早乙女捜査一課長から本庁の携帯にメールがあった。
「今日もまだ沙汰が出ない。もう少し、大人しくしていただきたく。」
一瞬よくわからない、変な文面だと感じた。少なくとも、心に引っかかる。
わたしは嫌な気持ちのまま、金町駅のホームにあがった。
追越し線を緑を基調にした列車が通り過ぎていく。常磐線の快速だ。
昔は、ピンクに白の不思議な色違いの湘南列車みたいなものも走っていたが、あの車両はどこに売られたのだろうか。最新式の列車の疾走を見ながら、もう使われない旧式の電車のことをなぜか思った。それは何か自分の置かれた状況を象徴するかのような、似つかわしい虚しさがあった。
早乙女課長のメールが心に引っかかった。いや、あえてそういう含みを入れている点が嫌だった。
まだ沙汰がない、とだけ言えばいいのに、
「もう少し、大人しくしろ」
というのは何だろう。もしかすると、わたしが太刀川の件で色々と動いていることに触れているのか?石原のことを知っているのだろうか?わたしのメッセージを全て、見ているならそれもあり得るだろう。と言っても、二日程度で、そこまで読み込めるのだろうか。実際わたしと石原は、さほどメッセージのやりとりをしていない。すでにお互いの使用の連絡手段に切り替えている。
わたしは処分待ちの人間に典型的な、後ろ向きの勘ぐりの中にいた。
実は、最低限わたしのことを思って早乙女が火消しに動いている可能性もある。部下の不祥事は避けたい管理職の心理もあるからだ。が、どこかでそういう想像に向かわない。明日には突然、パワハラという雑な言葉で、聞いたことのない警察署に異動になり、刑事現場の人生を終わりにさせられる。そういう想像の逆算で人事権者を見てしまう。わたしは自分に染みついた、警察組織らしい人事に受け身になる性質を恨んだ。
待機。
結果が出るまで、何の権限も情報もなく、裁判を待つ被告のように暮らしているようなものだった。それでも前向きに刑事の仕事を思っている自分の気持が何より辛かった。
酒を飲みすぎた朝はいつも最も後ろ向きな気持ちになる。
常磐線の駅敷台(プラットホーム)に立ち尽くし、左は千葉、右は都内へと真っ直ぐに伸びる、二本の銀色の線路を見おろして呼吸をしていた。人間が死のうという場合は、この線路と、列車の車輪の間に入ればよい。命とは実に簡単である。消えて無くなるだけのことなのだ。線香花火のように少しだけ膨れて最後の叫びをするかもしれないが、終わった後になにもない。何かがあるなんてのは妄想だ。誰だって同じく土に帰るだけだ。何も変わりはない。
大袈裟な冗談が静かに一歩一歩自分に現実の色彩で近づいてこようとしている。
命を捧げてきた刑事の仕事ができなくなるのなら、その時に、そこで終わりにすればいいじゃないか。幾度か、わたしは線路を見て思ってきたことでもある。繰り返しだが、わたしには仕事以外に家庭も何もない。仕事以外、唯一の趣味であるアルコールは、仕事のストレスの反作用でしか美味い味がしない。
わたしは気を紛らわそうと、もう一度電話をいじった。
ToZ
こどく。
被害者の孤独。
そのとなりに自分がいるのか?
ましてや、被害者と加害者の、その対立構造などを作っている奴らに加担してないか。
K
哲学的な設問を混ぜた散文が幾つか迷惑メールに溜まっている。Kと名乗る男は、こういう思想的な文言を大事にしていた。わたしの知っているKにはそういう性質があった。奴の脳の底には、そういう言葉がたくさん蠢いていた。ただ、滅多にそれを開陳しない。話をするのは彼の方でも大抵、アルコールの力を借りている時だった。我々は仕事終わりにしばしば酒を酌み交わしたが、そう言う会話は居酒屋の最初ではなく、もっと酩酊が進んだ、ウィスキーの香りの漂う場所でと決まっていた。
メールの到着時刻を見ると朝の三時。となると、奴は今も随分と深い酒を飲んでいるのかも知れない。
「朝から、命の話か……。」
声に出してみると恐ろしく小さな声だった。横に並んだサラリーマンたちは誰一人気がつかない。わたしの声は小さく、世界の誰一人聞いて拾うことはない。
「死んだ被害者、と、その遺族。」
自分がもっともっと優秀な刑事だったら、と思うことは幾度もある。
早く、解決してやりたい事件。墓前に報告をしてあげたい、事件。
早く、解決してやりたい。
墓前に報告をしてあげたい。
遺族の悲しみを目の当たりにしたから、わたしは刑事の仕事が辞められなくなった。いや、自分の精神衛生の中で、そこを離れられなくなったと言っていい。仕事ではなく、遺族の仇打ち(かたきうち)のように生きる自分が生まれてしまったのだ。
事件のたびに、捜査一課には人間の死が届く。金町のこの駅で列車の車輪と線路の間で体を八つ裂きに裂かれるような、死ぬという現実だ。そうして、わたしが死ぬのとは違い、人間の死ぬ事件には必ず被害者の遺族がある。愛するものを失った被害者遺族にとっては、もしここが殺人の現場ならば、この線路さえ見たくもないトラウマになるだろう。
実のところ、恐ろしさはほとんど知られていない。
被害者にならなければ、もしくは被害者の隣でというほどの生活をしなければ、実際には誰もわからないからだ。
被害者は毎朝、八つ裂きにされる家族の最期を思い出し、その場面を忘れるしか解決しない苦しみを背負って生きる。生活の中で亡くなった娘の最高の思い出を思うたび、その最悪最期の現実が織り混ざって、胸を苦しめる。思い出すことも苦しくなる。しかし、失った娘を思うその気持ちを忘れることは、実はその失われた命にとって申し訳ないという感覚が混ざる。人間は全ての人に命を忘れられた時に二度死ぬのだという詩人の言葉も被害者を苦しめる。繰り返すが、被害者には一切の救いはない。
反して加害者側はそうではない。
二度と戻らない人間の命を奪った現実に反し、被害者遺族に途轍もない苦しみを与えたことにも反し、加害者である罪人はたとえ死刑になっても明日がある。被害者の朝が過去の嗚咽に向かうのとは逆に、死刑はすぐにはやってこない。下手をすれば、死刑にもならず、世の中に戻ってきて酒を飲んで暮らすこともできる。
そうだ。
金石、いつもお前はそう言ったな。
被害者と加害者を並べることだけは許せないって。六本木事件のテレビ報道がそれをやっていた。被害者が報じられていくうちに、どこかで力が加わったかのように、加害者の周辺のさまざまな物語と被害者の命は混乱したままテレビの画面で共存した。善悪より事件の映像の力の方が視聴率にとって大切になった。結果、こともあろうに被害者の生活や、関係のない六本木界隈の背景ばかりが報道された。
金石。お前は、まだ解決させられないわたしを恨んでいるのか?
あれだけのヒントを残したのに、未だに何も進められていない、このわたしを。
だからこんなメールを何度も送ってくるのか?
「そうだ。その通りだよ金石。お前のおっしゃる通りだ。それどころか驚くことに、わたしは刑事を首になる可能性さえあるんだよ。そうなれば手錠を犯罪者にかける役割をできなくなるかもしれない。それに加えて悲しいことに、...