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星空出版 HOSHIZORA PRESS

ミステリー・連載

パラダイム

下代沢侯二
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第 213 章 二百八 青山墓地  (江戸島)

二百八 青山墓地  (江戸島)

「佐島さんでしょうか?」
「はい。」
 江戸島はじっとその男を見た。化粧をしている、と思った。いや、正確に言えば、そういう趣味がある人間なのだろうが、何かの乱れで、うまく化粧できていない様子がある。
「あなたですか?妻とのことをおっしゃったのは。」
「いえ厳密には私ではありません。しかし、そう捉えていただいて構わない。」
「なるほど。」
「……。」
「どういう用件でしょう。この場所でなければなりませんか?」
 江戸島は少し嫌な表情をした。じつはこういう風に妻の過去の関係者から連絡を受けることは初めてではない。江戸島はすこし、否定的だった。
「このお墓は、季節ごとに様々なお花が飾られます。」
 佐島と名乗る男は江戸島をあまり見つめずにずっと墓標の方を見つめている。そうして花を一つ手に触れた。
「月見草ですね。故人はこのお花が好きでした。」
「……。」
「夕暮れから花を咲かせますね。」
「よくご存知ですね。佐島さん。」
 どういう関係か、などは江戸島は聞かなかった。おそらく、妻の関係者ということは、ある程度のことは想定ができるからである。
 しばらく黙っていると、佐島と名乗る男は、
「この青山墓地は建国の志士らの墓標もあれば、無縁仏もあります。墓にも寿命があり、時を重ねれば故人を偲ぶ時間は少しずつ減っていくのでしょう。ただ、この辺りで、一番お花が多いのはこのお墓かもしれません。」
 と言った。
 基本的に江戸島はこの墓に一年に何回も訪れはしない。あくまで妻の亡くなった桜の季節に訪うくらいである。これまでも、普通の墓より花が多いのは大企業の会長という立場の自分に幾つかの取引先が気を遣ったのだと思ってきた。実際に妻の葬儀は盛大に行われ、随分のひとが参列していた。
「いつ来ても、どんな季節に来ても、誰かが、それぞれの季節の花を捧げていただいて。季節ごとに訪れた人が花を変えるのを繰り返しています。もう随分の時間が過ぎたというのに。」
 佐島はそう言って墓標を見つめている。
「あれからもう、何年も過ぎました。節子さんには本当に……。」
 よく見ると横顔に涙が流れているのに江戸島は気がついた。自分の過去の記憶のとある区画を、懐中電灯で照らすような気持ちになった。
「あなたは…。」
「失礼しました。節子さんとの、私の思い出というか、はい。自分が混乱しています。すいません。ちょっとだけ、失礼します。佐島恭平、だとか申し上げましたが、すいません。少し時間をください。実は今、あなたと、話をさせて欲しいのです。」
 その声はどこか、それまでの男の声とは違い、女性的だったーー。
 二百九  最終地点 (軽井澤新太)
 少し前、わたくしの追う守谷の車は埼玉から東京に戻り、都内を南下しました。隅田川沿いを降り、新木場を超え、埋立地である若洲に入りました。わたくしは、若洲という土地に入ったときに、既に強い覚悟をしておりました。
 ところがその予想を裏切り、守谷の軽トラックは若洲を素通りしました。GPSを持ったままわたくしは、地図を見ました。御園生君が説明していた若洲の海沿いにある観音像の場所を、確かに、素通りしている。昨夜、江戸島が徘徊した場所には近づかないーー。
 守谷の車はさらに東京湾を南へ向かいます。
 その時は、一日の終わる最後の陽射しが車のボンネットを熱しておりました。わたくしは西陽に目を細めながら若洲から次の埋立地の方へ巨大なゲートブリッジを駆け上がり羽田空港方面に向かいました。橋の最上部を通過する時、ふと東京湾を一望できます。空港や京浜の工業地帯が地図のように並ぶその先に、まだ埋立が途中の生簀のような区画が夕陽に少し色違いの海面を輝かせて見えます。GPSの地図には映らぬその区画は半分ほど埋立が進んでいる様子です。わたくしの心情を知りもせぬ長閑で美しい夕焼けの先に、守谷の軽トラックはありました。
 守谷の車が左折したのはまさにいま橋の上から眺めていた、地図の表記のない埋立地の方角に入る交差点でした。左折は、つまりお台場の逆、海の沖合の方角になります。東京湾の最も沖合の出島のように伸びる方角へ、守谷のトラックは進んで行きました。
 わたくしは一旦、島の入り口で車を止め、いくつかの地図アプリを調べました。というのもゲートブリッジの上から見た記憶では、明らかに出島は袋小路の行き止まりであり、行き止まりのあの島に尾行を走らせれば、すぐに目につくだろうからです。つまり密室のような行き止まりの袋小路に、ドラム缶にコンクリートまでを載せた守谷の軽トラック車を追いかけるのには少し準備ーーむしろ覚悟が必要だと思ったのです。
 わたくしは地図をいくつも調べました。
 不思議な島です。埋立地になろうとしている、海でも陸でもない場所です。見る限り、やはり、この島の入り口はどうやらここ一箇所だけのようです。そもそもまだ島を作っているような状態ですから、複数の道路を作って出入りする必要はないわけです。
 追いかければ守谷の軽トラックと鉢合わせになるでしょう。入口が一箇所一本道の出島です。この道路はおそらくゴミ処理の車両や島の建設を預かる工事車両の通行路です。守谷の軽トラックはその一本の道を迷うことなく進んで消えていきました。いつしか夕焼けは終わり、闇に飲まれ始めると街の光もない沖合は驚くほど暗くなりました。守谷の行った工事関係車両用の細い二車線は照明もほとんど少なく沖合の方角は暗く、まるでどこから海になっているのかもわからぬようでした。場合によってはそのまま海に落ちても誰も判らないようなそういう恐怖がありました。
 守谷をリンチした集団を思い出します。
 万が一このトンネルの先にそう言う人間が集まっていれば、安全なわけがございません。
 守谷は一体、何の目的でドラム缶を埼玉の山奥に探し、ホームセンターでセメントを用意したのかなど思いながら、わたくしはGPSと地図に釘付けになって、さまざまなことを思案しました。出島の入り口のその場所でまんじりとした時間が過ぎました。守谷のGPSは島の奥でまだ輝いています。地図上では海の上の沖合にまで進みました。やがて、そこに止まったまま動かなくなりました。
 随分長い時間待ったとおもいます。守谷は一人で何をしているのか。ドラム缶やセメントの粉を何に使うのか。まさか誰かを殺して再びそこに埋めようとしているのかーー。そんなことを妄想していました。しかし誰かを殺すも何も、彼はただ一人でこの道を奥へと向かったのです。
 あたりは、建物も何もないせいか暗くなるのが早いようです。明るいのは海の向こうの都心部の高層ビルや、空港の照明の輝きばかりで、足元は漆黒の闇となっていきます。まるで海面のように地上の生物の香りがない。わたくしは、闇に覚悟を迫られたようにして、車のアクセルを踏みました。地図にない交差点から島の中へと進めました。地図の上では陸が消えるその沖合に向けてしばらく走りました。入ってわかったのですが、島はかなりの広さがあるようでした。
 しばらく行ったところでした。
 狭い車線に蛍光色の何かが広がっていました。嫌な予感がして、車を停めてアスファルトの闇に光るものを見てみると、そこには、車のタイヤを破裂させること...

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