第6章 隕石は予告なく落ちる
― AIの登場――次元の異なる分離
第一部で、一つの迷路を描いた。五百年かけて完成した、出口のない構造。資本家と労働者。持つ者と持たざる者。仕組みを知る側と知らない側。
この構造には欠陥があった。だが、致命的な欠陥ではなかった。なぜなら、迷路の壁は絶対ではなかったからだ。
商人の息子でなくても商売は学べた。労働者の子どもでも、大学に行けば経営者になれた。投資の知識は書店で買えた。インターネットが普及してからは、情報の格差はさらに縮まったように見えた。
資本家と労働者の間には壁があった。だがその壁には、梯子がかかっていた。登るのは大変だったが、登れないわけではなかった。努力と才覚と運があれば、壁の向こう側に行ける可能性があった。
その可能性こそが、この迷路を安定させていた。「頑張れば報われる」という物語が成立する限り、迷路の中にいる人間は迷路を壊そうとしない。いつか自分も壁の向こうに行けると信じているから。
だが今、その前提が崩れようとしている。
梯子が引き上げられるのではない。壁が消えるのでもない。地面そのものが割れる。それがAIだ。
恐竜は、六千六百万年前に絶滅した。隕石が落ちたからだ。恐竜が弱かったわけではない。愚かだったわけでもない。一億六千万年以上、地球の覇者として君臨していた。だが、隕石は予告なく落ちる。どれほど強くても、次元の違う力の前では意味がない。
AIは、隕石だ。
この比喩は大げさだと思われるかもしれない。「AIは便利な道具にすぎない」「エクセルが出たときも同じことを言っていた」「インターネットが出たときも同じ騒ぎだった」。そういう声が聞こえてくる。
その声に反論する前に、一つの事実を見てほしい。
エクセルは、計算を速くした。インターネットは、情報を届ける距離をゼロにした。スマートフォンは、その二つをポケットに入れた。どれも巨大な変化だった。だが、これらには共通点がある。
すべて、人間が命令して、機械が実行する、という構造の中にある。
エクセルに「この数字を足せ」と言えば足す。グーグルに「この言葉を検索しろ」と言えば検索する。スマートフォンに「このアプリを開け」と言えば開く。どれだけ速くても、どれだけ便利でも、機械は人間の指示を待っている。指示がなければ何もしない。ハサミが勝手に紙を切らないのと同じだ。
AIは違う。
AIは、指示を待たない。正確に言えば、指示の仕方がまったく変わった。エクセルには「A1からA10を合計しろ」と具体的に命令する必要がある。AIには「この売上データから、来月の傾向を分析して、改善案を三つ出してくれ」と言える。何を計算し、何を比較し、何を提案するかは、AI自身が判断する。
これは「計算が速くなった」という話ではない。「判断が機械に移った」という話だ。
この違いの意味を、もう少し丁寧に説明する。
第2章で書いた産業革命を思い出してほしい。蒸気機関は人間の「筋力」を代替した。機械が布を織り、鉄を打ち、物を運んだ。だが機械には「何を織るか」「いつ打つか」「どこに運ぶか」を決める力はなかった。判断は人間の仕事だった。
二百年以上、この分業は変わらなかった。機械は実行する。人間は判断する。コンピュータが登場しても、インターネットが普及しても、この原則は同じだった。
AIが壊したのは、この原則だ。
機械が判断し始めた。何を優先するか。どの選択肢が最適か。この文章はどう書くべきか。この画像はどう作るべきか。この戦略はどう組むべきか。従来「人間にしかできない」とされていた領域に、機械が入ってきた。
ここで、冒頭の声に戻る。「エクセルが出たときも同じことを言っていた」と。
言っていない。
エクセルが出たとき、人間は「計算する仕事」を失った。だが「何を計算するか決める仕事」は残った。インターネットが出たとき、人間は「情報を届ける仕事」を失った。だが「何を伝えるか考える仕事」は残った。
AIが来たとき、何が残るか。
「決める仕事」すら機械ができるなら、人間に残るのは何か。この問いに、まだ誰も明確に答えられていない。答えられていないまま、AIは毎日進化している。
これが、エクセルやインターネットとの決定的な違いだ。過去の技術革新は、人間の仕事の一部を奪い、別の一部を残した。AIは、残っていた最後の聖域——判断——に手を伸ばしている。
第一部で描いた迷路は、五百年かけてゆっくり作られた。資本家と労働者の分離も、教育の偏りも、メディアの構造も、少しずつ積み上がった。だがAIによる変化は、そういう時間感覚では動かない。
隕石は、何百万年も空を飛んできて、最後の一瞬で地面に激突する。落ちる前の一秒と、落ちた後の一秒は、まったく別の世界だ。
その一秒が、今だ。