九十七 朝の金町 (銭谷警部補)
ToZ
文学的に言えば、
百の事件には
百を被害者がある
一つとして同じ事件はない
また、殺人において
加害者にはまだ未来があるが
被害者には永遠に未来はない。
言ったはずだ。
K
同期の是永から又兵衛の公金横領という話を聞いたのは辛かった。いや正確にはその情報に違和感があった。横領をする人間の表情というものをわたしはそれなりに知っていて、昨日日比谷を歩いた又兵衛はそういうものとは真逆の目をしていたからだ。
落ち着かないまま、仕事の携帯電話を取り出したのだが、手元が定まらず最初に迷惑メールから見てしまった。そこにはKからのメッセージがいくつかあった。
朝の金町は、冬のように静かだった。まだ夏の終わりだというのに人も少なく、わたしは金町の駅にむかう河川敷の下道(したみち)をとぼとぼと歩きながら、自分の脳裏にやってくるいくつかの文言を並べ直していた。
百の事件には
百を被害者がある
加害者にはまだ未来があるが
被害者には永遠に未来はない。
迷惑メールの文言は、ほとんど金石の言葉と同じだった。
天現寺のあのバーでの思い出が脳裏を疾走し、そのまま又兵衛刑事の横顔と混濁した。何故かそういう被害者への解決を追いかけた結果、又兵衛という人間は、公金横領という汚名で警察官を去るのだと、なぜか脳天に言葉が堕ちてきた。不思議な直感だった。わたしは今表向き警察の仕事を奪われている。老刑事も横領ということであれば捜査の前線には参加させてはもらえないだろう。
空を見上げた。青空が美しかった。ため息のような白い筋の雲がひとつだけ、見えた。
考え事が止まらぬままわたしは駅に向かって歩いていた。
考え事を繰り返しているのは仕事に真面目な人間だからではない。刑事の考え事がやめられないのである。仕事が一枚の油絵のようになっていて、この世にある全ての問題を全面解決する夢がある。その反面、未解決を抱えて生きているせいで、常に満たされないものがある。その不満足こそがわたしという刑事の熱源なのだ。
K、のいう通り、百の未解決事件には百の被害者がいる。
殺人が職掌である捜査一課が関わり行く被害者の人生は苦しい。第三者のできることなどほとんどないと言える。たとえ犯人を逮捕し事件を解決したとしても、死者は蘇らない。警察では百点になっても、最悪は最悪のままでしかない。
わたしは河川敷の下の路地で立ち止まってタバコを吸った。
そうやって今日という一日が、始まっていた。
いい日になる予感など何もなかった。
人のいない河川敷の土手を見上げながら、金町駅までの日当たりの悪い道を歩いた。