第8章 杖を持つ者と、杖にされる者
― 「AIを使える人間」と「AIに使われる人間」
「AIを使いこなせばいい」。
ここまで読んできた人の中にも、そう思っている人がいるだろう。第6章と第7章で、AIが作るクレバスの深さを描いた。だが人間は賢い。道具が変われば、道具の使い方を覚える。エクセルが来たときもそうだった。インターネットが来たときもそうだった。今度もそうすればいい。AIを上手く使える側に回ればいい。
この考え方は、半分正しくて、半分致命的に間違っている。
致命的に間違っている半分の話を先にする。
「AIを使える」人間は、三種類いる。そしてこの三種類は、自分たちが同じ場所に立っていると思い込んでいる。
順番に見る。
一人目。AIに「キャッチコピーを十案出して」と指示する。十案の中から良さそうなものを選ぶ。上司に見せる。修正指示をAIに渡す。完成。この人間は、AIを使っているつもりでいる。だが実際には、AIの出力を選別しているだけだ。AIが出さなかった選択肢は、この人間の世界に存在しない。AIが考えた範囲の中で、AIが出した答えを選んでいる。これは「AIを使っている」のではない。AIに選択肢を決められている。
二人目。自分で市場を分析し、ターゲットの心理を考え、仮説を立てた上でAIに指示を出す。AIの出力を自分の判断で磨く。この人間は、一人目より明らかに優秀だ。AIに問いを立てられる。AIの出力を鵜呑みにしない。自分の頭で考えている。
多くの人はここを目指す。「AIに使われるのではなく、AIを使いこなす人間になろう」。ビジネス書にはそう書いてある。セミナーでも講師がそう言う。
だが、この二人目の人間に一つだけ聞きたい。あなたは、誰のためにその仕事をしているのか。
上司のためだ。会社のためだ。あなたが生み出した価値は、会社の売上になり、株主の配当になる。あなたはその一部を給料として受け取る。どれだけAIの使い方が巧みでも、あなた自身が誰かの道具として使われている構造は、産業革命の工場と何も変わっていない。
三人目。この人間は、一人目と二人目を見てこう考える。「この二人がやっていることの全体を、仕組みにできないか」。
三人目はAIを使って、マーケティングの分析から提案までを自動で行うシステムを作る。月額五万円で企業に提供する。二人目の年収が六百万円だとして、三人目のシステムは年間六十万円で同等の成果を出す。
三人目は、一人目の仕事を消し、二人目の仕事を飲み込む。
第1章を思い出してほしい。株式会社の本質は「リスクを分散しながら意思決定を集中させる」ことだと書いた。三人目がやっていることは、これと同じだ。AIを使って、判断を仕組みに落とし込み、その仕組みを所有する。
一人目は、AIの出力から選ぶ人間だった。最初にいなくなる。AIが自分で選べるようになるからだ。
二人目は、AIに的確な問いを立てられる人間だった。しばらく生き残る。だがやがて、三人目が作った仕組みの中に吸収される。問いの立て方そのものがシステムに組み込まれたとき、二人目の能力は仕組みの一部になり、二人目自身は不要になる。
三人目は、仕組みを作り、所有する人間だ。
この三人の違いは、AIの使い方の巧拙ではない。立っている場所の違いだ。一人目と二人目は、どれだけAIを上手く使っても、「雇われる側」にいる。三人目は「仕組みを所有する側」にいる。
これは五百年前と同じ構造だ。帳簿を読める者と読めない者。仕組みの側にいる者といない者。形を変えて、同じ分離が繰り返されている。
だが一つ、決定的に違うことがある。
五百年前は、帳簿の読み方を学べば仕組みの側に移れた。時間はかかったが、道はあった。今回は事情が違う。三人目が作った仕組みは、二人目の仕事をまるごと飲み込む速度で拡大する。ソフトウェアだからだ。一人分の仕事を代替する仕組みを作れば、それを一万人分に複製するのに、追加のコストはほぼかからない。
二人目が「自分も三人目になろう」と思い立って勉強を始めたとき、三人目の仕組みはすでに二人目の仕事を終わらせている。追いつけない。追いつく前に、立っている地面がなくなる。
第2章で書いた。「あなたは交換可能である」と。産業革命は肉体労働者にそれを突きつけた。AIは、知的労働者にそれを突きつける。問いを立てられる人間ですら、仕組みの前では交換可能になる。
そしてここが最も恐ろしいところだが、この三層の区別は、見た目では分からない。
三人ともパソコンの前に座っている。三人ともAIを開いている。三人とも、仕事をしている顔をしている。隣のデスクから見れば、同じことをしているように見える。
だが一人は仕組みを作っている。一人は仕組みの中で働いている。一人は仕組みに気づいてすらいない。
あなたは今、どこに座っているだろうか。