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星空出版 HOSHIZORA PRESS

評論・連載

クレバス

下代沢侯二
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第 十 章 第9章 最後の梯子が引き上げられる

第9章 最後の梯子が引き上げられる
― かつてのルートが消える理由

歴史上、分離が生まれるたびに、それを越える道があった。

封建時代、農民は農民のまま死んでいくのが普通だった。だが戦乱の時代には、足軽から大名にのし上がった人間がいた。豊臣秀吉は百姓の子だったとされている。血筋の壁は、乱世という梯子で越えられた。

複式簿記と株式会社が世界を分けた後も、梯子はあった。学問だ。商人の子でなくても、帳簿の読み方を学べば、仕組みの側に移れた。時間はかかったが、道は開かれていた。

産業革命の後も、梯子はあった。労働者の子どもが大学に行き、技術者になり、経営者になった。教育という梯子。起業という梯子。投資という梯子。どれも険しかったが、存在はしていた。

インターネットが普及してからは、梯子は増えたように見えた。ガレージでパソコン一台から始めた若者が、十年で世界的企業を作った。情報の壁が下がり、誰でも知識にアクセスできるようになった。スタートアップという言葉が、新しい梯子の名前になった。

いつの時代にも、分離があり、梯子があった。梯子があったから、人々は分離を受け入れた。「いつか自分も」という希望が、社会を安定させていた。

AIが作るクレバスには、この梯子がない。

なぜか。三つの理由がある。

一つ目。速度だ。

過去の梯子は、登るのに時間がかかったが、梯子自体は動かなかった。帳簿の読み方は、百年前も今も同じだ。大学で学ぶ経営学の基礎は、十年前とそう変わらない。梯子が止まっていてくれるから、遅い人間でもいつかは登れた。

AIの梯子は動く。しかも、登っている人間より速く動く。

今日学んだAIの使い方が、来月には古くなっている。先月のプロンプトの書き方が、今月は通用しない。三ヶ月前のベストプラクティスが、今日の常識ではない。技術の進化速度が、人間の学習速度を超えている。

追いかけている間に、梯子が上に引き上げられていく。手を伸ばした瞬間に、一段上に逃げる。これは、梯子がないのと同じだ。

二つ目。資本の壁だ。

過去の技術革新では、新しい道具は徐々に安くなった。パソコンは最初百万円したが、やがて十万円になった。インターネットは最初大学と軍にしかなかったが、やがて月額数千円で誰でも使えるようになった。道具が安くなることが、梯子になった。

AIも安くなっている。月額数千円で誰でも使える。だから梯子はあるように見える。

だがここに罠がある。

第8章で書いた三人目を思い出してほしい。仕組みを作り、所有する人間だ。この三人目になるために必要なのは、AIそのものではない。AIを使って仕組みを作り、それを市場に届け、維持し、拡大するための資本だ。

開発する時間。試行錯誤する余裕。失敗しても食っていける貯蓄。マーケティングの費用。サーバーの維持費。人を雇う金。これらは、月額数千円のAIサブスクリプションとは次元の違う話だ。

AIを「使う」ことは安い。AIで「仕組みを作る」ことは安くない。

しかも、先に仕組みを作った人間が市場を取る。後から同じものを作っても、先行者がすでに顧客を押さえている。ソフトウェアの世界では、二番手は一番手の十分の一の価値しかないことが珍しくない。

つまり、AIという道具は万人に開かれている。だがAIを使って仕組みの側に立つチャンスは、時間とともに閉じていく。門は開いているが、門をくぐれる時間が限られている。そして多くの人間は、門があることに気づいていない。

三つ目。これが最も深刻だ。何を学べばいいか、分からない。

過去の梯子には、名前があった。「大学に行け」「英語を学べ」「プログラミングを覚えろ」「MBAを取れ」。正解かどうかはともかく、方向は示されていた。

AIの時代に、何を学べばいいのか。誰も明確に答えられない。

「プロンプトエンジニアリングを学べ」と去年言われていたことが、今年はもう古い。AIが勝手に最適な聞き方を補完するようになったからだ。「AIを使ったアプリ開発を学べ」と言われても、来年にはAI自身がアプリを作るようになるかもしれない。

梯子がないのではない。梯子が見えないのだ。

第3章で書いた。檻の中の鳥は、空を知らなければ飛ぼうとしない、と。あのとき書いたのは、教育が知識を隠していた話だった。今起きているのは、もっとたちが悪い。知識そのものが、月単位で入れ替わっている。先月の空が、今月は天井になっている。

三つの理由を並べた。だが、もう一つ、最も残酷な構造がある。

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を知っているだろう。地獄に落ちた男の前に、釈迦が一本の蜘蛛の糸を垂らす。男は糸にすがって登り始める。だが下を見ると、無数の亡者が同じ糸にぶら下がっている。男は叫ぶ。「降りろ、この糸は俺のものだ」。その瞬間、糸は切れる。

AIの時代に、同じことが起きている。

「AIを学べ」「プロンプトを覚えろ」「AIで副業しろ」。メディアが一本の糸を見せる。セミナーが糸の登り方を教える。何万人がその糸に飛びつく。同じ講座を受け、同じツールを使い、同じような仕組みを作ろうとする。

だが市場は一本の糸しか支えない。同じ仕組みが百個あっても、勝つのは一つか二つだ。残りの九十八人は、糸にぶら下がったまま落ちる。しかも、登っている間に糸自体が古くなる。先月の糸は今月にはもう腐っている。

梯子が速く動く。資本の壁がある。何を学べばいいか分からない。そして、見つけた梯子に全員が殺到し、重みで梯子が折れる。

過去の分離には、越える道があった。時間がかかっても、才覚があれば、運が良ければ、向こう側に行けた。AIが作るクレバスには、その道がない。あったとしても、見えない。見えたとしても、たどり着く前に消える。たどり着いても、群衆の重みで崩れる。

第1章で、こう書いた。「分離はあった。だが、越えられない壁ではなかった」と。

あの言葉は、もう過去形でしか使えない。

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